I believe / 成瀬尚登


 

  0

 

 ルーチンワークのような戦闘が終わり、自室へと足を急がせる。

 そして、部屋まであと10メートルというところで、その足を止める。

 薄暗い廊下の向こうにその姿があった。

 艦長服を着たユリカ、彼女はドアに寄りかかるように立っていた。

 アキトが微笑む。

 ユリカも頬を赤く染め、微笑む。

 アキトはユリカの傍へ歩み寄り、優しくその肩を抱いた。

 ユリカがしなだれる。

「アキト……」

「待たせて、ごめん」

「いいよ。来てくれたから、それでいいよ……」

 ユリカの顔は、安心して甘えている子供のそれ。

 アキトは慈しむようにその頬を軽く撫でた。

 部屋のドアが開く。

 その中に、二人は消えた。

 

……いつからか、こうしてここにいる。

 


I believe

text and edit by 成瀬尚登( n2cafe@s27.xrea.com )


 

  1

 

 いつからこういう関係になったのだろう……。

 いつものようにナデシコが木星トカゲに襲われ、いつものようにそれを迎撃した。

 だが、その時、偶然が悪い方向に向かい、右舷部が被害を被った。

 負傷者3名……それはナデシコの被害としてはごく微細。

 それなのに、ユリカは医務室のドアの前で、ひとり落ち込んでいた。

 廊下でしゃがみこみ、壊れそうに華奢な肩を振るわせて、じっと何かに耐えている。

 その姿が、アキトには我慢できなかった。

 アキトは、ユリカの肩を軽く叩いた。

 ユリカはビクッとして顔を上げた。

 いつも輝いている瞳は、いま別のもので輝き、頬には涙の跡がにじんでいた。

「アキト……」

「……元気出せよ」

 その時にできる精一杯の笑顔で、アキトは言った。この時ほど自分の顔を見たいと思ったことはなかった。自分は最高の笑顔をユリカに見せているのか、と。

 ユリカがその肩に載っているアキトの手をとり、そして愛おしそうに、何度も何度も自分の頬にすり寄せる。

「ありがとう……」

「……お前が悪いんじゃない。」

 ユリカはアキトの手のひらを、頬に押し当て、瞳を閉じた。

「ありがとう……でも、私、艦長としてふさわしいのか……自信なくなっちゃったよ」

「気にするなって」

「ううん……私がもっと上手くやっていれば、みんなが無事でいられたかと思うと……耐えられないよ、もう」

 ユリカがさらに力をこめてアキトの手を頬に押しあてた。

「ごめんね……もう少し、こうさせて……」

「ああ……」

「……艦長、やめようかな」

 その言葉に、アキトははっとした。

「ユリカ?」

「前から思ってた……艦長をやめて、アキトと二人で一緒にどこか遠くで暮らし たいって。やっぱり、私、艦長に向いてないよ」

 ユリカは顔を上げた。

「一緒に来てくれる……よね?」

 それは、どこか寂しげではかない笑顔だった。

……心の奥に、微かに痛みを感じた。

 アキトは真剣な顔をして言った。

「……バーチャルルームへ行かないか?」

 すると、ユリカがさすがに虚をつかれたような顔をした。

 だが、アキトは真剣な顔を崩すことはなかった。

「アキト……?」

「……そんなの、お前らしくない。艦長をやめるとか、そんなの……ユリカらしくない。だから、その……元気になるおまじない……」

 その言葉に、ユリカの瞳が嬉しそうに輝いた。

 そして次の瞬間、ユリカはアキトに抱きついた。

「アキト、ありがとう……優しいね、アキト。アキトはやっぱり私の王子さまだよ」

 頬をすりよせてくる。

 照れながらも、アキトはその想いを心の中でしっかり受け止めようとしていた。

 

 

 季節は春、場所はアルプス……花畑の広がる山。

 設定を確認すると、アキトはヘルメットをかぶった。対面には、既にヘルメットをかぶっているユリカがいる。

 ためらいなくスイッチを押す。

……気がつくと、そこは一面の花畑だった。

 風光明媚な山岳。湖と、冠雪が残る遠くの山々。

希望どおりの風景に安心しながら、アキトはユリカの姿を探そうと一歩踏み出した。

「……アキトっ」

 急に彼の視界が暗くなった。肩に何かが乗り、それに眼かくしをされている。

「だぁーれだっ!」

「……ユリカ」

「あたりっ……ふふ、さすがはアキト。ちゃんとユリカのことがわかるんだね」

 目隠しを外し、前に回り込んだ、白いワンピース姿のユリカが言う。

 あたりまえ……と、アキトは言えなかった。

 ユリカの幸せそうな笑顔がまぶしくて、何も言えなかった。

 その時、アキトの心の中で何かが弾けた。

 この笑顔が見たかったのだ。悲しい顔のユリカを見て、心が痛んだ。

 だから、笑顔を願うのだ、と。

 気が付くと、ユリカがアキトに手をさしのべていた。

 アキトは、ためらわずその手を握り返した。

 ユリカがアキトの腕を引いて駆け出す。アキトも、まるで子供のように走り出した。

「……あ、ちょうちょだよ」

 蝶を追うユリカ。それを一緒になって追いかけるアキト。

 疲れて花畑で寝ころぶと、ユリカが膝枕をしてくれる。

「誘ってくれて、ありがとう、アキト……」

「いいよ……なんか懐かしい感じだ」

「そうだね……」

 目を開けて見上げると、空とひとつになったユリカの顔があった。

 愛おしそうに自分を見つめるその視線に、アキトは視線を合わせた。

「アキト……」

 ユリカが目を閉じて、顔を寄せる。

 アキトはそのまま動かず、目を閉じた。

 やわらかい感触が、唇に伝わった。

 微かな吐息、甘い香りがひろがる。

 そっと目を開けてみた。

 頬をかすかに紅潮させ、幸せそうな顔をしたユリカがそこにいた。

 また、アキトは目を閉じた。

 

 

 突然に、それは起きた。

 にわかに黒い雲がわきはじめた。そして、あれっと言っている間に、雲は空を埋め尽くし、それと同時に、急激に気温が下がりはじめ、やがて……白いものが空から落ちてきた。

「あ……雪だよ」

 無邪気にユリカが言う。

 だが、それとは対照的な表情で、アキトは空を見上げた。

「そんな馬鹿な……」

 雪が次々と空から舞い降りてくる。本格的な降雪のはじまりを意味していた。

 アキトはおもむろに立ち上がった。

「アキト……?」

 雪も演出のひとつと思っているユリカの顔にも、さすがに不安の色が見えた。

 一面の花畑。そこには雪を避ける場所はない。

 アキトは首を横に振った。

「……なんか、おかしくなったらしい。とりあえず、この雪をさけないと……」

……しばらくして、窓の外は吹雪になった。

 火の入った暖炉の前で、アキトとユリカは一枚の毛布にくるまり、寄り添いあっていた。

 雪を避ける場所は、すぐに見つかった。

 尾根道をゆくと、そこにロッジがあったのだ。ロッジはすでに捨てられたものらしく、無人で、生活道具がなに一つなかった。

 あったのは、古い毛布と、わずかな薪。

 とりあえず暖炉に火をいれる。そして毛布をかぶり、身体を寄せ合う。

 だが、ユリカの身体は寒さに震えていた。

 白いワンピース……寒さをしのぐことに何の役にも立たないことは、見るからに明らかだった。

「アキト……寒いね……」

 ユリカの唇は紫色に変わっていた。

「ユリカ……」

「寒い……寒いよ……」

 ユリカはぎゅっとアキトの身体を抱きしめた。

 アキトも、ユリカの身体を抱く。

 すると、ユリカはアキトの頬に自分の頬をすりよせた。

「あたたかい……」

 何度も何度も、頬をすり合わせる。

 やがて、ユリカは言った。

「……そうだ、アキト。服を脱いで、暖め合おうよ」

 その言葉に、アキトは動揺した。

「ばっ……なに言ってるんだよ!」

「服は濡れちゃって冷たいし、着てても意味がないよ。それなら、体温で暖めあっていた方がいいと思うよ」

 明るい口調でユリカが言う。だが、その時に見せた顔は青白く、その笑顔もどこか痛々しいものだった。

「……ど、どうなってもしらないからな!」

 アキトの決意に、ユリカは一つうなずいた。

「……ごめん、あっち向いててくれるかな?」

 アキトはユリカに背を向ける。そして、おもむろに自分の服を脱ぎはじめた。

 ブリーフ1枚になって待っていると、やがて、声がかかった。

「アキト。いいよ、こっち向いても……」

 おそるおそる振り向くと、そこには、毛布にくるまって上目遣いでこちらを見ているユリカがいた。

 敢えて何も言わず、機械のように、アキトは毛布の中に身をすべらせた。

 腕を伸ばし、ユリカの身体を包む。

 あたたかく、やわらかい感触がアキトの胸に伝わった。

「あたたかいよ、アキト……」

 うわずった声でユリカはそう言う。

 ユリカもアキトの背中に手を伸ばす。

 それにぎゅっと力が込められた。

「あたたかい、あたたかいよ、アキト……!」

 

 

……それは、だれのせいでもなかった。

 

 

 アキトが我に返ったのは、すべてが終わってしまった後だった。

 身体に力が入らず、ぐったりとしてユリカに身体を預ける。

 眼前にいるユリカの呼吸はいまだに荒く、その頬は上気してすっかり朱に染まっていた。

 毛布は先刻までの狂乱を表し、それは、たんに身体に巻き付いているだけの布に成り下がっている。

 そして、その乱れの隙間から、桃色に染まったユリカの肌がのぞいていた。

 その時、突然、床が大きく揺れだした。

 衝撃に、アキトの身体がその場から投げ出され、転がる。

 同時に、一瞬にしてそれまで見ていたロッジの風景が消失した。

 かわりに現れたのは、金属に覆われた部屋……バーチャルルームのそれだった。

 ぶつけた頭をおさえながら、アキトはもといた場所に目を向けた。

 そこには、艦長服を引き寄せて白い肌を隠し、沈鬱な顔で床を見つめているユリカの姿があった。

「ユリカ……」

「……出てって……」

 いままで聞いたことのないその冷たい口調に、アキトは愕然とした。まるで雷に打たれたかのような衝撃が、彼の心を貫いた。

 アキトは、言葉を失った。

「っ……」

 何を言おうとしても、言葉にならない。

 すると、ユリカは歯を食いしばるようにして叫んだ。

「一人にして、お願い……!」

 それ以上、アキトは声をかけられず、服をつかんで、手早くそれを着ると、追われるようにその場を後にした。

 振り返ることは、どうしてもかなわなかった。

 

 

 ルーチンワークとも言える戦闘を終え、自室に戻ろうとする。

 不意にアキトは足をとめた。

 ユリカが、部屋の前にいた。

 思い詰めたような固い表情で、射抜くような厳しい視線を向けている。

 アキトはその場に立ちつくした。

 そのまましばらく対峙した後、ユリカの口が開いた。

「……一緒に来て」

 ユリカはアキトに歩み寄り、無理にその手を引いた。

 困惑の表情を見せながらも、ユリカにひきずられるままに、アキトは歩き出した。

 アキトは覚悟していた。

 いま目の前にいる人は、もはや自分の知っているユリカではない、と。

 そして、そのように追い込んでしまったのは、他ならぬ自分なのだ、と。

 だが……後悔はなかった。ユリカを傷つけたこと、それは自分の真実だったのだから。

 そう、あれは確かにアキトの絶対の欲望だったのだ。

……連れてこられた先は、バーチャルルームだった。

 アキトに、ヘルメットがかぶせられる。

 やがて、風景が変わっていく。

 そして、現れた世界を目の当たりにし、アキトは絶句した。

 白い砂浜が続く海岸線。

 そこに、まるで絵本から抜け出た王子さまのような滑稽な格好をした自分が、白い馬にのってそこにいるのだった。

 辺りを見回すと、海からすこし離れたあたりに、童話の世界に出てくるような白い城が建っている。

 すると、もう一つ、人が砂浜に打ち上げられているのを見つけた。

 アキトはあわててその元へ駆けつける。

 それは黒髪の女だった。砂浜に打ち上げられたらしく、うつぶせになっている。

「しっかりしろ! 大丈夫か!」

 アキトは女の身体を起こした。

 その顔に、アキトは既視感にとらわれた。だが、どうしてもその顔を思い出せない。

 やがて、女は目を開ける。そして、口を動かそうとしたが、その動きをとめ、にっこり笑った。

 アキトはその女を自分の城へと連れ帰った。

……彼女はしゃべれなかった。

 だから、名前を呼びかけることはなかった。

 だが、彼女にはそれで充分なようだった。

 アキトの姿を見つけると、にこっと笑って寄ってくる。

 そのたびに、アキトは心が洗われたようなすがすがしさを感じるのだった。

 ある日、城に訪問者があった。

 宝石を身につけ、重そうなドレスで着飾った女……やはり童話の世界の住民だった。

「……では、婚礼の日まで、お元気で」

 そう言って自分の妻となる人を門前で淡々と送った後、アキトはふたたび城へ入った。

 そのとき、廊下に見慣れた人影を見た。

 いつもなら、笑顔を見せてくれる彼女だが、今は違った。

 彼女はアキトの姿を見つけると、びくっと身体を震わせ、そして、悲しそうな瞳でアキトを見つめると、やがて泣き顔になって駆け出して去っていった。

 アキトは追おうとした。だが、不思議とその足がとまった。

 婚礼の日となった。

 婚礼の衣装に着替えた女は美しく、そしてかいがいしくアキトに寄り添った。
だが、アキトには気になっていることがあった。

 あの日以来、姿を見せない彼女のことだった。

 もう会ってはいけないのかもしれない。だが、会えないとなると、かえって想いは募った。

 どうしてこんなにも、気になるのだろう。

 しゃべれないが、ずっと笑顔で接してくれた彼女。

 自分は……?

「殿下、殿下……?」

 その声に、アキトの思考は妨げられた。

 妻となるはずであった女が立っていた。

「どうなさいました、殿下。ご気分でも?」

 ああ……という生返事を返す。

 女は唇を歪めて言った。

「では、少し休まれてはいかがですか?」

 ああ、とまた生返事を返し、アキトは廊下へ出た。

 人目につかないところまで歩き、窓の外をみやる。

 満月だった。

 月の光が海に映り、さざ波で揺れる。

 そして、ふと砂浜に白い影を見つけた。

 目を凝らしてみると、それは白い服を着た女の姿だった。

 

……「人魚姫」か!

 

それに気づくと同時に、アキトは駆け出していた。

 

「……ユリカ!」

 ひざの上まですでに海に使っているユリカに対し、アキトは声の限り叫んだ。

 その声にびくっとして、ユリカは一度振り向いたが、アキトの姿に気づくと、あわてて沖の方へ駆け出そうとした。

 アキトもすぐに海に入り、ユリカを追う。

 波の抵抗を力でねじふせ、ユリカを捕まえようと必死にもがく。

 それはだんだんと近くなっていき、やがて、アキトはユリカの肩をつかんだ。

 反転させ、ユリカの顔をこちらに向けさせる。

 ユリカはそっぽを向いた。

「どうしてこんなことをしたんだ!」

 ユリカは何も応えなかった。

 ただ、つうっと、頬に涙を伝わらせていく。

 アキトの心が激しく揺さぶられる。

 それを機に、ユリカは、その手を振りきろうと暴れる。

 しかし、アキトはユリカをぎゅっと抱きしめた。

「行かないでくれ!……俺のそばを離れないでくれ!」

「あ……き……とぉ……」

 しわがれた、まるで老婆のような声が帰ってくる。

 だが、アキトにとっては、それで充分だった。

 ユリカに向かい合う。

「一緒に逃げよう、どこか遠くへ。そこで、ずっと一緒に暮らそう」

 ユリカの瞳から、大粒の涙が一つこぼれた。

「う……れ……し……い……」

……風景が消失した。

 そこは、もといたバーチャルルーム。

 はっとしてアキトがヘルメットを外すと、そこには、泣き顔に笑顔をつくっているユリカの姿があった。

「アキト……」

「ユリカ……」

「その言葉を待っていたの……!」

 ユリカはアキトに身体を預けてきた。

 アキトも、迷うことなく抱きしめる。

「……アキト、ごめんね。私、アキトのこと、信じたくて、でも、でも……」

「もういいって……ありがとう」

「アキト……」

 二人の視線が重なる。

 そして、どちらともなく、唇をもとめあった。

 

……その時から、二人はこうしてここにいる。

 


 

  2

 

 

 ユリカとアキトとの関係は、公然のようで秘密。

 アキトが艦橋に入る。

 途端に艦長であるユリカの瞳は輝き、アキトのそばに寄ってくる。

「ねぇねぇ、アキト。聞いてる? ねぇ、アキトぉ……」

 興味津々な視線、うっとうしいといわんばかりの視線、羨望の視線。

 そして、無関心の視線を浴びながら、露骨に嫌な顔をするアキト。

 ありふれた光景……だが、もちろんこれは演技。

 あとで、アキトの部屋で5倍にして返す。

 たとえば、ドックへ向かう途中、ユリカに出会う。

 ユリカが立ち止まり、頬を染めてアキトをじっと見つめる。

 そっと、辺りをうかがう。

 人の気配がないことを確かめ、通りすがり、おもむろにユリカの頬に手をやる。

「……ん……」

 艶やかな唇を奪った後は、何事もなかったかのように、ドックへと急ぐ。

 あとで、ユリカの部屋で6倍になって返ってくる。

 

 同じ熱さを、互いの肌で感じる。

 同じ熱さを、互いの唇で感じる。

 同じ熱さを、お互いの手で感じ取る。

 満ち足りていた。

 すべてが。

 

「……アキト……」

 不意にユリカの熱っぽい声が耳許でした。

 天井を見つめていたアキトは、声の方向に顔を向ける。

 頬の朱に余韻を残しているユリカの笑顔がそこにあった。

「なに、考えてたの?」

 そう言いながら毛布を引き、ユリカは露わだった肩を隠した。

 同じ毛布にくるまっているアキトの身体が、逆に露わになる。

 わざとムキになって、アキトは毛布を引いた。

 ごろんという音が聞こえそうなくらい豪快に、ユリカの身体がアキトの方に転がってきて、毛布がはぎ取られる。

「やだっ……!」

 白い肢体が暴かれたユリカが、今度はアキトの身体に巻き付いた毛布に手をかけて、力一杯引く。

 だが、毛布は少しもユリカの許へと動かなかった。

「もう、アキトぉ……」

 ユリカに背を向けた格好になっているアキトに、後ろからユリカがしがみつく。

 そして、あごをアキトの肩にのせた。

「いじわるっ」

 アキトは笑うしかなかった。ユリカはわざとらしくすねた表情をした。

 アキトは力を緩める。それをユリカがひいて再び二人は同じ毛布に包まれた。

「……それで、何を考えてたの?」

 ユリカの他愛ない問いかけに、アキトは笑みを消した。

「……さっきのルリちゃんの話」

「あ……あれ、聞いてたの?」

 驚いたふうな顔をして、ユリカが言う。

 アキトは、ひとつうなずいて、天井へと視線を移した。

……それは、アキトがユリカの部屋へ向かっていた時に聞こえてきた。

 よく知った声と、よく知った少女の声。

 角の向こう、ユリカの部屋の前あたりにユリカとルリはいるようだった。

 アキトは足を止める。

”アキトは私のことが大好きだし、私もアキトのことが大好き。だから、私は嬉しいんだよ”

 ユリカの明るい声が聞こえてくる。

 アキトは自分の顔がゆるむのをこらえることができなかった。

 ルリは言った。

”私にはよくわかりません。どうしてそんなにも自分以外の人のことを想うことができるのですか?”

”それは、私にもわからないよ”

”艦長……”

 やや呆れたルリの声。

 だが、ユリカは少しも明るさに翳りを寄せ付けず、続けた。

”でも、ルリちゃん。ルリちゃんもきっとわかるよ。好きな人がいて、信じられる人がいる。それだけで、私は嬉しいし、がんばろうって気持ちになれるんだよ”

”そうですか……”

 そうつぶやくルリの口調が、微妙に先刻までとは違ったように聞こえる。

”……そうなったら、きっとルリちゃんも同じ気持ちになるよ”

”そう、なれるでしょうか……?”

”なれるよ。きっと、ルリちゃんの方が私よりももっと早く、それがわかると思うよ”

”ありがとうございます……では、おやすみなさい、艦長”

”うん、おやすみ、ルリちゃん……”

 小さな足音が去っていく。

 それがアキトの聴覚の限界を超えたとき、彼は再び歩き出して角を曲がり、ユリカの部屋のベルを押した……。

「……もし、さ」

 天井を眺めながら、アキトは言った。

「もし、俺たちのことがばれたら、どうする……?」

 すると、ユリカはアキトの胸板に頬を擦り寄せてきた。

「ばれても、変わらないよ……」

「ユリカ……?」

「アキトがいなかったら……私、壊れちゃう。もう、アキトがいないなんて、考えられないよ」

「そうか……」

 アキトは左手でユリカの髪をすく。

 だが、それをすり抜けるように、ユリカは顔を上げ、仰向けになっているアキトの上に身体を重ね、顔を見合わせた。

「そんなこと、言わないで……」

 悲しげな顔を見せるユリカの頬に、つうっと涙が伝わる。

 そっと手をその肩に伸ばし、アキトはユリカを抱いた。

「ごめん……」

「ううん、私、泣き虫で……」

 そう言いながら、ユリカはアキトの胸の中で泣き出した。

 そして、いつまでも、アキトはユリカの髪をすいていた。

 

 

 二人は思っていた。

 ずっとここにいられる。

 こうしてここにいることができる、と


 

  3

 

 

 その日もルーチンワークを追え、アキトは廊下を歩いていた。

 その足取りは軽く、弾むような笑顔を見せている。

 ドアを開ければ、そこにはユリカがいる。

 待つ人がいる。

 自分を待ってくれる人がいる。

 それを思うだけで、彼の目の前の風景からは翳りがすっかり消えていた。

 角を曲がる。

 そして、彼は足を止めた。

 自室の前、そこに、アキトの求める人はいなかった。

 やや思案するも、すぐに今度は艦橋へ向けて歩き出した。

 だが、少し歩いたところで、彼はまた足を止めた。

 そこに、ルリが立っていた。

 無機質な貌を見せているが、その呼吸は荒い。

 そのルリの様子に、アキトは嫌な予感を感じずにはいられなかった。

「ルリちゃん……?」

「テンカワさん……」

 すると、ルリはそう言ったきり、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

 困惑するアキト。唖然としてルリを見つめる。

 それを無視するかのように、ルリは話しはじめた。

「私は今から独り言を言うことにします」

 廊下の隔壁を見つめるルリの金色の瞳が、ぐっと鋭さを増した。

「艦長は、査問を受けに行きました」

「査問……?」

 何か漠然とした不安がアキトの心を過ぎった。

「職務規程違反ということで、プロスペクターさんに呼ばれました」

 アキトは、はっとして目を見開いた。

 職務規程違反……!

「そんな……!」

 思わず声を上げる。

 それを強引に無視する形で、ルリは続けた。

「プロスペクターさんからの指示はコミュニケのオンリーモードでされていましたから、クルーのみなさんには知られていません。ですが、通りすがりに艦長は私に言いました。『アキトによろしくって言っておいて』と。あれはどういう意味をもつのか、私にはわかりません」

「ユリカ……」

 アキトはぎゅっと拳を握りしめた。

 すると、ルリは視線を隔壁からアキトへと転じた。

「……独り言、終わりです。テンカワさん、ずっとそこで聞いていたんですか。趣味、悪いですね」

「ルリちゃ……」

「気持ち悪いです。ですから……早く、私の前から、いなくなってください」

 その言葉に、アキトは決意した顔で大きくうなずいた。

「……ありがとう、ルリちゃん」

 独り言ですから、というルリの控えめな声に鼓舞されながら、アキトは廊下を駆けていった。

 

 

 ノックもせず、やや乱暴にドアを開け、猛然と部屋へと飛び込む。

「プロスさん!」

 そこには、書類を片手に椅子にすわっているプロスペクターと、その前に立っているユリカの姿があった。

「アキト……」

 ユリカが振り向き、驚きの表情を見せる。

 だが、彼を呼ぶ声には、いつものような張りは感じられなかった。

 対して、対面のプロスペクターは、眼鏡の向こうから冷たい視線をアキトに向けてきた。

「なんです、テンカワくん。ノックもしないで」

 肩を揺らせて呼吸を整えている間もじっとプロスペクターと視線を合わせるアキト。

 やがて呼吸が整い、彼は言った。

「プロスさん、話がある!」

 だが、アキトの激情はプロスペクターの激情ではない。

「後にしてもらえませんかね。今は、艦長とお話がありますから」

 表情を変えずそう言い、そして、ユリカの方へ向き直った。

「では、処分が決まるまで、謹慎ということで、よろしいですね」

 ユリカは、再びプロスペクターの方を向き……アキトに背を向けて、緊張した口調で言った。

「はい、覚悟はできて……」

「待ってくれ!!」

 有らん限りの声で、アキトは叫んだ。

 ユリカがまたアキトの方を振り向く。

 その時に見せたユリカの顔は、泣きたいのをこらえている子供のそれのように見えた。

 それが、彼の激情をさらに煽った。

「違う、違うんだ。ユリカのせいじゃない! 俺が全部悪いんだ!」

「アキト……」

 敢えてユリカと視線を合わせないように彼女の脇を抜け、アキトはプロスペクターの前へ出た。

 そして、心が高ぶりを抑制し、冷ややかとも見える無表情なプロスペクターに語りはじめた。

「俺は中途半端なヤツなんだ。料理の腕もないし、エステに乗ってもダメ。なんか、自分が嫌になって、それで、むしゃくしゃしてたから……ユリカが俺に気があるのを思い出して、だまして……好きだって言ったら、簡単に墜ちたよ。それからは、ずっと俺の言いなりになってくれた……だけど、もういいんだ。ユリカは、悪くない。それに、もう、俺みたいなろくでもないヤツがここにいたって何の役にもたたないけど、ユリカは良いとこのお嬢さんだ。どっちの方がナデシコに必要か、わかるでしょう、プロスさん」

「……嘘です、それは」

 その言葉は、アキトの後ろから聞こえてきた。

 驚いて、アキトはユリカを見る。

 ユリカは決意に満ちた、固い意志のこもった表情を見せていた。

「アキトは、私を守るために、嘘をついています。私は、艦長としてのストレスを、アキトで発散していました。艦長命令だと言って……従わなければ、コックとしての職を取り上げると脅迫して、それで、アキトで……欲求不満を解消していました」

「ユリカ!」

 アキトは愕然として声をあげる。

 だが、ユリカの言葉はなおも続いた。

「私は、そういうふしだらな人間です。そういう人間が艦長を務めるべきではないということも、わかっています。それに……私がいなくても、このナデシコは動きます。ですが、アキトがいなくなったら、戦闘力の面において重大な損失となります。どうか、その点をお考えください、プロスさん」

「な、なに言ってるんだよ、おまえ。いい加減にわかれよ。お前は俺にだまされてただけなんだよ!」

 アキトは慌ててユリカに詰め寄った。

 すると、ユリカも負けじと応戦する。

「アキトこそ、もういいんだよ。私がいなくなって、きっとせいせいすると思うよ」

「……まぁ、お二人とも」

 そこで、ずっと無表情だったプロスペクターが口を開いた。

 二人の視線がそちらへ向かう。

「そこまでにしませんか。テンカワくんへの査問も、これで済んだようですし。お二人にはそれぞれの部屋で謹慎していただきます。その間の艦長職は、アオイ君に代行してもらいます。よろしいですか?」

 はい、と応答するしか二人にはなかった。

 

 

 食料貯蔵庫の奥、コンテナに座り、寄り添い合うようにして、アキトとユリカがいた。

 アキトはユリカの肩を抱き、ユリカはアキトにしなだれる。

 二人には言葉がなかった。

 だが、そうすることだけで、二人にとっては充分だった。

 自室で謹慎という処置、それは、最後の時を待つ二人にとっては過酷なものだった。

 だから、さらに罪を犯してでも、二人でいたかった。

 そして、決意を秘めた顔をして廊下を歩いていくと……ルリが二人を遮るように立っていた。

「思兼にお願いして、お二人は部屋にいることになっています。呼ばれたら、お知らせします」

……アキトは慈しむように、ユリカをじっと見つめていた。

 手を、ユリカの首、頬へとすべらせていく。

「……もし、ユリカがナデシコを降りることになったら、その時は、俺も降りる」

 その言葉に、ユリカは何も応えなかった。

 アキトは続けた。

「これから、食わせていけるかどうか、自信ないけど……でも、きっとなんとかする。約束する」

 ユリカは顔を上げた。

「……それは、責任を感じているからなの?」

 痛いほどの視線をアキトに向ける。

 それを充分受け止めてから、アキトは微笑んだ。

「違うと思う……ユリカと一緒にいたいから。だた、それだけだと思う」

「アキト……」

 ユリカは、想いのあまり泣き出してしまいそうな熱っぽい微笑みを浮かべた。

「その言葉が、聞きたかったの……」

 二人は顔を寄せ、唇を重ねた。

「……アキトとなら、私はどこへでも行くよ。私は、アキトのこと、信じてる」

 

 

……やがて、その時が来た。

 わざと時間をずらし、二人はプロスペクターの部屋を訪れた。

 プロスペクターは先刻と同じように椅子に座っている

 その表情は、わずかに厳しさを増しているように見えた。

 先に入っていたユリカの横にアキトが並び、表情を固くしてプロスペクターと対峙する。

「……さて」

 ややあって、プロスペクターが口を開いた。

「私は、裁判官ではありませんから、手短に言いましょう」

 部屋に見えない緊張の空気が充満したような錯覚を感じ、アキトは息をのむ。

 その手を、ユリカがぎゅっとつかむ。

 そして、プロスペクターは言った。

「……減給6ヶ月。以上です」

「……へっ?」

 思わず間の抜けた声を出すアキト。

 一歩踏み出してしまうユリカ。

「プロスさん、あの、減給って……」

 プロスペクターは眼鏡をかけ直して答えた。

「もちろん艦内での異性との交際は禁止です。ですが、それが費用面でいい方向に出ているのなら、社としましても考慮せざるを得ません。このところ、テンカワくんのエステバリスの破損率が非常に少ない。これは、エステバリスの維持費が低くて済むことを意味します。それに、ナデシコの運営費にも多大な影響をもたらしておりましてね、非常に効率の良い作戦がとれている結果、費用対効果は以前の5倍にも上昇しています。そこで……」

 ずいっとプロスペクターはユリカの前に出た。ユリカはおののいて一歩引く。

「しばらく様子をみようじゃないか、というのが結論です……もちろん、違反は違反ですから、罰は免れませんがね」

 ぱぁっと、ユリカ、続いてアキトの表情が明るくなった。

「ありがとうございます、プロスさん!」

「……まあ、別に公認というわけではありませんからね。あくまで様子を見るということですから、くれぐれも他のクルーのみなさんに見つからないようにしてくださいよ。それから……することはきちんとしてくださいよ」

 その言葉に、二人は頬を赤らめる。

 ふふふとプロスペクターが笑ったように二人には見えた。

 

 

 ルーチンワークを終え、アキトは自室にいた。

 そわそわと落ち着かないでいる。

 じっとドアを見つめていた。

 やがて、来訪者を告げるピンポーンという音と共に、その声がする。

”アキト、明日の作戦行動のことで、話があるんだけど”

 いいよ、と無理に感情を押し殺して言う。

 ドアが開く。

 そこには、彼が待っていた人が立っていた。

 アキトも立ち上がる。

 その人は、待ちきれないとばかりに駆け寄り、そして、アキトに身を任せた。

 華奢な身体を、想いの限り抱きしめる。

「ユリカ……!」

「会いたかったよ、アキト!」

 

 

……こうして二人はここにいる。

 今も、そして、これからも。

 


あとがき+雑談

 ようやく書けました、ユリカxアキト小説。最近、ラピラピ作家と誤解されている節があったのですが、これでようやくユリカ作家だと大きな声でいうことができる仕上がりになったと思います。さて、例によって内容については触れません。周辺のことがらを、いつもよりも長く語ってしまおうと思います。

 しかし、この作品は難産でした。実を言うと、基本的なプロットは昨年の8月には浮かんでいたのですが、その後、書こう書こうと思っていて、ずっとほったらかしになっていました。しかも、当初は18禁描写をいれるつもりで書いていたのですが、ないほうがむしろすっきりするということで、結局、一般向け(と言っても、多少その手の表現はありますが)になってしまいました。いまさら18禁版を書く気も起きないので、これはこれでよしとしたいと思います。とりあえず、ようやく日の目を見ることができ、ほっとしているのが正直な感想です。

 難産なのは作品だけではなく、タイトルもまたそうでした。コードネーム(?)であり、当初のタイトルは「White Breath」……わかる人はきっとわかると思います。その後、「Scandalous Blue」にしようかと直前まで悩みましたが、結局、「I believe」となりました。どの「I believe」かはお任せします。今となっては、かなり皮肉な曲となってしまいましたけれども。

 さて、時事ネタっぽい雑談です。いよいよTM NETWORKが「復活」します(<復活に「」がついているのは、きっとTKは何か新しい言葉をあててくるだろうという期待感からです)。いや、長かった。10年来のFANKSとしては、待っていた甲斐があったというもの……だと信じたいです。シングル2枚のうち、噂では、昔の曲のカバーが1枚だとか。Get Wild '99かなぁ……というか、(書いていたらホントに長くなっちゃったので中略)。個人的には、icemanを超えるような、激しくダンサンブルなテクノが聞きたいなあと思っています。楽しみにして、7月を待ちます。

 しかし、”ゆりかまにあ”を名乗っていても、ミスマルユリカという人をきちんと書くということに関しては、まだまだ精進が足りないと気づかされたこの小説。今後ともさらに精進していきたいと思っておりますので、よろしくお願いします。

 

成瀬尚登 ( n2cafe@s27.xrea.com )


回想録 (08/11/2003記)

 この作品は、1999年6月10日〜13日にかけて開催された「ユリカたん祭り」というイベントにて発表した小説です。「ユリカたん祭り」は、もともと思いつきで企画したものでしたが、非常に盛況だったと思います。「ユリカたん祭り」のHPにある”終了間際のチャットの画像”がそれを物語っていると思います。

 さて、読み返してみると、なんと恥ずかしいことか。いや、自分の未熟さではなく、こういうシチュを平気で書いてしまえる自分に、です(笑)。ただ、どこかで書いた記憶がありますが、当時、私(というか、真性「ゆりかまにあ」の共通認識かも?)は、アキトにはユリカはもったいないと思っていたようで、真っ正面からユリカxアキトのラブラブ〜を書くことで、自分の考えを確かめたかったような気がします。「あとがき」にもありますとおり、もともとは18禁を想定していたのですが、そこに踏み込めなかったのは、作品の流れのせいもありましたが、アキトxユリカに釈然としない気持ちもあったんじゃないかと、今となってはそう考えます。

 作品の中身としては、ちょっと安易な方向へ流れちゃったかも? 起伏が多い割には印象に残らないということは、プロットをもっと練っておくべきだったんでしょうね。何にせよ、安易なシリアスはナデシコには似合わないのかもしれません……と暴言を吐いておくことにします(笑)。


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