ちょっと鬱憤をはらしてみよう


 超B級娯楽活劇コメディがただのSFアニメになってしまい、魅力的でコケティッシュな美少女がただの美少女になってしまった感のある劇場版機動戦艦ナデシコ。これは私が知ってる「ナデシコ」なのだろうか、というとまどいが正直あります。

 コミカルなストーリーとテンポ、みていて飽きない展開、そして艦長とのデート(笑)というのがテレビ版の売りだった。そして、それらがすべて吹っ飛んでしまった劇場版。もはや「ナデシコ」とは呼べますまい。


ルリルリファンのみなさん、おまたせしましたっ。劇場版機動戦艦ナデシコではルリが前面に出まくります。敵との決戦では天才ぶりも健在。かっこよくなっちゃったアキトお兄ちゃんとの心の触れ合いも見どころ。さらにさらに魅力的になったルリルリを、どうか存分にご堪能ください。また、アキトファンのひとにも朗報です。前作ではどこか煮え切らなかった彼ですが、今回は違いますっ!悲惨で過酷な運命を背負ってしまい、儚げな哀愁漂う悲劇のヒーローとして生まれ変わったテンカワアキトに、きっと再び魅了されることでしょう。また前作のキャラクターも大集合!ユキナもちゃんとでてきます。しかも制服(笑)。なお、ユリカファンのみなさん、お疲れさまでした。25歳にもなって「ぶいっ」もないでしょうから、今後はストーリーの第一線から退くことになりました。新しいルリルリにどうかハマってください(笑)。

……と、怒りにまかせて自虐的に、悪意に満ちた宣伝文句をでっちあげてみましたが、これはあながち冗談になってない。要するに、”ゆりかまにあ”は、ルリファンに転向するか、(精神的に)自殺しろということです。実際、劇場版でのユリカの設定は、まるで憎悪を一人で買ってるのだろうか、絶望的で、なにも救いがありません。

 この話を友人にしたところ、「助かったからいいじゃん」と言われました。でもね……たしかに、第一印象では「救いがあるが、後味が悪い」と書きましたが、今思い返すと、もしあれでユリカが死んでしまったとしても、それほど大差のない印象になったとおもいます。助かったと言っても、ストーリー的には死んでいたも同然でしたし。その上、制作者はルリ中心で今後もストーリーを組み立てていくことは目に見えてますし、圧倒的にルリファンが多い現状ではそれが拍手喝采で迎えられるはずです……あまつさえ、味覚などを取り戻したアキトの前には(ユリカでなく)ルリがいて、二人で見つめ合っているっという「ハッピーエンド」がいい、なんて言う野郎(失礼!)がいる始末。ちきしょぉぉ、ぜいぜい、はぁはぁ……。(深呼吸)

 ここまで”ゆりかまにあ”を失意のどん底に貶める現状、これで自殺者がでないのは、ひとえに”ゆりかまにあ”は年長者が多いからでしょうか(偏見。でも、あの性格はユリカよりも年上でないと「かわいい」とは思えないような気がする。根拠はまるでありませんが)。ああ、テレビ版EDを聞くと、在りし日(こらこら)の艦長を思いだして、悲しい気分になる。


「みんなの知っているテンカワアキトは死んだ」のなら、「みんなの知っているミスマルユリカも死んだ」とも言えるはず。あのアキトにしてあのユリカ。二人でひとり♪ってのはさておき、今回のアキトの設定については可哀相という評価が普通のようです。が、これってストーリーの中での評価であり、アキト本人についてはどうなんでしょう。

 アキト役の上田祐司さんは、たいそうお気に入りのように見えました(テレビのインタビューなどで)。もともと格好いい役がおすきなのかもしれません。前述の友人は、悲惨な運命を背負ったキャラをやらせれば右に出る者はいないという評価をしてました(一般的かどうかはわかりませんよ)。たしかに、テレビ版のアキトは、なぜもてるのかわからないくらい脆弱な(軟弱にあらず)精神をもつキャラだったと思います。それが、まぁ悲惨な目にあったにしろ、あそこまで精神的にたくましくなった。そして、以前のような優しさも残っている……今度こそルリとって思ってる人、多いんだろうな(笑)。結局、アキトはアキトなりに自分をつかんだというところでしょうか。ようやくキャラが煮詰まった(偉そう)ような気がします。

……で・す・が、ねぇ。これって、くるくりおめめの艦長の大好きだったアキトではないでしょう。「艦長の今後」では「こういうアキトも……」とか書きましたが、多分、実際はそう素直にいかない。あのアキトを好きになるなら、艦長も変わらないとだめなはず。となれば、やはり「みんなの知っているミスマルユリカも死んだ」となってしまう。まあ、なんにせよ。もう「ナデシコ」はルリの話になっちゃいましたから、制作者としてはどうでもいい事項なんだろうけど……。


 こう考えていくと、テレビ版と劇場版って、話のカラーも人物もぜんぜんちがう、ただキャラの連続性があるというだけで、中身は別物なのではないか、という気がしてきました。まったく大ざっぱに仮説を述べると、ナデシコ第一部と二部があって、第一部はアキトとユリカの結婚でおわり、劇場版は第二部、という。こう考えると、”ゆりかまにあ”にとっての艦長は、新婚旅行のシャトルで拉致された時点で「亡くなった」と考えた方がいいのかもしれません。そうなると、”ゆりかまにあ”としての今後は、在りし日の艦長を偲ぶ、ということになる……

……
……
それでも、いいかな、なんて思う自分が悲しいけど。

(10/24補注)
繰り返しになりますが、結局、この問題はSSのゲームと劇場版とどちらを正統と見るかという問題に帰結することになります。


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