ラストシーンに対する深刻な疑問、または第二印象補論


 劇場版ナデシコのエンディングですが、あれはあれでよかった、という人が多いようです。続編を期待させるつくり、というのが制作者の意図したところですから、その意味ではまず成功したと言っていいと思います。私としては、とても残念である終わり方だとは思いますが、まあ、これもアリだな、という感じです。アキトが姿を消すのには、それなりの理由がありますから。

 北辰を倒し、「火星の後継者」も壊滅した後、アキトは救出されたユリカに会わずに去っていきます。しかも、彼女の見ている前で。彼はもう以前の彼ではなかった。彼の感覚機能は「火星の後継者」の科学者によってほぼ奪われ、そして復讐のためとは言え人殺しを繰り返してきた。もはや自分は、ユリカの知る、ユリカの好きな、ユリカの愛するテンカワ=アキトではない。だから、ユリカの前から姿を消した。ルリは、帰ってきます。こなければ追いかけます、大切な人だから、と確信に満ちた笑顔でいう。それは、一つの成長を見せたルリの笑顔だった。

 いいですね。余韻というか情感が込められている。最後のルリの言葉に感涙する人もいるでしょう、きっと。不満がないとは言えないまでも、いい終わり方だったのではないでしょうか。これはこれで賞賛に値するエンディングだと思います。


……でもなぁ。本当にそれで終わるのが正解なのかな、と正直思うんですよ、これが。

 だって、ラストシーンの北辰との攻防、あのとき、押され気味だったアキトの脳裏に浮かんだ人はだれでしたっけ? 我らが艦長ですよね、しかも劇場用に美しさ200%up(当社比)。それを見て、”ゆりかまにあ”としては、こう、胸をかきむしられるような思いがしたのです。ああ、この人は、艦長を本当に愛しているんだな、と。このシーンで涙を流しました、私。

 こうくると、艦長が助かったら真っ先に顔を見る、または抱き合うってのが人情なんじゃないかな、人情うんぬんでなくとも、ストーリーのカタルシスを得るために重要なことなんではないかな、と思うんですよ。

 それに、「帰ってきます。こなければ、追いかけるだけです」というルリのセリフ、これって当たり前のことを確認したに過ぎないのではないかなぁ。だって、あの後、艦長が「アキトは私を棄てたんだ……」って考える方よりも「待っててね、アキト(はぁと)」っていうほうが想像に難くないし。

 結局、アキトがユリカの元に(断じてルリのところではないぞっ)戻るのは時間の問題なのではないかしらん。まさか、身体を治すまで帰らないということはないでしょう。だいたい戦艦の中で治るもんかい。それに、アキトの行く場所はネルガルの基地なのでは? となれば、なんのためにアキトは姿を隠したのか、どこに隠すべきなのかという疑問をつきつめていくと、どこにも逃げ場はないのでは?


 真剣に思います。アキトのユリカへの愛、それ故の復讐劇ではなかったのか。ユリカを取り戻すために、スペースコロニーを破壊し、人を殺してきたのではないか。危機に瀕してその顔を思い出し、がんばれたのではないか。それが、ユリカの悲惨な状況と、自らのまた悲惨な状況と相まって、何とも言えない、切ない、本当の意味での「哀しみ」を我々に与えていたのではないか。

 だから、アキトはユリカに会わなければならなかった。思い出したその笑顔、その笑顔に会わなければならなかった。そして、自らの業、自らの罪を告白し、許してもらわなければならなかった。そして、きっとユリカは許してくれるだろう。そして、そんな身体になった自分をつつんでくれるだろう。……会わなかったのはアキトの逃げである。ユリカを信じられなかった、弱い男の逃げ。「アキト……アキトはどこ?」というユリカの言葉にすら答えられない男の。

 ちょっと気持ち入りすぎましたが、でも、このような「信念」によらずとも、私は、最後でアキトはユリカと再会するものだと信じてました。まず、単純に話の流れの上での解決として。両者が生きていて、同じ場所と時間にいれば、当然に再会するでしょう、と。そして、劇場版でのアキトの行動。ユリカを救うためなら手段も選ばないという行動や、なにより、危機に瀕してのユリカの笑顔が脳裏に出てくるというシーンなど、それらを見て、最後は抱き合って終わり、というようなエンディングを無意識に期待していました。だから、「アキト……アキトはどこ?」とユリカがいうより先に、アキトはどこだ? と私は思いました。そして見たのは、何者かが去っていくシーン。誰だ……? これは、本当に誰だと疑問に思いました。そして、それがアキトであると気づいたときにはスタッフロール……嘘でしょ?

 ちなみに、氷神氏が言っていた「成瀬氏が云ったように幼稚でもいい、単純素朴と云われてもいいから、ユリカとアキトの激涙の夫婦再会シーンを見たかった」というのは、見れなかったことへの悔しさを述べたもので、正直な心情は、「見たかった」のではなく「見られると当然に思っていた」ということです。


 さて、ちょっと視点を変えましょう。ここから「第二印象」と関連します。

 続編を作るにしては予定調和に過ぎる終わり方をする理由、それはどこにあるのか。さまざまなエンディングが想定できますが、これがベストという終わり方はないとおもいます。意地悪な言い方をすれば、どうとでも終わることができる、と。

 とすれば、誰にとってベストな終わり方であるか、という視点がここにあるわけで、それは、この映画の双翼の一つを担う人物、つまり、ホシノ=ルリにあると思います。これは、私がルリそのものをうんぬん言うわけでなく、アキトを想うルリの話であれば当然に考慮すべき事柄であるからということです。

 一言でいいます。あの映画はルリの笑顔でおわらなければならなかった。だから、アキトはユリカの前に姿を現してはならなかった。なぜなら……痛いじゃないですか、思いを寄せる人が、他の女と抱き合って喜ぶ姿を見るのは。

 アキトがユリカと再会するエンディングと、ルリの笑顔で終わるエンディング、これを二者択一で選択するとすれば、後者が劇場版では適当な終わり方でしょう。仮にアキトだけの話であれば、前者もあり得たし、そうでなければカタルシスはない(なくてもいい、という意見もあるんでしょうけども)。しかし、ルリも一翼を担っている、むしろ、ルリの話にアキトが添え物として現れたというストーリーでは、やはりルリで終わらなければならないのです。最後のカットでユリカの笑顔……みたかったですが、やはりユリカの顔ではストーリー自体が嘘になってしまう。


 しかしですね、とふたたび話し言葉モードに入りますが、ルリの成長というのがテーマなら、ルリがアキトを「喪失」するというのもありだと思うんですね。ちょっと書いてみますか。


「エステバリス……アキトの……」
ミナトの制止を払い、ユリカは身体を起こして砂ホコリの向こうへと目を凝らした。ねむっていた脳細胞、それらを一気に目覚めさせる、アキトのエステバリス……
そして、その前には、黒いマントを被った男がいた。ユリカの瞳が大きく見開かれる。
「アキト……アキトね!」
身体に被せられていた布、それをはねのけて、ユリカは起きあがり、駆け出した。ルリの横、リョーコの横、ヒカル、イズミの横をすり抜けて、彼女は裸身をさらして黒い男へと駈けていった。
黒い男……アキトの顔がほころんだ。かれは両腕を広げてくれた。ユリカはその中に飛び込み、そして優しくつつまれた。胸に顔を埋める。
「……うっアキト……」
言いたいことがたくさんあるのに、なにも言葉が出てこない。すべて涙で消されてしまう。ただもう、アキトと呼ぶだけしかできなった。
「ごめん、遅くなって」
アキトの口調は、ユリカの知っているとおりの優しい口調だった。彼女は顔を上げた。
「……顔……」
アキトの顔にモノパターンがきらきらと浮かんでいた。彼は一瞬顔を曇らせた。そして、何かを言おうとしたとき、ユリカは、その唇を、唇でふさいだ。

「……いいな、夫婦って」
ユリカとアキト、二人を遠巻きに見ながらミナトがつぶやく。そして、ふとルリをみやった。
ルリは、じっと二人の様子を見ていた。
さわやかな笑顔で、じっと。


 私は素人なのでこの程度しか思い浮かばなかったのですが、アキトとユリカを救済し、かつルリの万感の思いのこもった笑顔をもひきだすということは、本当に不可能だったのでしょうか。そういう意味で、やはりユリカは「棄てられた」キャラなのでは、と悲しくなるのです。


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