第三章


 

8’

 

 ナデシコcが発進した、その数時間前……

 宇宙港のロビーで、ガラス越しに旅客機を眺めながら、ルリはたたずんでいた。

 その出で立ちは、オールドファッションなものだったが、ごく普通の少女のそれと変わらない。

 旅客用のシャトルが、一機、飛び立った。

 あの6月、あの土曜日……。

 あの時も、ルリはここから見送った。

 そして、一人は戻らなかった。

「……アキトさん……」

 ルリはポケットに右手を忍ばせた。

  ☆

”平気です……一人にしておいてください……”

”だめよ、ルリルリ、うちに来なさい”

 あの日……テンカワアキトとの思いがけない再会を果たした日、そして、再び腕からすり抜けていったあの日、ミナトがルリを自分の家に、なかば強引に連れ帰った。

 家では白鳥ユキナが一人のけ者にされたことを怒っていた。だが、ミナトがなにやら耳打ちすると、すぐさま笑顔になり、ルリに家に上がるように言った。

 その晩は、ルリにとって久しぶりの家族団らんだった。

 けれども、どうしても笑顔を作れなかった。

”ルリちゃん、俺たち、家族だからね。どこにいても、家族だから……”

 アキトの結婚をきっかけにアパートを出る際に、彼はそう言って見送ってくれた。

 その声が頭を過ぎる。

「……家族だから、そばにいて欲しい……アキトさん……」

 夜、三つ並んだ布団の端で、ルリはそうつぶやき、枕に突っ伏して声を殺し、泣いた。

 次の日、ルリが目覚めると、既にミナトとユキナの姿がなかった。

 時計は10時をまわっていた。

 台所に行くと、置き手紙と共に朝食が置いてあった。

”よく寝ているので、起こせませんでした。ごめんね。学校が6時頃ひけるから、そうしたら3人でどこかへ食べに行きましょう。 ミナト”

「……ごめんなさい、ミナトさん……」

 ルリはミナトの家を辞した。

  ☆

 午後、ルリはネルガル会長室で、アカツキナガレと対面していた。

 ナデシコcのクルーに関しての最終的な確認を済ませ、宇宙軍本部を出て歩き出したとき、1台のリムジンがルリの横を過ぎ去り、そして、前で止まった。

 はっとして身構えるも、防弾処理がされている窓が開くと、そこにはネルガル重工会長であるアカツキナガレが顔を見せた。

「いやあ、ルリ君。ひさしぶりだねぇ。せっかくだから、お茶でも飲みに来ないかね」

 その言葉に従い、ルリはこうしてここにいる。

 対面ではアカツキナガレが、ソファに身体を埋めて足を組んでいる。

 不遜な表情はかつてと何ら変わるところはない。

「……本当は僕も参加したかったんだけどねぇ。ちょっと抜けられないパーティーをする事になっちゃったからさ。まあ、同窓会はまた今度参加させてもらうよ」

 髪をかきあげながら、アカツキは言った。

 だが、ルリはその言葉をまるで上の空で聞いていた。

 そして、彼の話が一段落するのを見計らって、ルリは切り出した。

「あの……」

 アカツキの目に、好奇と興味が浮かんだ。

「なんだい?」

「私は、アカツキさんにお聞きしたいことがあります」

 ルリの目に、決意とも言える光が宿った。

「アキトさんは、ネルガルによって救出された……と言って、いいですか?」

「ああ、いかにも、そのとおりだよ」

 別段、悪びれる様子もなくアカツキは答えた。

「アキトさんを助けていただいて、ありがとうございます。でも、どうして……ネルガルはアキトさんを助けたのですか?」

「どうして?……んー、人の命は地球よりも重いっていうからねぇ……」

 上手いとは言えない演技でアカツキはとぼけて見せた。

 だが、ルリは少しも動じることなく言い放った。

「ネルガルがそんなに善良な企業だとは思えません」

 くくっと、アカツキは苦笑いをした。

「相変わらずキツイねえ、ルリ君……じゃ、ブラックサレナのパイロットとして欲しかったってのはどうだろう」

「ブラックサレナ……」

 ルリはそうつぶやき、続けた。

「確かにアキトさんはパイロットとしても優秀だと思います。ですが、そのためにわざわざネルガルが動くとは思えません。アキトさんと同程度か、それ以上のパイロットを雇う方が簡単だと思います。もっと別の理由があるのではないですか?……私やユリカさんに、アキトさんが生きていると言えないような理由が」

……アカツキの顔から笑みが消えた。

 ルリの金色の瞳が、かすかに怒りに揺れた。

「あの事故……アキトさんが亡くなったとされた事故が起きてからしばらくして、ナデシコcの実験が月からサセボシティーに変わりました……もしかしたら、その時すでにネルガルはアキトさんを助け出していたのかも知れません。そして、直後にナデシコcの仕様が変更されました。単独でボソンジャンプを可能にすると……。A級ジャンパーの協力がなくてはそんな実験をすることはできません。偶然でしょうか。そうとは思えません。……ネルガルは、実験データが欲しいから、アキトさんを助けたのではないでしょうか?」

 アカツキは無言だった。

「そうだとすれば、2年間、アキトさんが生きているのを隠していたことも、納得がいきます。ネルガルのやっていることは、”火星の後継者”と同じです。そうやって……アキトさんと、ユリカさんの思いを踏みにじってできたナデシコcなんか……そんなものに、私は乗りたくありません」

 ルリは高ぶる感情を制し、静かに言った。

 すると、不意にアカツキは寂しそうな笑顔を見せ、視線を落とした。

「……約束だからね」

「約束……?」

 その意外な答えに、ルリは不審な顔をする。

「艦長のあのセリフ……僕には痛かった」

”アキトのこと、しっかり守ってください。お願いしますね”

 ルリははっとして、その言葉が意味することを理解した。

 それは、ネルガルがテンカワアキトを救出するという決定、その判断を決めた一言だったのだ。

「……まあ、別に僕は善人じゃないし、ネルガルも善良な企業とは言えない。テンカワくんを使ってヒサゴプランに対して”嫌がらせ”をしたのも事実だし、奴らとの戦闘データを採ったのもそうさ。そのおかげでナデシコcができたことも否定はしないよ」

「……でも、せめて生きていることぐらいは教えてくれてもいいと思います」

「一連のコロニーの破壊は、テンカワ君が死んでいなければできない行動だよ。彼が生きているとわかれば、おのずと実行犯として疑われるさ。だから、テンカワ君を犯罪者にするわけにはいかなかった。それに……教えないというのが、彼の意志でもあったし、また、僕の意志でもあるからね。もし君たちがそれを知ったら……」

 アカツキはルリを一瞥する。

「……ま、そんなことはいいか。一つだけ言わせてもらえば、彼のおかげで、今回のクーデター騒ぎは小さくて済んだ。これをどう思うかはルリ君に任せるよ。しかし……」

 そして、独語のようにアカツキはつぶやいた。

「……人の執念……みせてもらったよ」

 ルリは何も答えなかった。

「……おっと、時間だ」

 アカツキは時計を見る素振りを見せて立ち上がった。

「落ち目でも、会長職というのは、相変わらずいそがしいものでねぇ……」

「あの……」

 ルリも立ち上がった。

 するとアカツキはその気勢をそぐように、軽薄な口調で言った。

「”火星の後継者”の連中が地球に来るからって、明日その歓迎パーティーをすることになってね。その余興の準備さ」

「それって……」

 ルリはその言葉の意味を理解して絶句した。

 ”火星の後継者”の地球侵攻……。

「ミスマル総司令も余興に参加してくれるというし、これは楽しいパーティーになりそうだよ」

 そう言って、再びアカツキは不遜な笑みを浮かべた。

  ☆

 ガラスの向こうに、ミナトの姿が映った。

「お待たせ、ルリルリ」

「ミナトさん……」

 ポケットから右手を出し、ルリはミナトの元に歩き出した。

 並んで椅子に腰掛ける。

「……なんか、嫌な予感がするのよね……」

 ぽつりとミナトが言う。

「何がですか?」

「ユキナのこと。……なんか胸騒ぎがして、学校に電話を入れてみたら、あの子、今日は重症の宇宙おたふく風邪をひいたとかなんとか言って、休んでるらしいのよ」

……昨夜、ルリはミナトの家に戻った。

 アカツキの手配したリムジンがミナトの家のまえにとまり、ルリは車を降りた。そして、何事かとあわてて外に出てきたミナトとユキナに、笑顔でただいま、と言った。その後、市内のこじんまりとしたレストランで夕食をとり、ルリはまたミナトの家に泊まることにした。

 出立の日である今朝、ユキナは明るい笑顔で手を振って二人を見送った。彼女がかなり行きたがっていることを知っていただけに意外な感じもしたが、何かミナトの説得でもあったのだろうと、そのまま考えないことした。

「……そんな病気、私は知らないわよ」

 呆れた顔をして、ミナトがぼやく。

「私も知りません……でも、信じましょう」

 ルリは右手でポケットを探り、そして四つ折りの紙片を取り出した。

「……それは……」

 ミナトが少し驚いて声をかける。

「はい、アキトさんのラーメンのレシピです」

 ルリはごく普通に応えた。

「これは、ユリカさんに渡さないといけません」

「そっか……」

 ミナトはそのまま遠い目をした。

 ルリは、さわやかな微笑みを見せた。

「私は、アキトさんを信じます」


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