第４章
「……ナデシコｃ艦首直上、ボソンジャンプ反応！」
突然、ハーリーがウィンドウボールを消滅させ、興奮気味に叫ぶ。本来の役割を奪われて拍子抜けした表情のユキナを横目に、ユリカは冷静に指示を出す。
「……識別、出して」
ハーリーは、ぐっと息を飲み込み、叫んだ。
「……ネルガル重工製、所属不明機、ブラックサレナです！」
微妙な温度差をもった二つの緊張が、艦橋に走った。
５
濃緑色の光が一閃する。
燃え立つ陽炎のように揺らめき、残像のような陰を映す空間。
漆黒の装甲に包まれたその姿が現れる……黒百合の名を負うその機体が。
ユリカはバイザーを外し、ナデシコｃのメインスクリーンに映るその姿を凝視していた。思兼のアクティブセンサーが自動的にスクリーンを光学式のそれに切り替えていたのだった。
「……総員、対ショック準備」
スクリーンから視線を動かさず、冷静に指示を出す。
「えっ、艦長、回避しないの？」
操舵席からハルカミナトのとまどった声が聞こえてくる。
「ええ、間に合いません」
そして、天を仰いで独り言をつぶやいた。
「真上かぁ……」
その声は、重低音の金属音にかき消された。
ナデシコｃの船体が一瞬揺れる。
ブラックサレナが、艦橋の目の前に着艦していた。
光学式スクリーンが漆黒の色彩に埋め尽くされる。
艦橋をしばしの静寂が包んだ。
「……データ、送りましょうか？」
不意に艦長席からルリが尋ねてきた。振り向くと、ルリのウィンドウボールは消えていた。
「ううん、たぶん受け付けないと思う」
ユリカは軽く首を横に振った。
そうですか、とルリは応えた。
そして、怪訝そうな顔を見せるハーリーに向いた。
「ハーリーくん、敵のナビゲータによるイメージ伝達は封じたの？」
やや柔らかい口調で尋ねる。
ハーリーは笑顔を見せた。
「ばっちりです」
「うん、ご苦労さま。あとは地球と月の人たちにがんばってもらいましょう」
凛とした笑顔を見せるユリカ。慰労の意味もあるが、もう一つ別の意味もあった。
”火星の後継者”に属するＡ級ジャンパーによる、遺跡へのイメージ伝達を封じたということは、地球および月に展開した反乱軍部隊を孤立させたことを意味する。したがって、あとは個別に撃破していけばいい。連携を欠き、補給を断たれた部隊を敗るのはたやすい……退路を断たれた”窮鼠”を刺激しないようにするぐらいの才覚は期待して当然だろう。
……再び、ぐらりとナデシコｃが傾く。
ブラックサレナが、ナデシコｃの後方から迫る７機の敵に向かって飛び立った。
直ちに格納庫のアオイジュンからのコミュニケが開いた。
「艦長、あのマシンは敵なのか？」
それに応えようと思った瞬間、今度はパイロットスーツのスバルリョーコのコミュニケがその横に開いた。
「ばっかやろぉ、あれは敵じゃねえよ！ 出るぞ！」
そのままコミュニケが消える。
とまどった顔を見せる元副長に対し、ユリカはいつもの凛とした笑顔を見せた。
「敵ではありませんよ」
「では、あれは一体……」
ユリカは一呼吸おき、表情を固くして言った。
「敵ではありませんが、味方でもありません……敵の敵であると認識します。特に援護の必要を認めませんが、それは、現場の判断にお任せしましょう」
了解という言葉と共に、コミュニケが切れる。
ユリカは操舵席のミナトへ向き直った。
「ミナトさん、エステバリス４機が離陸した後、ナデシコｃを火星に着陸させてください。ここにいても、敵の的（まと）になるだけです」
「りょぉかいっ」
ミナトは頼もしくも明るく応えた。
それを見て、ユリカはくすっと笑い、そして再びスクリーンに向き直った。
漆黒の機体が、半円型の構えを見せている敵７機に向かっている。
右手が、おのずと胸元のペンダントに伸びた。
☆
ハンドカノンを両翼の”六連（むづら）”に向けて撃つ。命中するかしないかは関係がない。これは陽動。狙いは中央の赤い機体”夜天光（やてんこう）”。ブースターの出力を最大まで上げて突進する。機動力と推進力の点では、いくら脚部を省略して重量をかせいだ六連も、”黒百合”には及ばない。完全に翻弄される形で、六機の六連はその場から微動だにしえず、夜天光への道ががら空きになった。
減速することなく、黒百合は赤色（せきしょく）の機体へと突進していった。
ハンドカノンを下ろし、右腕のアンカークローを向け、狙い澄まして夜天光に機体を激突させる。
対衝撃限界を超えたすさまじい反作用が、黒百合内部にはねかえってくる。
だが、右手には何も感じなかった。つまり、外したということだ。黒百合が夜天光に抱きついた形になっていた。
やむを得ず、そのまま推進力に任せて夜天光を抱え、空へ向かって飛び上がる。速度は当然先ほどよりも鈍いし、何より打つ手がない。時間稼ぎとしても下策と言えるだろう。
すると、夜天光は錫杖を両手で持ちかえ、黒百合の首許にあてがった。ぐぐっという力が首許に働く。黒百合の推進力は馬力の犠牲の上に成り立っている。肉弾戦となると黒百合には分が悪い。黒百合は完全に押し切られ、逆に上から抑え込まれる形になってしまった。その体勢から逃れるために自らの腕を引き剥がそうとする。だが、夜天光の脇によって固められていた。逃れられぬまま、錫杖はなおもゴリゴリと黒百合の頸部を圧迫する。ヒザを繰り出したが、夜天光との間合いが狭すぎて思うように機体を動かせない。
とっさに黒百合は尻尾にあたるテールバインダーを振り上げた。意表をつかれたのか、夜天光はそれに反応することができず、頭部に直撃を喰らった。その隙を見逃さず、黒百合は機体を離した。夜天光はすぐに立ち直り、錫杖を振り下ろした。しかし、黒百合は杖を持つ左腕の付け根に向けてハンドカノンを撃ち込んだ。夜天光はそれに反応して機体をひねったが、間に合わなかった。
爆発による煙が晴れたあとに現れた左腕部は、錫杖を持っていた手首から先を喪失していた。
夜天光は間合いを取るため、その宙域から急速に離脱した。爆発の衝撃で後方にふっとんでいた黒百合も、体勢を立て直して夜天光を追いつめにかかる。
だが、その動きは側面からのミサイル砲一団によって止められた。寸でのところで全弾回避した黒百合が向き直ると、六機の六連が夜天光への進路をふさぐ形で黒百合に迫っていた。六連たちに対し上空に位置する黒百合は、ハンドカノンを下方に向けた。だが、六連の背後には、白く輝く戦艦が見えた。思わずハンドカノンの照準を外す。錫杖を構えた六連が迫る。
その時、センサーが新たな４機の姿をとらえた。識別は連合宇宙軍所属・ND-001ナデシコ所属エステバリス。そのうち一機のエステバリスが大型のレールキャノンを構え、そして六連に対して発射した。六機の六連はそれをかわした。その間隙を見計らい、黒百合は急速に降下をはじめて夜天光を追った。４機のエステバリスはそれぞれ六連との戦闘に入ったことを、センサーが知らせている。
しかし、戦闘にあぶれた２機が、執拗に黒百合を追いかけてきていた。間合いをとり、ミサイル砲を寸断なく撃ち込んでくる。セオリーどおりの回避運動が半分と、戦闘における勘が半分でそれらを避けていたが、一瞬、その勘が鈍った。ぐんという前につんのめるような衝撃が走る。センサーは左ウィングの破損を示していた。
黒百合はそこで身体を反転し、ハンドカノンを構えた。既に至近距離にいた１機の六連が錫杖を振り下ろす。黒百合はそれを完全に見切って避け、そしてハンドカノンの発射口を六連の胸部に接触させた。躊躇せずに撃ち込む。零距離射撃を受けたその機体は、どす黒い煙を噴いて地上に落下し、やがて爆発した。
その爆発を黒百合は見届けられなかった。爆発した六連を囮として利用したのか、別の一機が背後に回り、腕を羽交い締めにしてきた。裏をかかれた黒百合の反応は既に遅く、じたばたとあがいてもどうにもならない。
ところが次の瞬間、ふっと力が抜け、するっと機体が抜けた。振り返ると、羽交い締めにしていた六連の背後には、緋色のエステバリスがいた。スバルリョーコ機であるとセンサーは示してた。黒百合が六連から離れると、エステバリスは右手に持っていたガトリング砲を容赦なく六連に撃ち込み続けた。六連はその場で爆発した。
そして、夜天光の追跡を再開する。夜天光はナデシコの方へ逃げている。ハンドカノンを撃ってその動きを牽制しつつ、追いつめにかかる。夜天光はナデシコと”火星の後継者”基地との間にある地表に降り立った。黒百合も間合いを保ちながら、地上に降り立つ。
強い風が、火星の赤い砂を運んでいた。
その砂の向こうに、赤い機体がいる。
黒百合は、静かにその場に立っていた。
☆
ナデシコｃの艦橋もまた静寂に包まれていた。
ユリカは微動だにせず、スクリーンの向こうの動きを見守っている。
エステバリス隊はほとんど無傷で敵のマシンと戦闘を続けている。残りはあと２機。これを４機であたっているのだから、こちらはパイロットの技量を考えれば安心していていいだろう。
「……援護させますか？」
艦長席からルリが声をかける。ウィンドウボールは消えている。
「いいえ、要りません」
ユリカは胸元をまさぐり、そして付け加えた。
「信じてるから……」
「そうですか……」
そのつぶやきと共に、ルリの周りには再びウィンドウボールが形成された。
すると突然、ハーリーが振り向いて艦長席を見やった。
そして、釈然としない顔を見せながら、自らもウィンドウボールの中に身を置いた。
☆
”ハーリーくん”
”えっ……あれ、艦長……？”
”ウィンドウボールを形成してください”
”あ、はい。わかりました……”
”そんなに驚かないでください。これは思兼を通じての会話です。他の人には聞こえていません”
”わかりました……でも……”
”ハーリーくんにお願いがあります”
”何ですか？”
”もし、あのブラックサレナが倒されたら、その時は、敵の基地に対して相転移砲を発射してください”
”ええっ！”
”さきほど、相転移砲のトリガーをハーリーくんに譲ってしまいましたから、私には撃てません”
”しかし、それは命令違反です！”
”かまいません。責任はすべて私がとりますから、ご心配なく”
”そんな……ちょっと待って、落ち着いてください、艦長”
”私は落ち着いています。ですから、ハーリーくん、あなたにお願いしています”
”……え？”
”落ち着いてなかったら、もうとっくに撃ってますから”
”か、艦長！ 悪い冗談ですよ。やめてください。いくら叛逆者だからって言っても、そんなことが許されるはずがありません”
”それは私もわかっています。私のしようとしていることが正しいだなんて、思っていません。ですが……さすがに２度は耐えられません。今度は目の前でですから、もう希望も持てませんし。あの人のいない世界にいても仕方ありませんから。それに、あの人を失ったあの人を見るのも、もう疲れました”
”僕には、艦長が何を言っているのかわかりません！”
”私のせいだからですよ。あの時……”
”あの時？”
”何でもありません。相転移砲、よろしく”
”……教えてください”
”なんです？”
”ブラックサレナのパイロット……やっぱり、テンカワアキトさんなんですね”
”……そうです”
☆
砂塵が一時（いっとき）晴れる。
”黒百合”がハンドカノンを外した。それに呼応するように、夜天光もミサイルポッドを離脱させた。
そのままぐっと腰を落とす。
ブラックサレナも、構えに入る。
そのまま数秒……まるで機械の呼吸が伝わるかのように、微妙な律動が辺りを漂う。
一言二言、言葉を交わしたぐらいの間合いを見せ、夜天光の機体が動いた。
右の拳を握り、そのままの姿勢で突進する。
黒百合はその場で迎え撃つ構えを見せている。
左から来るであろう夜天光の動きに合わせ、左の脇を上げる。黒百合と夜天光との高さを考慮した上での、頭部への打撃を狙ったもの。
だが、果たしてそれは早過ぎたのか。
左脇ががら空きになった１秒もない隙をついて、夜天光の右の拳は黒百合のコックピットへと伸びていった。
金属音が響く。
摩擦音……打撃音ではなかった。
夜天光の拳は黒百合の左胸の装甲をえぐっていた。無惨にも基盤を曝せ出させはしたが、それは、ただえぐっただけだった。
次の瞬間、黒百合の懐から右拳が伸び、夜天光のコックピットを貫く。
夜天光は、その瞬間、すべての動きを止めた。
黒百合はゆっくりと確かめるように拳を引き抜き、そして後方に離れた。
夜天光は力無く地面に崩れ落ちた。機体は爆発をいくつもいくつも繰り返し、屍となったその身を焦がしていった。
黒百合は天を仰いだ。
☆
ナデシコｃのメインスクリーンは、ブラックサレナの動作を捉えていた。
ルリとハーリーのウィンドウボールも消えている。
ハーリーは安堵混じりのため息をつく。
だが次の瞬間、ＩＦＳから流れ込んでくるセンサーの情報を察知し、大声を上げた。
「ブラックサレナ、ボソンジャンプフィールドの形成を開始しました！」
漆黒の機体の輪郭をなぞるように、微かに緑色の光が淵で鈍く輝きはじめた。
しかし、ユリカは視線をスクリーンに向けたままゆっくりとナビゲータシートに座り、そして、我関せずという口調で静かに告げた。
「エステバリス、帰還させてください。ナデシコｃはこの場で待機します」