第２章

７

　翌日、昨日の疲労が残っているという理由で朝寝を楽しんでいたユリカのもとに、連合宇宙軍統合参謀本部からの緊急の召集が入った。

　やや緊張の面もちでユリカは軍司令部ビルに入り、そのまま会議室に向かう。

　ドアの前で髪やケープや階級章の位置を整え、ユリカはドアを開けた。

「テンカワ准将、入ります」

　そこには、総司令である父コウイチロウとムネタケ参謀長、秋山少将、そして……鮮やかな彩りのスイカが待っていた。

「おお、ユリ……いや、テンカワ准将、よく来たね。ささ、座ってスイカをおあがり」

　その父の言葉に、ユリカは精神的に３歩よろめいた。

「昨日、実にうまいスイカが手に入ってね、これはみんなで食べないともったいないと思って、持ってきたんだよ」

　ユリカは笑顔を少しひきつらせて言った。

「……緊急の用件って、スイカのことなんですか？」

「いや、テンカワ准将。たかがスイカ、されどスイカ。さすがに地球の果物はうまいが、これほどまでに美味いスイカを、私は食べたことがない」

　秋山が豪快に言う。

「うむ、ほどよく水気と甘みがあって、そのバランスがとれたいいスイカだよ、准将」

　ムネタケ参謀長が眼鏡をなおしながら、食通ぶりを見せる。

「あとでルリ君とアオイ君もくるし、そうしたら用件に入るとして、まあ、とにかく、座っておあがりなさい」

　あきれながらも、ユリカは父の言葉にしたがった。

「……そういえば、昨日の夜はどこへ行っていたんだい」

　スイカを手に取ろうとしたとき、コウイチロウが尋ねた。

「昨日は……は、ははは……」

　イズミのステージが引けた後、３人で再会を祝して乾杯をした。そこまでは良かったのだが、リョーコが泥酔してしまい、それをイズミが悪酔いしそうなギャグでさらに悪化させ、飲めないユリカがリョーコを介抱して宿舎に送ったのはいいが、その先でリョーコにからまれて大変な思いをしたのだった。

「……何回も電話をいれても出ないから、心配したんだぞ。若い娘がそんなに夜遅くまで出歩くなんて、父さん、感心しないな」

「コミュニケで連絡をしていただければよかったのに」

「いや、私はこれでも厳格な人間だからね。公私混同は避けたいと思っている……ん、どうしたね、秋山くん」

　むせってせき込んでいる秋山を、コウイチロウは平然と気遣った。

　しばらくして、ルリとアオイジュンも集まった。

「……では、みんな集まったところで、本題に入りましょうか、総司令」

　ムネタケの言葉に、顔を引き締めたコウイチロウが大きくうなずいた。

「昨日、統合軍第五艦隊が、火星の後継者を名乗る賊に撃破された」

　えっ、とジュンは声を上げて驚いた。

「火星への遠征軍を、すでに出していたのですか？」

「いや、それは違う。ごく大ざっぱに言うと、地球と火星の中間の位置に、統合軍……元とつけるべきかな、統合軍第三艦隊の一部がいて、それを攻撃したのだよ」

　ムネタケが補足する。

　ユリカは首を傾げた。

「火星の後継者は、火星の極冠遺跡を占拠したんですよね。だとしたら、どうやって、第五艦隊を撃破できるんです？」

　コウイチロウは厳しい顔をした。

「それが、だ。直前の交信記録によれば、一個艦隊がボソンアウトしてきたと言うのだ」

「一個艦隊の、ボソンジャンプ……」

　ユリカは驚きのあまり絶句した。

「”火星の後継者”は、すべてのＡ級ジャンパーを実験に供したわけではないですからな。自らの意志、説得、脅迫……まあ、なんでもいい、とにかく、賊に協力するＡ級ジャンパーも多かったということです……あ、いや、その、准将」

　いつの間にか沈鬱な面もちでスイカを見つめているユリカを見て、秋山があわてた。大丈夫ですよ、とユリカは笑顔で断った。

「つまり……」

　ルリがハンカチで口をぬぐって言う。

「つまり、ナデシコｃを急いだ方がいいということですね」

　ムネタケがうなずいた。

「既にネルガルの方には話をつけてある。ナデシコｃは既に全工程の９０％を終了し、あとは外装や内装などの戦闘に関係のないところを残すまで仕上がっている。問題は……」

「思兼ですか」

「そう。動作実験ぐらいは最低でもしなくてはならないだろうし。そこで、そのチェックのため、マキビハリ少尉に、明日、月のネルガルの研究所に向かってもらうことにした」

「私ではないのですか？」

　不審な顔をしたルリに、コウイチロウが答えた。

「うむ、それも考えたのだが、動作確認のためにルリ君を派遣するまでもないと思ってね」

「なるほど……わかりました。マキビハリ少尉に行ってもらいます。ですが、月まではどのようにして行くのですか？」

「なに、Ａ級ジャンパーのナビゲートによる、長距離のボソンジャンプとか聞いている」

　すると、発言者であるムネタケを除く一同の視線が、スイカを口に運ぼうとしていたユリカに集まった。

「えっ、えっ……私ですか？そんな話、聞いてませんよ」

「いや、私もそんな話は聞いてないよ」

　すました顔でムネタケが答える。

「そうですか……Ａ級ジャンパー、地球にまだいるんですね……」

　ユリカは安堵の笑みを浮かべた。

　こほん、とコウイチロウは軽く咳払いをする。

「うむ、では明朝９時にヒラツカシティーにあるネルガルの研究所に向かうよう、ルリ君から伝達を頼むよ」

　わかりました、とルリは応えた。

　　☆

　梅雨晴れの太陽が強く照りつけていた。

　都心にほど近い広大な敷地を有する公園の広場は、昼下がりということもあってか、人影はまばらだった。

　ユリカは木陰のベンチにひとりすわり、緑茶の缶を手にしていた。

　ふと、缶の表面に目をとめる。

　それをじっと見つめ、ユリカはつぶやいた。

「……赤ちゃん、楽しみですね、か……」

　旧市街地、中小工場群が密集する下町然とした雰囲気の残る中に、その整備工場はあった。

「……お出かけなんですか」

　がっかりしたのを見せないように、つとめて明るくユリカは応えた。

「ええ。ちょっと、町内会の寄合で……」

　玄関先で応対したウリバタケの妻は、困惑したような、そして、どこか後ろめたい顔でそう答えた。

　家の中では小さな子供がふたり、きゃっきゃと声を上げて走り回っていた。

「……あの、何のご用でしょうか」

「あ、いえ、何でもありません。ちょっと近くまで来たものですから」

　ユリカは悟られぬよう明るい笑顔でそう答え、続けた。

「赤ちゃん、楽しみですね……」

　ふうっとため息をついて、視線を落とす。

　その時、ふと、あることに気づいて視線を横に移した。

　ベンチ脇にある自動販売機、その前に見知らぬ少女がいた。

　白く大きな帽子に同じ色のワンピース。薄桃色の長い髪を揺らし、必死に販売機のボタンを何度も押している。だが、押せども押せども、販売機は何も反応しない。

　その光景に、ユリカはきょとんとした。

　少女の押しているボタンは点灯していなかった。ユリカが緑茶を買ったときは正常に動作していたのだから、少女はお金をいれていないことになる。

　それでもなおボタンを押し続ける少女。どうしていいのかわからないという、とまどいと焦りが見て取れた。

　ユリカは立ち上がり、少女のそばに歩み寄った。

「どうしたの？」

　すると、少女はビクッとしてユリカの方を振り返った。

　印象的な光を放つ金色の瞳、そこには未知の人間に対する畏れがあった。

　ユリカはにっこりと笑って身体をかがめ、少女の目の高さに合わせた。

「ジュース、欲しいの？」

　少女がコクッとうなずく。

「そっかぁ。まずお金を入れないとダメなんだよ……」

　そう言ってユリカがポケットに手を入れると、少女はすっと腕を伸ばしてきた。

　硬貨がのっている。

　うん、とユリカは微笑んでそれを受け取り、販売機に入れた。

　ボタンが点灯する。

「さっ、選んで選んで」

　ユリカが場所を空ける。少女は販売機の前に立ち、ついさっきまで何度も押していたボタンを、もう一度押した。

　ガシャガシャという音とともに、グレープフルーツジュースの缶が取り出し口にあらわれた。

　しゃがみ込んで腕を伸ばし、缶を取り出す。

　それをしっかり両腕で胸の前に抱えると、立ち上がってユリカの方へ視線を向けてきた。

　その表情は固かったが、それでも必死に自分の感情を表現しようとしていた。

「……アリガトウ……」

「どういたしまして」

　ユリカは笑顔で応える。

　そして、向こうのベンチへと歩いていく少女の後ろ姿を見送った。

　ユリカに対して背を向けるベンチに人影があった。少女がその前に回り込んで何かを話しかけると、その人影はおもむろに立ち上がった。うながすようにして、少女の肩に手をやり、そのままユリカに背を向けて歩き出した。

　その後ろ姿を、ユリカは見つめていた。

　その背中を、じっと追っていた。

　やがて二人が視界から消えると、ユリカはバイサーを取り出して表情を消した。

　　☆

　午後３時。

　ユリカは、とある中華料理屋の前に立って、その看板を見上げていた。

「『日々平穏』……ここだな。やっと見つけたよ。こんにちわー」

”準備中”という札のかかった店の引き戸を開ける。

「……いらっしゃい、艦長」

　ホウメイが、昔と変わらぬ力強い笑顔で迎えてくれた。

「どうもどうも。いやぁ、道に迷っちゃって、あはは……」

　ユリカは照れ笑いをし、店内を見回す。

　店内には他に誰もいなかった。

「あれ、ルリちゃんたち、帰っちゃいました？」

「ああ、今さっき、男の子を探しに行ったよ」

「……ハーリーくんかな。どうしたんだろ……？」

　口許に手を当てて思案するユリカ。ホウメイがまた笑って声をかけてきた。

「まあ、そんなところに立ってないで、おかけよ。何かつくってあげるよ」

「どうもすいません。いやあ、もう、お腹すいちゃって、あははは……」

……ホウメイが、中華鍋を振り上げる。

　ユリカはそれをじっと見つめていた。

「……あの子も、大変そうだね」

　ホウメイが、調味料を一さじ鍋にくわえながら言った。

「顔にはでてないけど、かなり無理してるんじゃないかい」

「そうですね……」

「あんたの艦長のときは、そんなに大変そうには見えなかったけどねぇ」

　ホウメイは豪快に笑う。

　ユリカもつられて笑った。

「ルリちゃん、艦長としては、私よりよくできてますから」

「よくできる、か……でも、それがあの子に無理をさせていることになっているかもしれないよ」

　その言葉に、ユリカははっとしてホウメイの言葉を待った。

「任務の重さ、周囲の期待……それを一人で抱え込んでたら、そのうちきっと壊れる。艦長がいるおかげで助かっている部分もあると思うよ。もし、あの時、艦長までいなくなっていたら……あの子、どうなっていたか……そう思うと、ぞっとするよ」

　中華鍋を大きく左右に振り、ホウメイは火をくぐらせる。一瞬、ぶわっと火柱が鍋の中から上がった。

「……火星にいくんだってね」

「はい」

「必ず、帰って来るんだよ。あの子のつらい顔、もう見たくないからね」

「もちろんです。必ず帰ってきます」

　ユリカはうなずいた。

　そこへ、店のドアがガラガラガラと音を立てて開いた。

「こんにちは……」

　ユリカが声の方へと振り向く。

　そこには、ハルカミナトが立っていた。

……カウンターに腰掛けるなり、思い出すようにミナトが言った。

「来るときにルリルリたちにあったよ」

「えっ？」

　ミナトは天井を見上げて記憶を探る。

「ルリルリと、男の人と……あと、あの男の子、ハーリーくん」

「ハーリーくん……どうしたんですか、ハーリーくん」

「それがね……やきもち焼いてたよ」

「やきもち？」

　言葉の意味がつかめずに、ユリカはきょとんとした。

「そう……艦長やルリルリがハーリーくんのこと信じてないって思っててね。それで、昔のクルーにやきもち焼いて……」

「そうでしたか……」

　自分に一因があることを知って、ユリカは視線を落とす。

　ミナトはつぶやいた。

「一途だね、ハーリーくん……」

「一途？」

　顔をあげると、ミナトはうなずいた。

「うん、一途……何だか、昔の艦長みてるみたいだった」

　その言葉に、ユリカはふふっと笑った。

　そして、ミナトはちょっと照れくさそうに切り出してきた。

「……それでね、私もナデシコに乗ることにしたから」

「ありがとうございます、ミナトさん」

　ユリカが頭を軽くさげる。

「うん、最初は顔だけ見て帰ろうかと思ってたんだけどね……ハーリーくん見たら、やっぱり行く気になった」

　そう言って、ミナトは遠い目をした。

「……ハーリーくん、いい子だね」

「そうですね、本当に……」

　ユリカもそれにならうかのように、ミナトと視線の先をあわせた。

　　☆

　いつものようにタクシーを宿舎の前につけ、ユリカは敷地内に入った。

　ゆっくりと玄関に向かう。

　だが、何歩目か踏みだした時、何かがぶつかったような軽い痛みが左のふくらはぎに走った。

「んっ……」

　その場にしゃがみ込む。

　すると、次の瞬間、銃声が轟き、弾丸がユリカの頭上をわずかにかすめた。

　はっとして、ユリカは地面に伏せる。

　足音、そして争う声が聞こえてくる。

”貴様……ネルガルの……”

”ミスマルユリカにこだわりすぎたのが、命取りとなったようだな”

”ふ……笑止”

”おとなしく投降しろ、北辰”

”……さらばだ”

”まて！”

　足音が去っていく。

　かわって、ユリカの耳に、聞き覚えのある低い声が届いた。

「大丈夫か、ミスマルユリカ」

「……大丈夫です。それに……」

　ユリカは起きあがって服についたほこりを払った。

「ミスマルではなく、テンカワです。ゴートさん」

　ゴートホーリー……その顔は、かつてよりもひときわ精悍さを増したように見えた。

「すまなかった。奴らが地球に来ているという情報を入手したのが１時間前だったから、警告の出しようがなかった」

「いいえ、助かりました。ありがとうございます」

　そして、落としたバイザーを拾い上げてかけ直す。

「お久しぶりです。ゴートさん、ネルガルにもどってたんですね」

「もともと私はネルガルの社員だ」

「そうでしたね。……あの人たち、なぜ、私を襲ってきたんでしょう」

「奴らの目的はＡ級ジャンパーの独占。だからだろう」

　するとユリカはバイザーから笑みをのぞかせた。

「それはわかってます。でも……いまさら私を襲っても、無意味ですよ」

　ゴートは微妙に眉の先を動かした。それに気づきながら、ユリカは続けた。

「”火星の後継者”に勝ち目はありません。ナデシコのクルーはほぼ揃いました。あとはルリちゃんと思兼がひとつになれば、ナデシコｃは無敵です。それに、私以外にもＡ級ジャンパーが地球にいるんですから……ゴートさんもご存じなんでしょう。私を守りにきたのではなくて、Ａ級ジャンパーを守りに来たのですから」

　ゴートは厳しい視線をユリカに送っていた。ユリカも臆さずに視線を合わせた。

「あの人たちの狙いは、私なんですか？」

「そうだ」

「本当に？」

　ゴートがいぶかしげな顔を見せる。

「どういう意味だ」

「……北辰っていうんですか、あの人たち、ボソンジャンプして地球にきたんですよね。でも、私を襲うためだけに、わざわざそんなことするんですか？」

　ゴートは無言だった。

「ゴートさん」

「……言っている意味がわからない」

「そうですか……」

　その時、門の外から、木連の白い軍服を来た長髪の男が現れた。

「ゴート、すまん。取り逃がした」

　ゴートは男へと振り向く。

「いや、行く先はわかっている。気にするな」

「……月臣、元一朗……」

　木連のクーデター後行方不明だった元木連少佐・月臣元一朗。そして、親友である白鳥九十九を暗殺した男。

　ユリカはわずかにバイザーを直し、月臣を見据えた。

　視線を感じた月臣も、ユリカをじっと見る。

”……ハーリーくん、いい子だね”

「助けていただいてありがとうございます。でも……私、まだ、あなたを許せそうにありません」

　そう言い残すと、ユリカは二人に背を向けて、建物に入っていった。