第3章
4
「誰がです?」
ユリカはゆっくりとフォトフレームを机に置き、声の主に向き合った。
そこには、驚愕しきったエリナの姿があった。
「あ、あなた、ここで何をしているのよ!」
だがユリカは、言葉ではなく、バイザー越しの冷然とした視線でエリナに応えた。
「いいこと、あなた、泥棒やっているのよ。これは犯罪よ、わかってる? ここで私が警備員を呼んだら、あなた逮捕されるのよ」
「……いいですよ、呼んでも」
ユリカは抑揚なく言い放った。
その態度に、エリナは動揺を見せた。
「くっ……本当に呼ぶわよ!」
「かまいません……そうなれば、ネルガルに宇宙軍が攻撃をしてきますよ」
「そんな……そんなこと、できるわけないじゃない!」
焦りに顔をゆがめるエリナ。
それをバイザー越しに悠然と見据えて、ユリカは続けた。
「ヒサゴプランは、反ネルガル企業によって進められた国家事業……それを攻撃する謎のマシンがいるとして、その目的は何でしょう?……ちょっと考えれば、ネルガルが裏で糸を引いているかもしれないって、子供でも推測できます。これって、りっぱな叛逆行為ですよね」
「わけのわからないことを、言わないで! 何を根拠にそんな侮辱を……」
「ブラックサレナとユーチャリス……ここで作っていたんですね」
ユリカのその言葉に、エリナは瞳を見開いた。
「……ハリ君ね」
「あ、言っておきますが、張本人はこの私ですから。お間違いなく」
ユリカは口許に笑みを浮かべた。
「だったら、あなたとハリ君の口を封じればいいだけのことよ!」
なおも虚勢を張ろうとするエリナ。
ユリカはふうとため息をついた。
「無駄ですよ。私に何かあったときは、ルリちゃんに情報が伝わる手筈になっていますから。それに、私ならともかく、ハーリーくんは、エリナさんには殺せません」
そして、ふふっと笑う。
「私のお父さま、連合宇宙軍の総司令ですし……眠らせて、遺跡に融合でもしますか?」
エリナが悔しさに顔を歪めた。
「……それが、あなたの目的だったのね……! ccの補修だとか……昔のボケたふりは、すべて擬態だったのね……」
だが、ユリカは平然として言った。
「違いますよ。そんなことはどうでもいいんです。そんなことよりも……」
フォトフレームに目を移し、それを再び手に取る。
愛おしそうにそれを見つめる。
「……写真、見つけました……」
それは、懐かしさのこもった、かぎりなく熱っぽい声だった。
すると、エリナはまたもはっとし、一気にまくし立てはじめた。
「か……勘違いしないでよ。ここにいるのは、木連の兵士だった男よ! 行くあてのない彼をネルガルがスカウトして、それでブラックサレナに乗ってもらっているの。あなた、木連の将校に人気があるから……それで、彼があなたの写真が欲しいっていうから、失敬してきたのよ!……ちょっと、あなた、聞いてるの!」
「……アキト……」
……突然、エリナがユリカの元に勇み寄り、その肩をつかんだ。
「アキト、アキトって、いい加減にしなさいよ! アキト君は死んだのよ!」
それを、ユリカがはねのけた。
「そんなの、絶対に認めません!」
「認めなさい! いつまでも……気持ち悪いわね」
「死んでいません!……ミスマルユリカにとってのアキトは、死んでいないんです!」
激烈な感情のこもった視線で、ユリカはエリナをにらんだ。
その迫力に気取らされ、エリナは一歩退く。
「だって……アキトが死んだら、ミスマルユリカは生きていられないんですから……」
そう言ってユリカはバイザーをはずし、寂しそうな貌をあらわにした。
フォトフレームを再び取り上げる。
そして、その中の彼に語りかけるように、ユリカは話しはじめた。
「……ラーメンの屋台を引いた王子さまが、私を迎えにきてくれました。白い馬に乗っていなかったし、着いた先も、お城じゃなくて、おんぼろなアパートの六畳一間。召使いもいないし、ごちそうもない。それでも……王子さまはやっぱり王子さまでした。私は……王子さまが来てくれて、うれしかった。そして、王子さまと一生幸せに暮らせると、信じていました。
朝起きて、アキトの頬にキスをして、朝ごはんを一緒に食べて、屋台をひいて……夜、一緒のお布団で寝て……幸せだった。こんな生活が、ずぅっと続くものだと思ってた。そして、いつか子供ができて……そして、小さくてもいいから、いつかお店を持って……そんな幸せが永遠に続くと信じていました。
でも……永遠なんて、やっぱりどこにもなかった……」
ユリカはぎゅっと拳を握った。
「……もう一度だけ、愛してるってアキトに言いたかった……もう一度だけ、愛してるってアキトに言って欲しかったのに……!」
こらえるように、叫ぶ。
そして、興奮した自分を落ち着かせるように一呼吸置き、ユリカは続けた。
「……アキトがこの世にいるのかいないのか、私にはわかりません。いるかもしれないし、いないかもしれない。でも、生きていれば私のところに会いに来てくれると思っていたから、やっぱり、もうこの世にはいないのかもしれない……でも」
きっと顔を上げる。
「アキトがこの世からいなくなったらなんて、私は少しも考えたことはなかった。アキトがいなくなったら、私も一緒にこの世から当然いなくなると思ってた。アキトがいない世界で自分が生きているなんて、想像したこともなかった!」
すべてを吐き出すように、ユリカは叫んだ。叫んで、肩で激しい息をして、ほとばしる激情を抑えた。
「でも……それでも、私はここにいて、こうして生きています……結局、私は、アキトがいなくても生きていける……そんな人間だったんです……」
視線をまた写真に落とす。
「それからです……アキトを感じなくなったのは。アキトのこと、何も感じない。夢にも出てこない……」
ユリカは、そっと写真の彼を撫ではじめた。
「ラーメンの屋台を引いた王子さまは、アマノガワの向こうに……私をひとり置いて、行ってしまいました。……私も行きたかった。でも、それを許してくれなかった。私にここで生きるように言って、王子さまは去っていきました。それが、私の幸せだったのに……もう、幸せは、どこにもない。私がこうして生きているのは間違ったことだと、そう思っていました。でも……」
彼に微笑みかける。
「私が生きていてうれしいと言ってくれる人がいました。私は、また幸せというものを感じることができました。その時、私はわかったんです。
シャトルが爆発した瞬間……あの時、あの瞬間に、ミスマルユリカは死にました。
私はもう、ミスマルユリカじゃない、テンカワユリカだ、と。
アキトは、いつも私と共にある。だから、アキトのことを何も感じないんだ。もうアキトがいなくても私は生きていける……みんなと一緒に、テンカワユリカとして生きていくことができる……そう思いました。そう、思いこもうとしていました。そして、それはずっとうまくいくと信じていました。でも……無理でした」
その微笑みに、虚しさが影を落とす。
「……アキトは死んだんだという事実を信じたくない自分がいて、アキトが生きていることも信じられない自分がいる。
アキトは、もう、この世には、いない。
ただそれだけのことを受け入れようとしても……何度うち消しても……それだけは無理でした。
そして……アキトが生きているかもしれないと気づいた瞬間に、そのすべてが壊れてしまいました。ペンダントは、アキトの形身ではなく、いつかアキトに返すものなんだと気づいてしまった瞬間に、私は……テンカワユリカではいられなくなりました。
どんなに自分はテンカワユリカだと言い聞かせても……。
アキトのパジャマを着て、アキトと一緒に寝た布団に寝て、それでアキトを自分の中で昇華しようとしても……」
ユリカは目を閉じ、頭(かぶり)を振った。
「思い出すのはアキトの顔、背中、声……笑い声……愛してるって耳許でささやいてくれた声……ユリカって呼ぶ、あの暖かい声……私は、アキトに会いたい……アキトのところに行きたい……アキト、愛してるって、もう一度言いたい。ユリカ、愛しているって、もう一度、あなたの声が聞きたい……!」
ひとすじ、頬に熱いものが伝わった。
ユリカはエリナに顔を向けた。
「気がついたら……ここにいました。何を求めてここにいるのか、私にもわかりません。その結果がどうなるのかも知りません。でも、一つだけわかったことがあります」
ユリカは自嘲的な笑みを浮かべた。
「私は、やっぱり、ミスマルユリカだったんですよ……」
……エリナは言った。
「教えてあげましょうか……この部屋にいる彼のこと」