第4章
1
星のきらめきが飾る無彩色の空間に、ひとつ淡く青い光が生まれた。
それはわずかに揺らめき、輝きを増し、そしてひときわ大きな光を放つと、そこに無垢に輝く艦がその姿をあらわにした。
「……ナデシコc、通常空間に復帰しました。各部各機関とも正常動作を確認」
艦橋を極彩色のコミュニケ画面が埋めつくす。
光学障壁のために虹色の輝きを映していたメインスクリーンが、宇宙空間を映す光学式モニターに切り替わった。
「ディストーションフィールド解放、グラビティーブラストのチャージを開始しました」
緊張気味にハーリーが報告を続ける。
「……だいぶ近いね」
艦橋前方のナビゲーターズシートに座るユリカは、シートを後ろに下げて首をあげた。
スクリーン中央よりもやや上方に、微かながら不自然な光の明滅が見えた。
「……現在位置とジャンプ目標位置との誤差を出して、ナデシコcの位置修正」
ハーリーの問いを敢えて無視し、ユリカは指示を出した。
「了解……相対座標設定。xyz軸方向、それぞれ234、3450、1455、修正しました」
わずかに星の位置が流れ、その光がスクリーン中央に入った。
「シャトルと敵艦隊の位置関係図をスクリーンに」
メインスクリーンの一部が、思兼によるCGシミュレーションの画面に切り替わる。
ナデシコcが水色の点で表示される。その前方に、ルリたちの乗ったシャトルを表す白い点が、そしてシャトルと並行する形で、凹型の布陣の敵艦隊が追走しているのがオレンジで示されていた。さらにその後ろには、水色の紡績型の図形が映っている。おそらくアララギ分艦隊のものだろう。さらにその後方では、アララギ艦隊に分断された敵艦隊が、再び編隊を整えてアララギ艦隊の後背から迫っているのがわかった。
ユリカはシートをスクリーン一望出来る位置に移し、立ち上がった。
「あと何秒でシャトルと接触するの?」
「37秒です」
「わかりました。ナデシコcは現在位置で待機し、敵艦隊を射程圏内にひきつけます」
「シャトルへの通信、開きますか?」
ユリカは首を横に振った。
「いいえ。敵に傍受される危険があります」
わかりました、とハーリーは答えた。
ユリカはハーリーへと振り返る。
ハーリーは顔を強ばらせ、落ち着きのなさそうに手を握ったり開いたりしていた。
おもむろに、ユリカはバイザーを外した。
「緊張してる? ハーリーくん」
ハーリーはびくっとする。
「えっ……ええ……まあ……」
「大丈夫だよ。ハーリーくんならできるって」
ユリカはハーリーにウィンクし、バイザーを装着して再びスクリーンに目を映した。
シャトルとナデシコcとの距離が縮まっていた。
そして、それを追撃する敵艦隊とナデシコcとの距離も先程の半分ほどに接近している。
「……グラビティーブラストの発射準備」
先ほどよりも硬い口調でユリカが指示する。
「了解」
「照準は、シャトルと併走する敵艦隊中央部。シャトルに当たらないよう、慎重にね」
「わかりました……」
緊張状態のハーリーの深い呼吸音が、その場に広がる。
ユリカはじっとスクリーンの向こうに広がる星の海を見つめていた。
やがて、シャトルと敵艦隊が同時になだれ込む形で、グラビティーブラストの有効射程距離内に入る。
「……グラビティーブラスト、発射!」
ユリカの凛とした声が艦橋に響く。
「了解! グラビィティーブラスト、いっきまぁす!」
……ナデシコcから、黄金色の幾筋もの光芒が放たれた。
次の瞬間、メインスクリーンに無数の光点が浮かんだ。
敵艦隊との位置関係図を見る。
凹型をしていた敵艦隊は、今の攻撃で中央部を貫かれ、左右に分断されていた。
「シャトルは?」
「無事です!」
興奮した声が返ってくる。
「グラビティーブラスト、チャージ。完了次第、敵艦隊右翼に向けて発射」
だが、了解という声がするのとほぼ時を同じくして、敵艦隊がスクリーン上から姿を消した。
「……センサー、光学式のパッシブ、倍率50メガに切り替えて」
メインスクリーンに映る宇宙空間が拡大される。
センサーがシャトルをとらえた。そして、その周りに存在したはずの敵艦隊の姿は消えていた。
ふうと、ユリカは深い息を吐き、シートに身を預けた。
敵艦隊がセンサーから姿を消した。かつて自らが用いた戦法……アクティブセンサーからナデシコを消して伏兵、敵を攻撃ポイントまでおびきよせるという戦法を警戒したのだが、それは杞憂に終わった。ボソンジャンプにより撤退したと見ていいだろう。
「お疲れさま、ハーリーくん……」
そう言おうとシートごとハーリーを振り向くと、ハーリーはコミュニケ画面に向かって叫んでいた。
「……艦長! ミナトさぁん! 見ましたかぁ?」
ユリカはくすっと笑う。そして、メインスクリーンを指さして、ハーリーをうながした。ハーリーはユリカの視線に気づき恐縮したが、コミュニケ画面をメインスクリーンに投影した。
ややとまどったルリの顔が映る。
その背後にシャトルの客室部には、いくつもの懐かしい顔があった。
ユリカはシートを操作し、座ったままスクリーンに向かってせり上がった。
口許に笑みを浮かべ、ユリカは悠然とバイザーを外す。
バイザーをつけたユリカを見て困惑していたクルーたちは、その瞬間、おおっという歓声を上げた。
「みなさん、お久しぶりです。私が艦長のテンカワユリカ、旧姓ミスマルユリカです。長旅、どうもお疲れさまでした。ただいまの攻撃で、敵は撤退しました。もう大丈夫です。ただいまからシャトルをこのナデシコcに収容いたしますので、いましばらくお待ちください」
脳天気なふうを装ってあいさつする。
すると、少し困った顔を見せているルリに気づいた。
「あの、艦長に言わないことが……」
だが、ルリがそう言い終わる前に、コミュニケの下方から、頬に痛々しいほどのひっかき傷を負った男が割り込んできた。
それは、ナデシコの整備班班長・ウリバタケセイヤだった。
ユリカは唖然とする。
「う、ウリバタケさん?」
「ふはははは! 久しぶりだな、艦長。おいてきぼりなんて、ひでえぜ。俺がいねえで、誰がエステバリスの面倒を見れるってんだ!」
ウリバタケは高笑いをしながらそう言い切った。
「あ、あの、でもですね。お子さんは……?」
子供を身ごもっていたウリバタケの妻の姿を思い出す。
ウリバタケは胸を張った。
「なぁに、親はなくとも子は育つってな。それにだ、仲間が困った時にそれを見捨てるようなことをしたら、将来、父親としての立つ瀬がねぇからな」
「ウリバタケさん……」
じわっとユリカの涙腺が刺激される。だが、それをこらえて、力強く言った。
「わかりました。一緒に行きましょう!」
「そうこなくっちゃあ!」
ウリバタケはまた豪快に笑い出した。
しかし、その後ろにいるルリの顔は、依然と晴れなかった。
「どうしたの……?」
「実は、ウリバタケさんだけではないんです……」
……後に、白鳥ユキナ、そしてアオイジュンまでがシャトルに乗り込んでいるのを、ユリカは知ることになる。
「……では、みなさん、また後でお会いしましょう」
スクリーンに向かって手を振る。そして、その言葉を機にコミュニケ画面が消え、スクリーンには再び宇宙空間が映った。
ユリカはバイザーを装着した。
位置関係図に目をやる。シャトルの護衛任務についていたアララギ艦隊は、既に月へ帰還する進路をとっていた。
「……アララギ分艦隊の被害状況は?」
「はい。分艦隊の78%が残存しています」
「そっか……22%の損害なんだね……」
ユリカはぽつりと言う。
敵の第1陣を中央突破し、その後、ルリの乗ったシャトルの盾として、後背からの攻撃を防いだのだ。その割に損害は少ないように思えたが、それはひとえにアララギ隊の優秀さと、そしてひたむきさの顕れだろう。
しばし思案の上、ユリカはハーリーに告げた。
「アララギ分艦隊に入電。『例のモノ、かならず届けます』って」
「え、その文面でいいんですか?」
ハーリーが驚いて問い返す。
「うん。……がんばってもらったんだもん。良いよね、ルリちゃん」
独り言のように、ユリカはつぶやいた。
「……それで、ナデシコcはこれから月に戻りますか?」
入電を終えて、ハーリーが尋ねてくる。
「いいえ。敵の待ち伏せがあるかもしれません。敵の索敵網から逃れるために、このまま適当に巡航します。敵の動向に充分注意してください」
了解という声が帰る。
それを聞いて、ユリカはぐったりしてシートに全身をゆだねた。
「はぁ……つかれたあ……」
ため息まじりの声をあげる。
「え、どうかしましたか?」
ユリカは苦笑いをしながらハーリーの方を向く。
「さすがに戦艦1隻をジャンプさせるのは、こたえたよ」
「でも、たしか……もう一回、あるんですよね」
ハーリーの冷静な指摘が、ユリカには意地悪に聞こえた。
「もう、そういうことを言わないのっ!」
そして声をあげてユリカは笑った。