あるルリファンによる劇場版の見どころ、または「ルリとわたし」


 いきなりですが、”ゆりかまにあ”としては、今回の劇場版はなかったことにして欲しいというのが本音です。が、劇場版自体の評価は高いようです。どこがよいのか、ということを考えてみようとしましたが、どうしてもユリカに冷たいシナリオだったので、冷静に考えることができません。

 そこで、友人であるルリファンの氷神 龍彬(ひがみたつあき。もちろんペンネーム)氏に、劇場版のどこらへんが良いのかを、ルリファンの視点で語ってもらいました。もちろん、これが一般的なルリファンを代表するモノではありませんが、とりあえず考える上での資料にはなるかと思います。

 以下、彼からの原稿を掲載していきます。なお、「・(くろてん)」は姓と名を分かつためにつかわれてますので、ご了承を。なお、明白な事実誤認は断りなしに修正しております。


 ども。ルリルリ命の氷神です。ユリカ萌え萌え(と表記するらしい。確かに「燃え燃え」じゃあまりに「闘将ダイモス」がバトルターン、とゆーか「宇宙大帝ゴッドシグマ」がトリニティ・チャージ、とゆーか)のみなさん、ご愁傷様です。

 おっと。てひどくきつい言葉を投げかけると成瀬氏にDELされるのでぬるく行きます。与えられたテーマは「ルリ派から見た映画の見所」並びに「ルリ派から見たユリカという女性」であります。ちなみに、読者にはすでに映画を見られた方々を想定しているので、ネタばらしも行います。まだ未観の方はぼやぼやとネットなどしていないで、とっとと銀幕にレッツ&ゴー(笑)。

 ……で、まず先に云ってしまいましょう。本作品はルリ派から見てもやや瑕瑾のあるアニメでした。ラスト近く、旧ナデシコクルーを集めるというのが「ルリの行動」のメインであり、プロット的に重要ではあるのでしょうが、彼らがあまり活躍しない……というより、「何のために集まったのか」が展開的に不明だったことがあります。パイロット三人娘とミナトにはシャトル内/火星極冠遺跡上空で見せ場がありました……あ、ジュン君にも(笑)……が、名もなきメカニックたち(笑)があそこにいる必要があったのでしょうか。私には疑問でした。しかし「過去の仲間」が集まる同窓会のような筋立て、というのは結構お約束なところがありますから、そのために要請された展開であるということも理解でき、つまるところ私にはささいな違和感としてのみ感じられたのであります。

 不満はそれだけです。本題に戻りましょう。

 見所は、従ってルリの出てくるシーンすべて、とも云えるのですが、中でもどれがということで挙げると、ラストのルリ発言「大切な人ですから」は別格とし、地球でのアキトとの再会シーン……北辰の騒ぎの後、アキトにラーメンのレシピを渡され、強い口調で拒むシーンがマイベストです。成瀬氏は、その直後のアキトがバイザーを外したシーン……嗅覚も味覚も、視覚さえも喪ってしまったことが判明したシーンに不覚にも涙したそうですが、これはユリカ派、というよりユリカ−アキト派の当然の反応でありましょう。私もぐっときました。ですがその思いは、云うなれば「まだ複雑な感情を抱いている相手」の悲劇を知って「衝撃を受けているルリ」に思いを致すというルリへの感情移入の結果であり、アキトはあくまで客体でした。

 無論、ルリ派もルリ−アキト派が主流です。ルリ−ジュンとかルリ−ウリバタケなどはあってはならない(笑)。あ。でも、ルリ−プロスペクターというのはかなりヤバくてよいかも。恐怖の三十二才差(笑)。

 とゆーことで、従って、ルリ派はルリとアキトの絡み……まで行かずとも、ルリのアキトに対する想いが窺えるシーンすべてに萌えるのです。アマテラスのコンピュータ=ユリカの暴走……「OTIKA」に、即座に「AKITO」を想定してみせる霊感に近い直観、リョーコに中継されてブラックサレナのパイロット=アキトと会話するシーン、さらには地球でのすれ違う電車中での再開、墓地での再開における上田祐司畢生の名演技「……ルリちゃん……」などなど……それらは、謎の美少女ラピス・ラズリに対して「お兄ちゃんを取られたような感じ」と述べる南央美嬢の想いとも相俟って、「恋愛感情はない」にせよ「大切な人」にそばにいてもらえない寂しさ、切なさを観劇前から知ってしまっているが故に、より鮮烈に我々の胸を打つのです。

 しかし、私はこう述べたとて、ルリがユリカからアキトを略奪愛する展開を期待するものではありません。妄想をかき立てられるとは思いますが(笑)。ルリ派はルリとアキトのあいまいな/不器用なラブコメ状態をこそ好むものではありますが、それ以上に、「初めて知る家庭」に触れたホシノ・ルリの心の動きそのものにも想い入れるのです。少なくとも私はそうです。それは、わずか五ヶ月ほどの家庭でした。
 云うまでもなく、ミスマル・ユリカはこの家庭の重要な、「大切な」メンバーの一人です。ルリのアキトに対する複雑な想いを知りつつ、三人での楽しげな暮らしに「終わらない日常」の如き心地よさを感じてもしまうのです。しかしそれは喪われた。

 回想シーン。遺影を抱きかかえて俯くルリの呆然とした横顔。……私は、あとで読み返したパンフレットのユリカ−アキトの結婚式の見開きスナップ左頁下、寂しさと祝福を織りまぜた表情の中、精一杯幼い自分にさよならを告げる彼女の顔と、その横顔を脳裏で対比させるたびに、「喪失を経験して大人になる」と云う一般命題が残酷すぎるものに思われて仕方ありませんでした。無論、それは事実であり現実であります。しかし。

 ……ですが、彼女は成長していた。我々大きいルリ派(笑)は一般に、彼女の成長をあたたかく見守る「悪い(だって善人ではない)親戚のおじさん」という立場をとります。成長してくれるのは嬉しいけれど、少しばかりの寂しさも、というあれです。ミスマル・コウイチロウが娘の胸を見て「立派になって……」と号泣する、あの感覚に近しいものがあります。

 佐藤監督も好きだという、アマテラス見学の子供たちの中で少し大人の態度をみせるルリも、ハーリー(わあい、しいねちゃんだ。……って、違うね)に対して慈姉の顔を見せるルリも、三郎太に対していたずらっぽく笑ってみせるルリも、すべて心温まる……それは、圧倒的な喪失を経たにもかかわらず、自分の足で立っていること、立てることの証明でもある絵でした。確かに、いいシーンだった。

 草葉の陰から甦ったイネス・フレサンジュへのきついツッコミも、往年の切れ味(笑)そのままだったし、「喪服の女は美人に見える」(W・v・シェーンコップ(成瀬註:田中芳樹「銀河英雄伝説」の登場人物))との格言そのままにほの見える大腿の白さは目に眩しく、また制服のスカートに入ったスリット、その他装いのすべてがフェティッシュなおたく心を刺激するものでした。少し感情がこもるようになったささやきのような声、振りまかれるというより、そっと差し出されるような微笑は云うまでもありません。かわいすぎる。

 ……どうやらもう俺はダメらしい、ということで、ルリ派の端くれの妄想はご理解いただけたかと思います。ルリーアキトの関係にやきもきし、騒がしくも楽しい家庭風景を思い浮かべてはほのぼのし、成長を見るたびにどきどきする。そんな単純な生き物です。ルリ派というのは。

 ですから、上述したとおり、ユリカも「大切な人」の一人であって、けして彼女の恋敵などとは思いません。だいたい、ルリを誰が引き取るかを決める際、ミナトと最後まで張り合ったのはユリカでした。小説版では「艦長だからクルーに責任がある」などと云いながら、実はユリカもルリが好きだった。それは、お嬢様が自分の家の経済力を背景にして好ましいものを何でも手元に置きたがる、という前世紀の少女漫画にあったような高慢さの結果などではない。そうした彼女の性格はユリカ派の方々であればよく知っていることでしょう。

 そのユリカ派の方々が茫然自失しているというのもよくわかります。若夫婦に訪れた悲劇に心理的にコミットしてしまった成瀬氏が、例えばシャトルの中でのヒカルとイズミの漫才に違和感を覚えたというのも、シリアスモードに突入した心理からするととても笑えないからでしょう。まったく笑える気分ではない。

 さらに、シリアス声優上田祐司(笑)の名演技もあります。私にとって彼の代表作は、いまだに「ハーメルンのバイオリン弾き」でのハーちゃんであります。彼は悲劇の運命を背負ったシリアスキャラを演じてこそ光り輝くと、私は信じています。確かにTV版でラブコメを演じるアキトも悪くはなかった。フクベ提督との絡みなど真剣なシーンもよかった。しかし、彼の本領は抑えた演技の中にあってこそ発揮されるのです。常々抑えているからこそ、例えばラストの北辰との決闘シーンでのキレた凶悪な形相にあてる声の重さ、苦しさがより深く胸を剔るのです。

 結局、映画中では夫婦は対面することはなかった。アキトは遺跡ユニットと融合したユリカを見るだけで、言葉を交わすことはできなかった。その、救済されないストーリーの落ちが、尚更にユリカ派の方々の何処にももって行きようのない鬱屈を深めているのでしょう。大切な人を、二人とも、一度に喪ってしまったルリのように。

 しかしルリは喪っていなかった、二人とも生きていた、我々にもそうした救済を、という声は、しかし挙げるべきではない。

 確かに、謎の美少女のままだったラピス・ラズリが、ルリに代わる新たなロリコンへの供物以上の存在であるならば、登場の分量的にもそれなりの位置を占めてよいはずです。私も、完全に終わっていないという感じがする。佐藤監督自身も、続編を意識させるように作ったと述べている。南央美嬢も望んでいる。しかし重ねて云いましょう。「さらば」「永遠に」「愛の戦士たち」、そして「完結編」と、黄泉平坂を転がり落ちるかのように自壊していった某軍国主義アニメの轍を踏みたくないのであれば、続編を望む声をあげるべきではない。

 成瀬氏が電話で云ったように、幼稚でもいい、単純素朴と云われてもいいから、ユリカとアキトの激涙の夫婦再会シーンを見たかった、という声は大きいのでしょうか。ユリカーアキト派の妄想の中にある次回作は、屋台を引きつつ待っている岸壁のユリカ(笑)が、放浪を経て帰還したアキトと再開を果たす、という永遠の大衆演劇的うるうるモチーフなのでしょうか。確かに、結構ぐっとくるかも知れませんが。それよりも、「犯罪的なほどに無邪気な性格」の飛び抜けた明るさに再び接したいと云うだけなら、TVシリーズを何度も見返せばよい。

 OVAなら、しかし出されるかも知れない。今回はルリを主人公に据えることで、アニメおたくの中でもかなりの勢力を占めるルリ派を狙えるというマーケティング的見込みがあったからこそ、銀幕に行けたとも云えましょう。然るに、ユリカとアキトの夫婦善哉をするとしても、パイの定まったOVAであれば、ユリカ派のみならず彼らのその後を見てみたいとする「ナデシコ」ファンも目算に入れることが出来、それなりのセールスが見込めるでしょう。広がりは得られませんが、キャラも設定も背景も何もかも承知したコアなファンを満足させることは可能です。……というのは、妄想の暴走ですが。

 ここで、少し離れたところから我が妄想を解剖してみましょう。一説に、近年、小説の読み方が変わったと云います。小説を読む際、キャラクターに感情移入することは昔もありました。しかしそれ以上に、文章そのものの香気をかいだり、ストーリーを追いつつキャラの行動を、さらには作家自身の思想を自らに引きつけて思考するといったことも行われていました。それが、いまやキャラへの思い入れ至上主義となり、キャラ同士のかけあいや人間関係を含めた作品世界に少しでも長く浸ることこそが小説を読む快楽に変化したのではないか、というのです。京極夏彦の作品から冒険小説から、作品が弁当箱と呼ばれるほどに分厚くなってきたことにもこれで説明が付きます。ジュヴナイルがシリーズ化するのも同じことです。

 この変化はおそらく現実世界のつらさとつまらなさに帰因していると思われます。シンジ君のように厳しい世界から「現実逃避」したり、一見まともな生活を送ってはいても学校も会社も家庭もとても退屈でつまらないので手軽な旅行代わりとして作品世界に入り込んだりする。現実認識がキイワードになりましょうが、いずれにせよここはそんなことを考察する場ではないので、もうやめます。「ナデシコ」に再び乗艦しましょう(笑)。

 と云いつつ、港が見えてきました。ルリとユリカとアキト、その他のナデシコクルーも含め、彼らの遍歴は続くのでしょう。それが表現されるか否かは別として。

 既述の通り、南央美嬢はアキトを「お兄ちゃん」と思っている。従ってその妻であるユリカは、必然的に「義姉」ということになります。ではハルカ・ミナト……遥湊、でしょうか……はどうか。蓋し「姉さん」でしょう。「お姉さん」ではない。この微妙なニュアンスを汲み取っていただきたいと思います。

 この三人は、みな喪失を経験しています。リョーコもエリナも……と云えなくもないですが、この二人はアキトにボディブローを叩き込んだ時点で、ある程度吹っ切っているだろうし、また吹っ切ることが出来る強さ、成熟をもっていると云えましょう。……あ。ジュン君もまた喪失したんだっけ(笑)。ユキナにも完全に尻に敷かれているし。女難の星の下に生まれるって、つらいことですね。

 さて。……ミナトは、愛する人を永遠に失った。その悲劇の代償と思いたくはないけれど、ユキナを介してさらなる絆を得たのも事実。またユリカとルリは、大切な人に目の前から消失された。「でも、きっと戻ってきます」という確信は、アキトにとっても、自分が……自分たちが、想い出の中のセピアがかった記憶でなく、これからも深い感情を交わし合う対象として存在し続けているに違いないという想いがあるからだと思います。この想いを共有するルリとユリカは、いつの日か必ず戻ってくるアキトを二人仲良く待ち続けていることでしょう。

 ラストシーンは、そうした明るい希望をみせてくれたものだと私は思います。


氷神氏はインターネットに接続していない人なので、彼へのメールは成瀬がお預かりします。

さて、もう一本。実は”ゆりかまにあ”ページを作る前にメイドさんページを作ろうかとおもっていたのですが、その矢先にくりくりという瞳に吸い込まれまして(笑)、そのままメイドさんHP計画は凍結してます。その関連の原稿でミスマル=ユリカ艦長が例に挙げられてます(挙げるキッカケを作ったのは私(笑))ので、直接”ゆりかまにあ”には関係がないのですが、一応公開しておきます。興味のある方はどうぞ。

氷神龍彬「メイドマニア批判序説」


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