第一章
2
小鳥のさえずりと小川のせせらぎ、そして花畑。
ユリカはその花畑の真ん中で午睡を満喫していた。だれもいないのを良いことにしてなのか、それともただ単に寝相が悪いからなのか、限りなく無防備な姿で安らかな寝息を立てていた。
さわさわと風がそよぎ、彼女の頬をくすぐる。眠りながらもくすぐったいと感じたのか、ふふっとユリカは笑った。
「……提督、天河提督」
そこへ、ホシノ=ルリからのコミュニケの画面が開いた。
ユリカはその声に目を覚まし、ゆっくりと身体を起こすと、大きく伸びをして言った。
「うぅーん、と……おはよう、艦長」
ルリは苦笑する。
「まもなくターミナルコロニー『タギリ』に到着しますので、ブリッジにお願いします」
「わかりました。それで、なにか変わったことは?」
「特にありません……よく眠れましたか?」
ルリが表情を和らげて尋ねる。その口調は、上司へのそれとままったく違い、穏やかで柔らかいものだった。
「眠れたけど、あんまり夢見がよくないかな、展望室は」
ユリカがいたずらっぽく言う。
「そうですか。今度までにアロマ装置もつけておきます。では」
コミュニケが切れる。よろしくね、と言いながらユリカは手を振り、そしてポケットからバイザーを取り出すと、それを装着して展望室を出た。
☆
「おはようございます」
ユリカはブリッジに入ってクルーに挨拶をすると、ブリッジ後方にある指揮卓に両腕をつき、メインスクリーンを見守った。それが彼女のスタイルである。
「おはようございます」
と艦長席からルリが挨拶する。16歳の彼女はこのナデシコBの艦長である。地球連合宇宙軍の史上最年少艦長であり、またその記録保持者でもある。そのどこか物憂げな表情がコケティッシュな魅力となって、「電子の妖精」という愛称とともに、連合宇宙軍はもとより統合軍の内部でも熱烈な支持者が多いという。もっとも本人はそのようなものをまったく気にかけている様子はない。
「おはようございます」
左の副長席から少年が挨拶する。彼の名前はマキビ=ハリ。普通はハーリーとのばして呼ばれている。ルリとおなじく、ネルガルのラボ出身者であり、主にメインコンピュータ「思兼」のオペレートのバックアップを行っている。年齢は11歳。ルリが初代ナデシコのオペレータをしたのと同じ年齢での着任である。髪をオールバックにしているので、見た目はもう少し年上に見えるが、性格としては年齢相応という印象である。
「おはようございます、提督」
そして、右の副長席でだらしなくだらんを脚を投げ出したまま男が言った。高杉サブロウタ中尉。元木連の将官で、初代ナデシコとの戦闘経験があるという浅からぬ因縁を持つ。和平条約締結後に地球に赴任してきたが、そのときに地球の文化に酔ったらしく、髪を伸ばし赤と黄色に染めている。だが、その見た目と言動から受ける軽薄さとは裏腹に、与えられた任務を堅実にこなすところは元木連将官の”血”であるかもしれない。
「前方にターミナルコロニー『たぎり』を確認」
ハーリーがルリに報告する。
「提督?」
「すべて艦長におまかせします」
ルリの確認に対して、ユリカは悠然と答えた。
「了解、引き続き……」
と、ルリが言いかけたその時、ハーリーがブリッジ後方のユリカを見やって言った。
「提督、あの、地球のアオイ=ジュン中佐から通信要求が来てますが……」
えっっと一瞬ユリカは驚き、そしてルリを見た。ルリは無言で頷いた。
「OK、ハーリー君、スクリーンにだして」
すると、ちょっと困惑した様子のアオイ=ジュンがメインスクリーンに表れた。背景を見ると、そこは地球の統合参謀本部ビルらしかった。
「ユリ……い、いや、天河准将」
「やあ、ジュンくん、久しぶり」
ユリカはバイザーを外し、その下の笑顔をのぞかせて答えた。
「ナデシコに乗ってるって聞いて、驚いたよ」
「そっか、ジュンくん、『シラヒメ』に行ってたんだよね」
「……提督、あと2分で通信切れますよ」
ルリが事務的に報告する。それを聞いてうんうん、とユリカは頷く。
「それで准将、アマテラスも攻撃を受けるかもしれないから、一応言っておくけど……」
「ボソンジャンプ可能な黒い正体不明機、でしょ」
「!……なんで……」
「ジュンくんは最高のおともだちだもん、ユリカは信じるよ。大丈夫、気をつけるよ」
「そうか、ご武運を……で、ユリカ」
突然、アオイの口調が友達のそれになった。
「なんで黙って行っちゃうんだよ。僕が帰ってきたら、一緒に食事をしようって……」
「ディストーションフィールド、出力最大!通信回線閉鎖!」
サブロウタの通る声がブリッジ内に響く。
「ごめんね、ジュンくん。もう通信きれちゃうから、また地球でね」
「そ、そんな、ュ……」
ジュンの画面は、音声が雑音にかわり、そして画像が流れだし、そして切れた。
ユリカはバイザーをかけ直し、そして高杉をちょっと見やると、表情を固くして再びスクリーンに視線を移した。
「最終チェック終了後、艦内警戒態勢パターンBに移行」
ルリがりんとした声で言う。
「フィールド出力異常なし。そのほかまとめてオールOK!」
高杉の声と共に、メインコンピュータ「思兼」の自己診断プログラムが終了し、ブリッジをOKの画面で飾る。同時にハーリーがレベルのカウントをはじめる。
「レベル上昇。6、7、8、9……」
「ジャンプ」
☆
……光学式スクリーンが光に、メインスクリーンがノイズで埋められる。
やがて、アマテラスの宙域管制コンピュータからの通信が入った。
「ようこそターミナルコロニー、アマテラスへ」
「こちらは地球連合宇宙軍所属、試験艦ナデシコB。アマテラスの誘導お願いします」
「了解」
通信が切れる。同時に、ブリッジに漂っていた緊張の空気が一気に霧散した。誘導と、そして、いわゆる”車庫入れ”はアマテラスの管制コンピュータがすべて自動で行ってくれる。
「しっかし、これからが大変だぁねぇ」
お気軽な口調で高杉が言う。サブロウタさん、と、それをハーリーがとがめた。
「……そうですね、敵よりも、味方の方がやっかいですから」
それを、指揮卓からユリカが彼に向かって答えた。高杉は、すこし表情を固くし、ユリカに向き直った。
「まあ、歓迎されざる賓客ってところでしょうか、提督」
ユリカは口許をわずかにほころばせてそれに応じた。