第1章


 

 

 試験戦艦ND-001b……通称ナデシコB艦長・ホシノ=ルリ少佐は連合宇宙軍統合参謀本部に呼び出された。

 コロニー「シラヒメ」の爆発「事故」がマスコミに公表された翌日のことである。

 コロニーが破壊された正確な日付はその2日前。その情報を既に入手していたルリには、自分が、ムネタケ参謀長に呼ばれた理由というのもおおよそ察しがついていた。

 ……そして、予定通り、コロニー「アマテラス」へのナデシコBの出撃任務が言い渡された後、彼女は天河ユリカ准将の執務室へ向かった。初代ナデシコが退役したのに合わせて彼女は准将に昇進したが、同時に参謀本部付けという、いうなれば無任所の将官としての地位も得た。木連との大戦以降、連合宇宙軍の人材と仕事はことごとく統合軍に流出してしまい、准将クラスの将官であっても、その身分にそぐわない広さの個室をあてがわれていた。彼女がいわば「飼い殺し」になっている理由としては、一人娘をもはや前線に立たせたくないというミスマル総司令の私人としての思惑と、将来の参謀長にと思っているムネタケ参謀長の公人としての思惑が一致したからであるというのが定説になっている。だが実際は、連合宇宙軍に任官そのものがないというのが真相である。

 ルリは、統合参謀本部を訪れると、必ずユリカの部屋を訪れ、挨拶していく。それは、天河アキトがこの世を去ったことによって崩壊した奇妙な共同生活、その名残のようなものだと、ルリには思えた……しかし、ふたたび共同生活をしようと提案することはできなった。ユリカの思い出を踏みにじるような気がしているからである。

 執務室のインターホン越しに、自分の名前を告げる。

「あ、ルリちゃん。どうぞどうぞ」

 いつもと変わらぬユリカの声と共にドアが開き、ルリは部屋の中へ入った。

 ユリカはルリの姿を見つけると、持っていたレポートを無造作に机の上にほおって立ち上がった。

「いらっしゃい、ルリちゃん」

 こんにちわ、ユリカさん、と挨拶を返し、ルリは、机の前に備わっている一対のソファーに腰掛けた。そして、閉じた膝の上に両手をおいて、じっとユリカを見つめる。

 ユリカは机の脇の小さな冷蔵庫の前でしゃがんだ。

「……ルリちゃん、今日は何にする?」

「あ……じゃあ、オレンジジュースを」

 オッケーとユリカは陽気に答え冷蔵庫の中をまさぐり、オレンジジュースと紅茶の缶をとって立ち上がった。そして、ルリの前のソファーに座り、オレンジジュースをルリの前に差し出した。

 ユリカが紅茶の缶を空けて口をつける。それを見計らって、ルリはオレンジジュースのふたを開けた。

 ふと、先程までユリカが読んでいたレポートのことを思い出す。

「……あの、おいそがしいところじゃなかったんですか?」

「あ、いいよ。ぜんぜんやることなかったし」

 するとユリカは缶から口をはなし明るく答えた。

 ルリはオレンジジュースに口をつけ、そして、切り出した。

「……ナデシコで、アマテラスに向かうことになりました」

「うん、聞いたよ。『シラヒメ』の事件をうけて、っていう話だよね」

 はっとして、ルリは缶からユリカに視線を移した。

「そうです……あの、どうしてそれを?」

「ムネタケ参謀長が教えてくれたんだよ」

「参謀長が?」

「うん。天河准将、これはまだ公表されていない極秘情報なのだが、って前置きして……」

 紅茶を一口飲み、ユリカはルリにウィンクする。

「たぶん、みんな知っているよ、きっと」

そう言って彼女は笑みを浮かべた。それにつられて、ルリも微笑んだ。

「……そうそう、さっきのレポート、ジュンくんからの報告書なんだよ」

ユリカが立ち上がり、机の上に投げ出したレポートを取ってソファに戻り、ルリに手渡した。

 【コロニー『シラヒメ』爆発の関する暫定報告書】と表紙にあり、そしてその下に報告者である「アマリリス」艦長・アオイ=ジュン中佐の名前が記されていた。

「読んだ?」

「いえ、まだです」

 ルリは正直に答えた。そもそもこのレポートの存在すら今はじめて知ったのだから。

 すると、ユリカはルリに顔を近づけて、仰々しく言った。

「……8mクラスのマシンが、ボソンジャンプして『シラヒメ』を破壊したって」

 えっ、と、さすがにルリは声を出して驚いた。8mクラスといえば、エステバリスよりもふたまわりほど大きい。

 ユリカは続けた。

「統合軍はぜんぜん信用していないみたいだけどね。でも、ジュンくんが嘘つくわけない。ユリカは信じてるよ」

「でも……そんな大きな物体が、現状の技術でボソンジャンプできるものでしょうか?」

 ルリは常識的な観点で問い返した。

すると、ユリカは思わせぶりに微笑んだ。

「A級ジャンパーが3人、それでナデシコだってとばせちゃうんだよ。それと比べれば、8mクラスのマシンなんか、一人でも簡単にとばせるよ」

 あ、と再びルリは声を出した。3年前、ユリカとアキト、そしてイネス=フレサンジュ博士というA級ジャンパー3人で、火星極冠の遺跡とナデシコをボソンジャンプさせたという事実、それを思い出したのだった。ただし、博士も、既にこの世の人ではない。ボソンジャンプの実験中、コンピュータの過電圧を起こし、爆発。そのようなイージーミスで亡くなったというのをきいて、ある意味、イネス博士らしいと思ってしまい、その直後に自己嫌悪に陥ったものだ。

 ……ユリカが愛おしそうに紅茶の缶を振っている。すでに飲み干して空になってしまったようだ。そして缶を前のテーブルの前に置いた。

「気をつけていってきてね」

 その言葉を聞き、ルリはうつむいた。そして、右手で持っていた缶を両手に持ち直し、そして、意を決して顔を上げた。

「……実はお願いがあるんです」

「なにかな?」

「ナデシコBに、提督として乗っていただけないでしょうか?」

 すると、笑顔を見せていたユリカの顔が、困惑に変わった。

「……喜んで、って言いたいけど、でも、私が行っても何もできないよ」

 それは、ルリが心の片隅に抱いていた期待を打ち壊すものだった。だが、ルリは平静を装って続けた。

「そんなことはありません。ユリカさんに、艦長としての的確な判断を教えていただきたいんです」

 するとユリカは照れ隠しをするように笑った。

「そんなの、教えることはないよぉ。艦長としてはルリちゃんの方がよくできてるし……」

「そんなことありません!そんなに自分を卑下するのはやめてください!」

 感情的にルリは言葉をあらげてしまった。そしてすぐに冷静さを取り戻すと、こころから恐縮した。

「すいません……でも、どうしてもナデシコに乗っていただきたいんです」

 ユリカの表情が、真剣なそれに変わった。ルリは続けた。

「今までは、言われたことをきちんと実現させてきただけです」

「それだけでもすごいことだよ」

「でも、今回は違います……高度な判断が必要になると思います」

「どうして?」

「統合軍と連合宇宙軍との反目、ヒサゴプランという反ネルガル企業の利害関係、そして……黒い正体不明機の目的」

 ユリカは黙っていた。それは、ルリの次の言葉を促しているように見えた。

「前の大戦で、ユリカさんは、ネルガルと連合宇宙軍との利害、木連と地球との利害、そしてナデシコとネルガルとの利害、それらをきちんと解決し、ナデシコの艦長としてどう行動すべきかを判断していました」

 そこで一旦切り、ルリはジュースに口をつけた。

「私にはそういう判断ができません。思兼も、もちろんできません。そのとき……艦長として私はどのように行動するべきなのか、教えて欲しいんです」

 ルリはその金色の瞳でユリカを見つめた。

 ややあって、ユリカは苦笑しながら視線を落とし、つぶやいた。

「……ユリカはナデシコの提督さんなんだぞ、えっへん、か」

 その言葉に、ルリは目を輝かせ、頬を紅潮させた。

「ありがとうございます!」

 ユリカは顔をあげ、またいたずらっぽく言った。

「でも、その前に総司令の許可をもらわないといけないよね……実はこっちの方が大変かも知れないよ」

  ☆

「では、予定通りに」

 アズマ准将との会見を終えて司令室から出ると、ルリはコミュニケを通じて、ナデシコB艦内で待機しているハーリーに告げた。

 すでにナデシコBのとる行動については決定済みである。待機しているハーリーをオペレータとする、思兼によるアマテラスのメインコンピュータのハッキング……コロニーをつぶすのが趣味でもない限り、ヒサゴプランに関わるコロニーが狙われるのには、コロニー自身にその理由があるはずという、それがユリカの判断であった。ハッキング作業にルリも加われば本当は理想的なのだが、艦長という職にある以上、ルリの行動はおのずと敵の注目を集めてしまう。まして表向きの理由がコロニーの臨時検査であれば、ナデシコBにこもってしまうわけにはいかない。それはユリカについても同様のことが言える。よって、それを逆に利用して敵の目をルリとユリカに引きつけ、その間にハッキング作業を行うというものだった。

 ブイサインと共に、ハーリーが了解という返事をする。それを確認して、ルリはユリカの方を向いた。

「それではここで」

「気をつけてね」

「はい、提督も……リョーコさんによろしく」

……ルリを見送ると、ユリカは統合軍陸戦部隊”ライオンズシックル”のドッグに向かって歩き出した。

 かつての仲間、昴リョーコに会うためである。


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