第一章
５
金属の残響音が、まるで霧となって目に見えるかのように、空間全体に拡散していく。
”ライオンズシックル”隊のドックで整然と並ぶエステバリスの機体を、ユリカはまぶしい気持ちで眺めていた。各機体ともホールドアウト中であるらしく、整備員やパイロットが入れ替わり立ち替わり動いている。
その様子に一瞬気がひけたが、意を決してユリカはその中の一人のパイロットの制服を着た青年に声をかけた。
「なんですか？」
「私は宇宙連合軍准将・テンカワユリカです。スバル＝リョーコ中尉に会いたいのですが……知り合いなんですよ、わたし」
ユリカは口許に笑みを浮かべた。すると彼は機体を深紅に染めたエステバリスに向かって声をかけた。
「たいちょうー！お客さんですよぉ！」
すると、そのエステバリスのコックピット辺りから、ハスキーな女の声が返ってきた。
「だーめだめ。こっちは忙しいんだよ！」
その返答に彼はユリカを一瞬振り向いたが、小首を傾げて口許に柔らかい笑みを浮かべるユリカを見て、もう一度叫んだ。
「テンカワユリカさんっていう、隊長のお知り合いだそうで」
するとコックピットから小型のスパナが飛びだし、そして髪の短い女が首を出した。
「テンカワ！！……ユリカだってえぇ！？」
「リョーコさん！」
ユリカは手を振った。だが、リョーコはこちらをいぶかしげに凝視するだけだった。
ややあってユリカは気づき、バイザーを外した。
途端に、リョーコの顔が驚きと喜びに変わった。そして大慌てでコックピットを出てエステバリスを降り、ユリカの前に走り寄った。
「ユリカ！あはは、久しぶりだなぁあ」
リョーコはユリカを抱きしめ、背中をばんばん叩いた。
「いたた、リョーコさん、痛いですよぉ」
「あ、ごめんごめん」
謝って、あらためてリョーコはユリカに向いた。ユリカはしみじみとリョーコを見た。
「久しぶりですね、リョーコさん」
「ああ、本当に……」
そしてリョーコは彼女を呼んだ部下を怒鳴りつけた。
「ほら、ぼさっとしてねえで、お茶くらい用意しろよ！」
彼は慌ててその場を走り去っていった。その様子を見て、ユリカはくすっと笑った。
「リョーコさんもお変わりなく」
「ま、まあな」
リョーコは苦笑いでそれに答えた。
☆
「まだ着いてから１週間しかたってねぇからよ、エステの整備でてんてこ舞いだ」
リョーコはずずずっと音を立てながら、直径１５センチはあろうかと思われる大型のマグカップからコーヒーをすすった。
二人は巨大なコンテナの上に腰掛けていた。ここからはドックをほぼ一望できる。
「ずいぶん急な異動なんですね」
それに対して、アルミ製のごく普通のマグカップを両手でもち、ユリカは言った。
「そうだな……ま、俺がここにいるのを知ってるってことは、大体の察しがついてるんだろ」
思わせぶりにリョーコは笑みを浮かべる。
「何がです？」
ごく自然にユリカは微笑んで答えた。
「とぼけんなよ……ナデシコ、『シラヒメ』の件で来たんだろ」
ユリカはカップに視線を移し、そして口をつけてコーヒーを少しだけ飲んだ。
「……さすがですね、リョーコさん」
「べっつに……ただの爆発で、なんで陸戦部隊が実戦配備されるんだよ。ちょっと頭使えば子どもでもすぐわからぁ」
そしてリョーコは視線を宙に泳がせた。
「……どうも、ここは、よくわからんところが多いんだよな」
そしてがぶっという音がするくらいに豪快にコーヒーを飲む。
「……ま、それよりも、ここは、お偉方がうるさいのが問題だな」
ふとアズマ准将の顔を思い出し、ユリカは大きく頷いた。
「ナデシコがきてるんじゃ、いっそナデシコに戻るかな」
「でも、ルリちゃん、厳しいですよ。私と違って」
「そうだったな、ルリが艦長だったっけ……」
そう言うと、リョーコはユリカの顔をまじまじと見はじめた。
「……にあわねえな」
「？……バイザー、ですか？」
「いや、艦長でない、ってことがさ」
リョーコは豪快に笑い出す。それにユリカがつられた。
「……そう言えば、ルリは？」
「ルリちゃんは、いま、社会科見学してます」
「ん？」
リョーコはその言葉の真意をつかみかねてユリカを見た。ユリカは笑顔で答えた。
「社会科見学の子どもたちにまざって、アマテラスを見学してます……もちろん任務でですけどね」
リョーコはその真意を見抜いたように、何度も頷いた。
「違いない。でも……そういう時間も欲しいよな、ルリの場合」
リョーコは表情を固くした。ユリカも笑顔を消した。
しばしの沈黙……それをユリカが破った。
「……髪の毛、切ったんですね……」
「……うん、切ってる」
「結婚式の時は、長かったですよね」
「……気分転換だよ、気分転換」
ユリカは頷いてカップに口をつけた。リョーコもそれに合わせるかのようにカップに口をつけ、コーヒーを飲みこんだ。
そして視線を手元のカップに落とす。
「……いまはテンカワなんだな」
「……結婚、してますから」
ユリカは、カップの水面で泳ぐ自分の顔を眺めながら言った。
「そっか……」
リョーコは顔を上げ、自嘲的に言った。
「俺……ユリカのこと、テンカワって呼びたいけど……あは、まだ……テンカワって言っても、ユリカの顔がでてこないんだ」
そう言うとリョーコは、カップに残るコーヒーを一気に飲み干した。
再び、二人に沈黙が襲った。
やがて、ユリカが顔を上げた瞬間、ドック内に警報が響きわたった。
はっとしてリョーコが顔を上げる。
「敵襲？」
そして艦内放送が続く。
「所属不明の戦艦がボソンアウトして本コロニーに接近中！各員第一次戦闘配置！繰り返す……」
それを聞いて、リョーコはユリカをみやってウインクした。
「ほれみ、戦艦が接近しただけでこの騒ぎだ……じゃ、また会おうぜ」
「はい。ご武運を」
「よせやい……ルリにもよろしく言っておいてくれな」
☆
ナデシコｂの停泊する”港”へはドックから１ｋｍほどある。行きはコロニー内シャトルに乗ることができたが、帰りの今、シャトルは運航されていなかった。基本的に戦時中であっても軍人による軍事施設の使用が制限されるはずはない。となれば……メインコンピュータに何らかの異常をきたしていると見るのが自然である。
しかし、その推論は今のユリカにまったく関係がない。彼女は走っていた。走るしかないのだ、ナデシコｂまで。全力で、息を切らせて……バイザーで隠れない口許、そこだけ見てもそれがありありと見て取れた。
そして、港湾部に入り、ナデシコの船体を５００メートルほど先に確認したところで、脇の隔壁の物陰から、５つの人影がユリカの目の前に現れた。