第一章
6
物陰から現れた人影……それは、藁で編んだ笠をかぶり枯れた色の外套をまとった異様な姿をしていた。ユリカの前に現れると、緩やかな弧を描くように散開し、彼女のナデシコへの進路を遮るようなかたちで通路をふさいだ。ユリカは足を止めた。そして、敵にそれと悟られないよう呼吸を整えながらわずかに首を曲げて後ろを確認すると、そこには既に同じような形(なり)をした影が2つ見えた。
包囲されてしまった、とユリカは判断した。彼女と”賊”との間合いはかなり広い。だが、それがかえって不気味で不可解なものに感じられた。
しばしの対峙の後、前の中央にいた首領らしき男が一歩踏みだし、笠でその表情を隠したまま、低く重苦しい声を発した。
「……ミスマルユリカか」
「ちがうよ……テンカワユリカだよ」
ユリカは、ゆっくりとバイザーに手を伸ばしてそれを直し、口許をわずかにほころばせ、悠然と言った。
「テンカワ……ふふ、なるほど……”実験体”の名を曳くとは、哀れな」
首領は嘲笑し、彼女を侮蔑する。
ユリカの表情から笑みが消えた。
「”実験体”?」
「我々と一緒に来てもらおう」
ユリカの問いかけを無視して言い放つと、彼は笠を上げた。
痩せこけた頬、つり上がった眼……そこには、人として存在してはならない領域を踏み越えてしまった底知れぬ不気味さが宿っていた。
だが臆することなく、ユリカはバイザーを外し、直に視線を合わせた。
首領はその唇をさらに卑屈に歪めた。
「……そう、その目。その目で、我らを……」
くくく、と笑いを押し殺す。
その時、ユリカははっとして、目を見開いた。
「まさか……あなたたちが、あの時の……!」
彼女の瞳に動揺の色が映る。それに対し、首領は冷笑をもって応えた。
ユリカの肩が小刻みに震える。しかしそれをこらえるように、拳をぎゅっと握りしめながら、彼女は首領に向き直った。
「……あなたたちは?」
「我々は”火星の後継者”の陰……人にして人の道を外れたる、外道」
「わたしをどうするの?」
「我らが結社のラボにて、栄光ある研究の礎となる」
「わたしが?」
ユリカは眉間を寄せたが、やがて、感情のこもらない声で言った。
「……ボソンジャンプ、か……」
そのまま視線を落とし、ふうと息を吐く。
港湾部をつつむ隔壁から、爆音がかすかに伝わってくる。すでにコロニーの外では戦闘がはじまっているようだった。
「重ねて言う。一緒に来い」
口調の端に苛立ちを含ませながら、首領がうながす。
すると、ユリカは顔をきっと上げ、彼に鋭い視線を向けた。
「教えて……あなたたちのところに、アキトは、いるの?」
その真摯な瞳には、表情とは裏腹に、どこかはかなげな光が浮かんでいた。
……その時、隔壁から爆音が轟いた。至近距離で爆発が生じたらしく、振動が港湾部を襲う。視線を首領に保ちながら、ユリカはよろめいて床に片膝をついた。
首領は天井をあおいだ。
「……おそかりし復讐劇、未熟なり……」
その瞬間、ユリカは胸許に手を当て、瞳を閉じた……。
それに気づき、首領はあわてて叫んだ。
「獲!」
「……ジャンプ」
……ユリカの身体に緑色の幾何学模様が浮かび、それとほぼ同時に、その姿が消えた。
ユリカに飛びかかった手下の男たちは、そこにいないユリカを求めて、辺りを見回している。
首領の男は狂った笑みを浮かべ、舌なめずりをした。
「……ますます欲しくなったぞ、ミスマルユリカ」
☆
「艦橋内にボーソ粒子反応!」
ひとりのクルーの叫びで、ナデシコbのブリッジに緊張が走った。
高杉がそのクルーのブースに駆け寄り、モニターをのぞき込む。
そして首をひねる。
「……いや、待てよ。攻撃性反応はでてねえな。大きさは1.7メートルクラスの生体……」
「に、人間ですかぁ?」
ハーリーが自分のブースから、わけがわからないといった顔で聞き返す。
「ボーソ粒子増大、通常空間に顕在化まで、3、2、1……」
……次の瞬間、きゃああああああああ、という悲鳴と共に、何かがハーリーのブースに落ちた。
「ハーリー!」
高杉が素早く反応してハーリーのブースに向かおうとすると、さらに天井から何か黒いものが落ちてくるのが見えた。反射的につかむ。それはユリカのバイザーだった。
「ってことは……」
「いてててぇ……ここはどこぉ?」
高杉がこわごわとブースをのぞき込むと、そこにはテンカワユリカがあられもない姿でそこにいた。
「提督……」
高杉は絶句した。まさか彼女が生体ボソンジャンプが可能な、いわゆる”A級ジャンパー”だとは知らなかったからである。だが、同時に、つい先程ハーリーのハッキングでつかんだ事実……A級ジャンパーの非公式なる人体実験を思い出し、それをうち消すように、首をわずかに振って、平然と応えた。
「ナデシコbですよ」
すると、ユリカが済んだ丸い瞳を彼に向ける。
「あ、高杉さん」
そしてきょろきょろと辺りをみまわし、そしてほぉっとため息をつく。
「よかったぁ、どこに飛んじゃうのか、ひやひやモノだったよ……」
そこでようやく自分の格好に気づき、さっと身なりを整えた。彼女の手がポケットをまさぐる。バイザーを探していると判断して、高杉は持っていたバイザーを手渡した。
「ありがとう……それで、ハーリー君は?」
バイザーをポケットにしまいながらユリカが尋ねる。高杉は視線をユリカに合わせたまま、彼女のいるブースの中を指さした。
ユリカが下を向く。そして、ようやく重大なことに彼女は気づいた。
「は、ハーリー君!だ、だいじょうぶぅ?ねぇねぇ」
あわてて自分の身体を起こして反転し、下敷きにされていたハーリーの身体を揺さぶる。
ハーリーは完全にのびていた。
「どうしよう、最近ごはんが美味しくて、ついつい食べ過ぎちゃったから、重かったかも……」
高杉は苦笑いをしながら言った。
「提督、ここは童話にならって、目覚めの口づけってのはどうですか?」
ユリカは困惑した顔で彼を向く。
「ええぇっ。それは困ります」
「子ども相手になに意識してるんですか。それにまぁ、非常時ですし」
「そっか……非常時だもんね……」
ユリカは覚悟を決めたらしく、ハーリーの背筋を伸ばさせると、その顔に自らの顔を近づけていった……。
「お待たせです」
その時、ホシノルリがブイサインしながらブリッジに戻ってきた。
その声にユリカは肩をびくっとさせる。高杉をはじめ興味津々でユリカとハーリーの行方を見守っていたクルーたちが、一斉にルリの方に視線を向ける。
それに呼応して、ルリが不審な表情でハーリーのブースに目を移した。
「ハーリーくん?」
「な、なんでしょう、艦長……あはは」
とっさにユリカがハーリーと体を入れ替え、そして彼の両腕を持って操り人形よろしく動かし、そしてハーリーの口調をまねて答えた。
「……提督……」
声にはならなかったが、その口許が「バカ」と動いた。
☆
所属不明の戦艦と正体不明の黒いマシンがアマテラスに出現してから25分後現在、ナデシコbはディストーションフィールドを張ってコロニーの裏側に待機していた。本来なら加勢したいところなのだが、軍司令官であるアズマ准将から直々に熱意のこもった”説得”を受けてそれを思いとどまっている。もちろん、ただぼおっと高見の見物を決め込んでいるわけではなく、戦況をメインモニターに投影している。
ルリは艦長席にいてそれを凝視する。そして、その左で、バイザーをつけたユリカがルリの指揮卓にひじをついてルリに身を寄せる形で立っていた。その表情には、もう先程までみせていた脳天気なぼけはなかった。
……スクリーン上には、ボソンアウトしてくる黒いマシンが映る。そして無理な攻撃をしかけながらアマテラスに接近する。当然、それを迎撃しようと守備隊が前進する。
ふうと、ユリカがため息をつく。
守備隊が前に出た瞬間、その側面に戦艦がボソンアウトし、圧倒的な破壊力で”敵”の反撃を許さないまま一気に切り裂いていく。
その間に、黒いマシンはコロニーに接触し、そのまま壁づたいにすすんでいく。だが、それを見透かして壁際で待ちかまえていた昴リョーコのエステバリスがそれを追う。
「……不意な出現、そして、強襲。反撃を見透かしたかのような伏兵による陽動。その間に突入ポイントを変えての再急襲」
ユリカがぽつりとルリに言う。
「さすがですね、ユリカさん」
最後の言葉は他のクルーに聞こえないように、ルリは尊敬の笑みを浮かべて言った。
「どうしますか?」
「敵はどこにいこうとしてるのかな……」
「13番ゲートでしょうか」
「13番?」
ユリカが不審な口調でルリに問う。
「はい。設計書にはない非公式のゲートです。敵の目的が単純にコロニーの破壊であるなら、わざわざ陽動作戦をとる必要はありません。敵の目を引きつける必要があるとすれば、敵の目的はコロニーへの侵入と見るべきです」
ユリカは頷いた。ルリは続けた。
「しかし、侵入するだけなら、既にもうチャンスは何度もありました。ですから、敵は、真に侵入すべきゲート、すなわち13番ゲートをうかがいつつ、攻撃を繰り返していると思います」
「狙われるだけの理由、か……さすがだね、ルリちゃん」
ユリカが口許に笑みをこぼした。ルリが頬をほんのり染める。
「……じゃあ、そのゲートあけちゃいましょう」
予想外のユリカの言葉に、えっ、と今度は声をだしてルリは驚いた。そして、ルリが止める間もなく、ユリカはハーリーに指示を出す。
「ハーリー君、アマテラスへの再ハッキング。目標は13番ゲート」
「了解!」
「いいんですか、提督?」
「入りたいっていうんだから、入れてあげようよ」
ユリカはルリに向き直り、バイザーを外し、澄んだ瞳をルリに向ける。
「……敵の目的、敵の本当の目的、見ましょうよ」
くすっと、ユリカはいたずらっぽく笑った。