第二章


 

 

 コロニー「アマテラス」爆破後5日後、ナデシコbが地球に帰還してから2日たった午後、ユリカは連合宇宙軍総司令官室で、父であり、また総司令でもある御統コウイチロウと対面していた。

 コウイチロウは先程からずっと苦渋に満ちた顔をしている。それに対し、ユリカはごく普通に……すなわち、丸い澄んだ瞳に凛とした光を輝かせ、そして華やかな笑みをたたえてそこにいた。

 ユリカがここに呼ばれた名目は、ナデシコbがアマテラスから持ち帰った”火星の後継者”についてのデータの取り扱いについて、他1件。だが、これまでに、その主要な名目が真っ先に果たされることはない……そして、この日もその例外に漏れることはなかった。

「……では、やはりどうしてもいくというのだね、ユリカ」

 コウイチロウが机に両ひじをついて、ため息混じりに言った。

「はい、総司令閣下」

 そのユリカの声に、コウイチロウは悲しげな視線を送る。

「閣下じゃなく、二人の時はお父さまと呼びなさい」

「はい、お父さま」

 途端に「父」は顔をほころばせる。

「うんうん、それでいい、ユリカ。だがな、この作戦案を見てみたが、べつにユリカがわざわざ危険なところに行く必要はかならずしもないじゃないか」

 作戦案……名目の「他一件」とは、ユリカが提出した作戦案、すなわちナデシコcによる火星奪還の作戦案であった。それによれば、ナデシコcが火星にボソンジャンプし、敵の意表をついて敵コンピュータのクラッキングをおこない、それによって敵の戦力を無力化するというものであった。

 作戦案を受け取った統合参謀本部の会議では、ムネタケ参謀長の鶴の一声によってわずか10分で了承された。だが、同時に主に二つの疑問点があげられた。まず、敵戦力をクラッキングでそぐことができるのかという点、そして、ボソンジャンプそのものが実現可能であるかどうかという純粋に技術的な点である。

 ユリカとしては、その点についての質問をされるのかと思い、理論武装して総司令官室に臨んだのだが、総司令がユリカに発した第一声は……

『火星に行くのは、父さん、絶対反対だよ』

……ユリカはその後覚えている限り3度の慰留を受け、さすがに辟易し始めてきた。

「なあ、ユリカ、そんなに父さんを悲しませないでくれ。ナデシコcはルリ君だけで運行可能だというし、ユリカにはそろそろどっしりと後方で戦局を……」

 新造戦艦ナデシコcは、既に退役したナデシコaに搭載されていたコンピュータ「思兼」のフルセットを搭載する。したがって、思兼の能力を最大限引き出すために、そのオペレートの担当は、オリジナルの思兼のオペレータであったホシノルリが想定されていた。つまり、このような設計構想を鑑みると、ナデシコcは事実上ホシノルリ専用艦と言ってさしつかえのないものであった。

「役目はなくても、居場所があります」

 ユリカは確信に満ちた表情で言った。

「ん?」

「お父さまのお気持ちはよくわかります。でも、私、ナデシコに乗ってわかりました。やっぱり、ナデシコが私のいるべき場所なんです。それに、ルリちゃ……いえ、ホシノ少佐の艦の提督に任じられた以上、その責を果たすべきだと思います」

「……まだ、ナデシコcの提督に任じたわけではないよ、ユリカ」

 不意にコウイチロウが真剣なまなざしでユリカを見る。

 ユリカはその意味するところをくみ取って、一瞬悔しそうな、そして寂しそうにうつむいた。

「命令なら……それに従います。でも、ずるいです、こんなの……」

 だが、その反応があまりに予想外であったのか、コウイチロウが思わず椅子から立ち上がった。

「まて、ユリカ! 誤解だ、誤解! そんな、命令だなんて、父さんは言ってないぞぉ」

 へ?とユリカは唖然とする。コウイチロウは咳払いを一つした。

「……まあ、実はユリカをナデシコに乗せてくれという嘆願書が連名で一通きててな……」

 そう言ってコウイチロウは机の引き出しを開け、そして一通の封書を取り出し、ユリカに手渡す。それをユリカが受け取り、封を開けて中をとりだして開くと、そこには、ルリと高杉とハーリーが、それぞれ嘆願文を書いていた。ルリは「ナデシコにとって、そして私にとって何より必要な人です」と、高杉は「美人でそれに頭が切れる。この人がいれば自分は生き残れるという自信をくれる。ただ惜しむらくは人妻であること」と、そして……。

「……マキビハリ少尉は『提督として完壁な人』とまで誉めている……『璧』と『壁』を書き間違えてはいるがな」

 ユリカはその箇所を確認してくすっと笑った。思わず目頭が熱くなるのを覚え、そっと手を瞼に当てる。

 コウイチロウが、慈愛に満ちた目をユリカに向ける。

「そこまで言われてダメとはいえんだろう」

「……ありがとうございます」

 ユリカは深々と頭を下げた。コウイチロウが一度うなずいた。

「さてと、本題にはいろうか。例のデータの公開の件なんだが、政府のお偉方がうるさく言ってきておる。政府の恥部だとか言ってな」

 アマテラスから入手した火星の後継者のデータ、ユリカはこれをすべて公表すべきであるという意見を添えてコウイチロウに提出した。ヒサゴプランが、実は単に”火星の後継者”に対するお膳立てを整えていただけであったという”正体”を公表しては、国民にたいする政府の重大な背信行為であることが暴露されてしまうことになる。

 だが、コウイチロウとしては、政府の心証を気にするということは少しも考えていない。ユリカもそれをわかっている。彼が気にするのは、その中に含まれる、A級ジャンパーに対する非公式の人体実験のデータのことであった。

 ユリカは地球への帰路でそれを確認した。もちろんそのすべてを確認するわけにはいかず、適当にサンプリングをされたデータを3,4件ちらっと見ただけだが……それを見た日、ユリカは終日部屋から出なかった。そのデータを「め」の列から取り上げたのは、思兼とルリの配慮であったかもしれない。

「できれば、公表は人道的な部分に限りたいのだが」

「それではだめです」

 ユリカは言下に否定した。

「なぜだい?」

「……人間を人間として扱わない組織に、正義などありません!」

 ユリカは肩を震わせ、拳をぐっと握り締めて叫んだ。

 その様子にコウイチロウは思わず絶句する。ユリカは呼吸を落ち着かせて、静かに続けた。

「今のところ、”火星の後継者”に対する賛同の声もあります。それは、純粋に、正義と新しい秩序の名の下に、彼らが行動していると思われているからです。しかし、このデータを公表することで、”火星の後継者”はその大義名分を失います」

 コウイチロウは真剣な表情で何度も頷いた。

「わかった。公表しよう」

 ありがとうございます、とユリカは一礼した。

 だが、コウイチロウの視線はずっとユリカをとらえていた。

「お父さま?」

「……ユリカ」

「はい」

「お前がここにいてくれて、本当によかった」

 その目に浮かぶ光は乱反射し、いつもよりも輝きが増して見えた。

「……では、失礼します、お父さま」

 ユリカは司令官室を辞そうとしたが、それをコウイチロウが引き留めた。

「これを持っていきなさい」

 今度は書状をとりだして机に置き、そして総司令官の印章をもちあげると、はぁっとその印面に息を吹きかけ、ぱああんと勢いのある音を立てて書状に印を押した。

 それを興味深く見つめていたユリカは、促されてそれを受け取り、そしてその内容を見て驚いた。

『地球連合宇宙軍 天河ユリカ准将

 上の者、ND-001c通称ナデシコcの艦長に任ずる

2202年 月 日 

地球連合宇宙軍総司令官 御統コウイチロウ 印』


「正式な辞令だよ……ナデシコcの艦長の」

 ユリカは顔を上げる。

「艦長……ですか? 艦長はル……ホシノ少佐ではないのですか?」

「ナデシコcは未だ建造中の艦(ふね)。したがって、その艦長としてホシノ少佐を艦長に任じるためには、一時的にせよ、更迭という形をとらなければならない……この意味がわかるね」

「はい」

「したがって、この戦役が終わるまで、ユリカ、おまえが形式的にも艦長となる必要がある……辞令には日付が書いてないだろう。あとで適当に書き込んでおいてくれ」

ユリカの顔がぱぁっと明るくなる。そして凛と胸を張った。

「了解しました! 失礼します」

ユリカは敬礼をし、そして総司令室を辞した。


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