第一章


 

 

 カランという音……床とぶつかって響くその音が、放物線を描いてまた落下するのがはっきりとわかるくらいに、何度も何度も、床とはじけあう。

「……提督?」

 ルリが振り向くと、そこには、右腕をだらんとさせて呆然と立ちつくすユリカの姿があった。その足下には、先程までその腕に握られていたバイザーが転がっていた。

 一瞬言葉を失うが、すぐに冷静さをとりもどして彼女は声をかけた。

「提督!」

 その声にはっとしてユリカが、バツの悪そうな顔をルリに向いた。

「あ、ごめんごめん……と、あはは、何でもないよ。大丈夫」

 そう笑ってごまかしながらユリカはしゃがみこみ、バイザーを拾い上げてポケットにしまいこんだ。

 スクリーンではリョーコの機体が敵マシンに襲われている光景が映し出されていた。

 ユリカは表情をかたくする。

 黒いマシンが時折リョーコ機のモニター映像に入るが、その動きを正確にとらえることはできそうになかった。

「……高杉さんはまだなんですか?」

「まもなくです」

 ルリは敢えて素っ気なく言った。ユリカの表情には焦りの色がありありと浮かんでいたからだ。

「くそ!」

 リョーコの叫び声がした。彼女の機体の左腕付近が爆発する。

「まだまだぁ」

 リョーコが体勢を立て直そうとする。だが、その直後、敵のマシンが映ったかとおもうと、長刀型のブレードが脚部をぶったぎっていた。そのまま、機体は失速、落下し、やがて、ずぅぅんという鈍い音と共に、エステバリスであった金属の塊が地面にたたきつけられた。

「リョーコさん!」

 ユリカが思わず叫ぶ。

「いてて……かなりやばいな、こりゃ」

 モニターには、剣型のブレードの先端をこちらにむけて突進してくる敵機が迫っていた。

 三者三様に息をのむ。

……その時、極彩色の煙幕が一瞬にして視界を埋めた。そしてその向こうから青い影が接近し、それがそのままリョーコ機をかかえ、上昇をはじめた。

「遅れてすいません、艦長」

 高杉のコミュニケ画面がスクリーンに入る。青い影は高杉のエステバリスだった。ルリはわずかに顔に安堵の色を浮かべ頷いた。

「リョーコさんのエステバリスを回収したのち、直ちにその領域を撤退。ナデシコbに帰艦してください」

 だが、そこにリョーコの音声が割り込んできた。

「ちょっとまて、ユリカ!おまえ、あいつの声聞いたんだろ!」

「……撤退してください、高杉さん」

 一呼吸置き、ユリカが抑揚なく言い放つ。

「了解」

 高杉が振り向きざま数発の煙幕弾を放ち、そしてもと来たゲートへと飛ぶ。

「ば……ばかやろぉ!引き返せ!仲間なんだよ!こら!」

「悪いな、命令だ」

「ちくしょう……ユリカ!きいてるんだろ!あいつは……テンカワは生きてたんだよ!」

 びくっとユリカは身体をすぼめる。そして視線をスクリーンから逸らし、うつむく。

「テンカワ!応答しろ!テンカワ!」

 ユリカの肩が小刻みに震えはじめる。

「リョーコさん、落ち着いて!」

 それに気づき、ルリがリョーコをたしなめる。

 だが、リョーコの叫びは容赦なく続いた。

「テンカワ、返事しろ!ここにはな、ユリカがいるんだぞ!」

「いや……」

 はぁはぁ、と荒い呼吸音の中で、ユリカが押し出すようにつぶやいた。

「リョーコさん!!」

「テンカワなんだろ!おい、テンカワ……!」

……ドサ、と鈍い音と共に、ユリカの身体が崩れた。

「ユリカさん!」

 ルリが、クルーの手前をはばかることなく叫ぶ。

 ユリカは両のひざをつき、そして腕を床に突っ張って肩で息をしていた。

 声をかけようとしたその時、ルリはそこにクルーの動揺した視線を感じた。

 ルリが毅然と顔を上げ、艦橋全体を見回す。

「ハーリーくん、データ解析続行! みなさんも持ち場をそのまま維持。いいですね」

 その尋常でないルリの強い態度に、クルーはやや衝撃を受けながらも持ち場に戻る。それを確認してから、ルリはリョーコ機との音声回線を切って、シートをユリカの視線まで落とした。

 断続的に荒い呼吸を繰り返しながらも、ユリカはルリの指揮卓に手をのばす。そして無理矢理に立ち上がった。

 ルリが心配そうにユリカの顔をのぞく。その顔は、なにかをこらえているように真っ青をだった。

「……ナデシコbは高杉機回収後ただちに本領域から撤退。負傷者の捜索を続行しながら、地球に……うっ」

 ユリカが自分の口に手を当てる。

「提督!」

 立ち上がろうとするルリの肩を軽く押さえ、ユリカはそのまま背を向け、歩き出した。

「……了解、しました」

 ユリカがブリッジから廊下に出る。

 それを見届けると、ルリは沈鬱な面もちでコンソールに視線を落とした。

  ☆

 洗面台。そこで、ユリカは顔を洗っていた。

 そして、手探りで水を止め、そして顔を右に少し上げると、そこに白いタオルが目に入った。視線をその方向に移すと、そこにはタオルをもったルリが立っていた。

「どうぞ」

「ありがとう……」

 ユリカがそれを受け取って顔をふきはじめる。

「ナデシコbはアマテラスを離脱し、現在地球に向かって巡航中です」

「アマテラスは?」

「さきほど爆発が確認されました……黒い正体不明機は、行方不明です」

 ユリカが顔をふき終わる。すると、それが終わるのを見計らっていたのか、ルリが腕を伸ばしてタオルを受け取った。

 ありがとう、とユリカがまた言った。

「リョーコさんは?」

「高杉さんが救出して、ただいま本艦で保護しています」

 ルリの顔が、一瞬、歪む。

 それに気づいて、ユリカは表情をやや曇らせる。

「それで、いま、どうしてるの?」

 ルリが視線を落とした。

「部屋に閉じこもって、でてきてくれません……。高杉さんが帰還したとき、格納庫に行ってお話をしようとしたのですが……、目を合わせないで、そのまま行ってしまいました」

 そして、無理に痛々しい笑顔をつくって顔を上げた。

「わたし、嫌われてしまったようです」

……突然、ユリカがルリを抱きしめた。

「ユリカさん……」

「ごめんね、ごめんね……ルリちゃんにつらい思い、させちゃったね」

 そしてユリカがルリに向かい合う。

「そんなことないです……ユリカさんの指示がなかったら、高杉さんも、リョーコさんも……」

 ありがとう、とまた言って、ユリカはルリの身体をはなし、立ち上がった。

「これからが大変だよ。がんばっていこうね」

 ユリカが明るい笑顔で頷く。ルリも笑顔で頷いた。

「はい。がんばりましょう」

「うんうん……それじゃ、わたしは部屋に戻るから」

「了解しました」

 ユリカはルリの横を抜けて廊下の向こうへと去っていった……。

 ひとり取り残されたルリは不意に横を向いた。鏡に自分の姿が映っている。

 そのもうひとりの自分に、静かに言った。

「でも……わたしは、信じたい……」

  ☆

 艦内の自室に戻って、ユリカは姿見の前に立った。

 ケープを脱いでハンガーに掛け、そして今度は喉元に手を当ててファスナーをつまみ、そのまま下に引っ張る。

 ファスナーが胸元までおりたところで、ユリカはその手をとめ、鏡に自分の首を近づけた。

 彼女の首にはペンダントのチェーンがかかっていた。だが、肝心の台座にはなんの貴石もついていなかった。

「やっぱり……」

 自嘲的につぶやく。念のため床をみてみるが、そこには何もおちていなかった。

 ファスナーを全部おろしてスーツを脱ぎ、下着姿になってスーツを振る……しかし、そこからは何も落ちてはこなかった。

 ため息をつく。

 身体を反転させ、壁を背にしてその場でうずくまった。そして腕を首の後ろにのばしてペンダントを外し、そのまま前に持ってきて右の掌に載せる。

 かつて蒼い貴石のついていた台座を見つめる。

「やっぱり、これ使わないと、ボソンジャンプできないんだよね……」

 その言葉が、やがて自分の中で確信に変わると、ユリカは膝を抱え、その膝に顔を埋めた。

「……アキト……」

 その声が泣き声にかわる。

「アキト……アキト……ごめんね……」

 ぎゅっとペンダントを握る右手に力がこもる。

「……アキトの大事な……大事な形身……なくしちゃったよ……」

 顔を埋めたまま、頭を振る。

「アキト……アキト……ごめんね、アキト……」

 さらにぎゅっと膝を抱きしめる。

「アキト……もう、いやなの……信じて……信じて……3度目はいやだよ……」

 涙で濡れた顔を上げ、ゆっくりと左手をその前にかざす。

 それをじっと子どものような瞳で見つめ、やがてその薬指に右手を触れる……。

「……アキト!……アキト……アキト……アキト!……ううぅ……アキトぉ……」

 ユリカはまたひざを抱え、そして何度も何度も、その名前を呼び続けた。

  ☆

 コロニー「アマテラス」爆発後まもなく、元木連中将・草壁ハルキを首領とする”火星の後継者”は火星を占拠。地球連合政府に対し宣戦布告を行う。これに統合軍の一部が賛同して軍を離脱、よって統合軍の威信が低下し、軍事行動がほぼ不可能となった。

 これに対し、地球連合宇宙軍はネルガル重工製の新造戦艦ND−001c、通称ナデシコcを火星に派遣することを決定。本作戦を極秘裏にすすめるべく、ナデシコaの元クルーを召集することに決定した。

(第1章・完。第2章に続く)

第1章9’を読む


前を読む第二章1を読む