第二章


 

 

「……できれば7月7日までに地球に帰ってきて、ぱあっとお祝いしたいよね」

 ユリカはいつものように笑顔でそう言った。

 総司令官室を退出してから1時間後、ユリカは、ホシノルリ・高杉サブロウタ・マキビハリの3人を自分の執務室に召集し、火星奪還作戦の概要と任務内容を伝えた。そしてさらに、その期限として7月7日と言い切ったのだった。

「し、7月7日ですか? それってあと2週間とちょっとじゃないですか。そんなに簡単な話なんですか?」

 ハーリーが微炭酸のレモンスカッシュの缶を両手で持ち、ユリカに向かって叫んだ。

「んーと、それくらいで片づくとおもうし、片づけないとだめだよ。ね、少佐」

「ありがとうございます」

 ルリはオレンジジュースの缶を両手で包みながら微笑んだ。ユリカは頷く。ハーリーはわけが分からないと言ったふうな顔をして、ルリとユリカと交互にその顔を見た。

「えっ、その日にちに、何か意味があるんですか?」

「極秘任務ということは、正規の軍人さんは使わないほうがいいですね」

 ハーリーの言葉を強引に無視し、ルリはユリカに言った。

「うん。だから、あまり時間もないし、ナデシコの昔の仲間に手伝ってもらおうかなって考えてる」

「……それなりの能力を持つクルーを集めるとなると、それが最良の方法とは思いますが……」

 ルリはそうつぶやき、じっとユリカを見た。ユリカの瞳には、なんらの迷いもないように見えた。

「ねえねぇ、艦長……うわっ」

「まあ、それはいいとして、でも提督、探すにしても、なんの手がかりもないんじゃ……」

 なおも食い下がるハーリーの頭を片手でむんずとつかみ、高杉はジンジャーエールを反対の手に持って問うた。

 ユリカは高杉に自信に満ちた笑顔を向ける。

「それなら大丈夫です。まもなくですから」

「まもなく?」

 と高杉が問い返した時、インターフォンから男の声がした。

『ユリカさん、私です』

「あ、どうぞどうぞ」

 すると、すーっとドアが開き、その向こうに立っていた男が部屋に入ってきた。

 めがねとちょび髭を生やした品のよい紳士風の男……かつてナデシコで会計主査を担当していたプロスペクターその人であった。

「お久しぶりです」

「本当にお久しぶりですね、プロスさん。さあ、どうぞ」

 ユリカは立ち上がって握手を交わし、プロスに席を勧めた。ユリカはそのまま小型の冷蔵庫の前へ行き、しゃがみ込んだ。

「プロスさん、お飲物、何にしますか?」

「砂糖の入っていないものなら何でもかまいませんよ……もう健康にも気を使わないといけない歳になりましてねえ。まったく、困ったものです」

 そう独語して、彼はルリを向いた。

「ルリさんもお変わりなく、何よりです」

 ルリは微笑みでそれに答えた。

 だが、その展開に呆気にとられて見ていたハーリーが、そこでようやく声を出した。

「あの……艦長。この人、だれですか?」

 すると、どこから出したのかわからないくらいの素早さで、プロスペクターはすっと名刺を出した。横から高杉ものぞき込む。

「ネルガル重工会長秘書室室長……プロスペクター……さん」

 ハーリーはそうつぶやき、顔を上げる。

「本名ですか?」

「いやいや、それはまあ、ペンネームみたいなものでして。本名は別にちゃんとあります」

 そこへユリカが戻ってきて、彼の前に無糖の缶コーヒを置いた。

「あ、どうも……それで、わたくし共が、クルーを集めるお手伝いすることになりました」

 そして眼鏡をなおす。

「ではさっそくお話をすすめましょうか……」

  ☆

……ナデシコcはオペレータ単独の集中的オペレーションが可能なため、基本的に操舵・通信系統の人員は必要とされない。しかしながら、何らかの事情でマニュアル操舵が必要になったときのために、クルーを予備的に確保しておくべきである。この点で、ナデシコで正操舵士であった遙ミナトがその候補に挙がった。

「エリナ女史は、月で一番えらくなっちゃいましてねぇ」

 とのプロスの言で、副操舵士であった彼女への勧誘はなくなった。

 反面、戦闘担当については高杉だけでは絶対的に人員が不足していることから、かつてのエステバリスのパイロット5人のうちの3人娘……昴リョーコ・天野ヒカル・真木イズミの獲得は最優先とされた……このとき、ルリとプロスペクターは、5人の中のひとりの名前を口にしないよう細心の注意を払った。

 また、整備担当もできるだけ集めることとなった。もちろん月で製造されたエステバリスはホールドアウト済みだが、パイロットの特性に合わせた最終調整を行うのにどうしても必要であるし、またその調整の出来不出来は、整備士とパイロットとの「呼吸」によって非常に大きく左右される。その意味でも昔の整備班を集める実際上の理由があった。

「……では、明日からさっそく手分けして集めることにしましょう」

 一通り話がまとまって、次にどのように人集めを行うかという点に移ったが、ここでひとつ問題が起こった。

  ☆

「……ひとりだなんて、危険すぎます!」

 どのような班分けを行うかについて、ユリカは、ルリ・高杉・ハーリーの3人と、自分一人という提案をしたのだった。それに対して、当然ルリは反対する。

「大丈夫だよ、少佐」

 ユリカは呑気とも言うべき笑顔で答えた。ルリは食い下がる。

「アマテラスでも敵に襲われたと聞きました。もう襲われないという保証はありません」

「でもね……もしまた敵に襲われたとしたら、きっとひとりでいても4人でいても、かわらないと思うよ」

 ユリカは静かに言った。その口調に、ルリは言葉を失った。

「敵が狙うとすれば、その目標は少佐よりも私。もし私がいなくても、ナデシコcは少佐ひとりで動かすことができるし、作戦も遂行できる。だけど、4人ともいなくなったら、この作戦はそこで終わっちゃう……それに、私ひとりなら逃げられるかもしれないけど、4人だとそれは難しいよね。誰かが犠牲になるかもしれない。そんなの嫌だよ」

「ですが……」

 そう言いかけて、やはりルリの口には次の言葉が出なかった。

 ユリカは微笑んだ。

「もし襲われたら、またジャンプして逃げるよ。だから、大丈夫だって」

「……提督を信じましょう、艦長」

 まだ決心のつかないルリを促すかのように、高杉が話に割ってきた。

「高杉さん……」

 ルリが高杉を見上げる。高杉は大きく頷き、ユリカを見た。

「それで、ジャンプするんでしたら、今度はぜひ俺の上に落ちてきてください。全身で優しく抱き留めてさしあげますよ」

 高杉さん!、と後ろからハーリーが咎める。それにユリカが笑顔で応えた。

「……歴史は繰り返す。まあ、ちょっとした同窓会みたいなものですかな」

 プロスペクターは眼鏡をなおしながら独り言をつぶやいた。


前を読む次を読む