第二章


 

 

 その時の衝撃に比べれば、4ヶ月前のあのことは、まったく取るに足りない出来事だったのかもしれない。

  ☆

 月にあるネルガルの研究所での実験を終え、ルリはアキトのアパートに戻った。

 そこには、無理に平静を装っているせいで、逆によそよそしさを見せるアキトとユリカの姿があった。

 夕食を終え、食後のお茶を飲んでいるところに、アキトがようやく切り出してきた。

「ルリちゃん……。あのね……俺たち、結婚することになったから……」

 ユリカはアキトをちらっと見やり、そして嬉しそうに頬を少し染めた。

 ルリは笑顔をつくってそれに応えた。

「おめでとうございます、アキトさん、ユリカさん」

「あれ?……もっと驚くかと思ったけど」

 意外そうにアキトが言う。

「はい。帰ってくる前に、ユリカさんのお父さんのところに寄ってきましたから」

 そっか……とアキトはつぶやき、そのまま言葉を探したまま、何も言わなかった。

 沈黙が続く。

「それで……私、ここを出ます」

 ルリは二人に視線を合わせないように、うつむいて言った。

 予想通り、二人は驚いたようだ。

「ルリちゃん! そんな、私たち……」

「いいえ、別に、お二人の邪魔になるとか、そういうふうに考えたからではないんです」

「じゃあ、どうして……」

「……私は、軍に戻ることにしました」

 ルリは、二人の視線に耐えるように、じっと畳を見続けた。

 アキトとユリカの顔を見るのが、恐かった。

 もし見れば、自分の決心が鈍ってしまうかも知れない。

「……ネルガルが、新しい戦艦を作っているそうです。そこで、私を専属のオペレータとして迎えたいと言われました。私は、自分を必要としている人がいる以上、それに答えられる存在でありたいと思っています」

 そして、前もって考えておいた言葉を一字一句思い出しながら、ルリは続けた。

「ここを出た後、ユリカさんの家に戻ります。もう、ユリカさんのお父さんは承諾してくださいました。明日にでも、荷物をまとめてお世話になるつもりです」

「ルリちゃん……」

 顔を上げる。

 アキトが悲しそうな表情をしていた。

 ルリは、自分の気持ちに鞭をうって、ことさらに笑顔を作って明るく言った。

「そんな顔をしないでください。私たち、家族です。離れていても、家族ですから」

 その時、つぅっと頬を何か熱いものが伝わるのを感じた。

 

 その後、ルリはネルガルの研究所に通う一方、暇を見つけてはアキトの屋台を手伝い、またユリカの話し相手になっていた。結婚が決まって嬉しいはずのユリカが、逆にどこか寂しげな顔を見せていたからだ。

 その年の5月末をもって、ユリカは軍を退職した。結婚後も仕事を続けるものと思っていたコウイチロウはかなり慌てた様子だったが、ユリカの意志をまげることは最初から望めるわけもなく、そのまますんなり話は決まった。

 同じ日、かなり婉曲的な形で、ルリが新型戦艦の艦長に抜擢されるという話を聞かされた。本来ならユリカが占めるはずの地位、と彼女はすぐに理解した。と同時に、自分が自主的に何かを動かす地位に立つということに、漠然とした不安を感じずにはいられなかった。

 

 アキトの結婚式の時、ルリは遥ミナトとともに新婦の控え室にいた。

 ユリカはウェディングドレスを着て、幸せ一杯で嬉しさを隠しきれないといった感じだった。

「ねえ、ルリちゃん」

「なんでしょう」

「ブーケ、投げるから、受け取ってね」

「……私は結構です」

「どぉしてぇ?」

「私、まだ少女ですから」

「んーと……じゃあ、リョーコさんに投げようかな」

 すると横にいたミナトが困ったような呆れた顔をしてユリカに言った。

「それはやめた方がいいよ」

 ユリカは口では納得したが、顔は納得していない様子だった。

 

 披露宴は、あえて出席を辞退した。そして二次会も”事件”でお開きとなり、ミスマル家にもどると、コウイチロウと、そしてアオイジュンが居間で杯を交わしていた。

 コウイチロウは泣いていた。ジュンは酔ってはいるが落ち着いた穏やかな表情で、それを慰めていた。

 ふっとルリは笑って自室に戻った。

 

 翌日、宇宙港でアキトとユリカを見送ったあと、ミナトとユキナと三人でドライブがてら海へ向かった。

 靴と靴下を脱いで、波打ち際を歩いた。水は冷たく、泳ぐにはまだ早すぎたが、それでも、海の碧さと空の青さ、それらが溶け合うその風景が、ルリの心に染みた。

 だが、突然、悲鳴にも似たミナトの叫びが車の方から聞こえた。

 はっとして、車に戻る。

「シャトルが……!」

 ミナトの顔は蒼白で、ユキナも心配そうにカーテレビの画面を見ていた。

 それは、アキトとユリカの乗ったシャトルが、月軌道上で爆発したというニュースを伝えていた。

  ☆

 遺体のない葬儀……限りなく無意味な行為に思えた。だが、”お葬式はね、生きている人からの、お別れの会なのよ”というミナトの言葉に、なぜか心をかき乱される思いがした。

 もし、ミナトの言うことが本当なら、自分はお別れなんかしたくない。

 遺体もないのに、死を受け入れる。それはルリにとってあまりにも酷な行為であった。

 無彩色の天河アキトの遺影。それを持ちながら、ルリは、まるで夢の世界で自分がそうしているのを見ているかのような錯覚に陥っていた。

 アキトの葬儀を終えて、ユリカの病室に戻る。

 ユリカは、決してそこにいるはずのない人間と、楽しそうに会話をしていた。

 それは、「以前」となんら変わることのないユリカの姿だった。ナデシコの艦長として、コック兼パイロットに恋する、あの時のままのユリカだった。

 

 ユリカは、助かった。

 爆発したシャトルから脱出用のボットで離脱し、月の連合宇宙軍に保護され、そして、極秘裏に地球の軍病院に転院となったのだった。

 はやる気持ちを抑えきれないルリは、コウイチロウの制止を聞かず、ユリカの病室を開けた。

 ユリカは、ベッドから半身を起こして窓の外を見つめていた。

 病人とは思えないくらい顔色がよく、また怪我もなく元気そうに見えた。

「ユリカさん!」

 安心してユリカのそばに駆け寄る。ユリカもそれに気づいて振り向き、微笑んだ。

「ルリちゃん……あとどれくらいで、”思兼”の機嫌は直るのかな」

 ルリは足をとめた。

「思兼……?」

「うん。バックアップとってから、調子わるいんだよね」

 天真爛漫な笑顔を見せるユリカ。

 ルリは、唖然としながらも、その言葉の真意をつかもうと必死に考えこんだ。

 その時、病室にコウイチロウが入ってきた。

「ユリカ、もう少しかかるそうだから、ゆっくり待っていなさい……行こうか、ルリくん」

 ルリの肩にコウイチロウの手が載せられた。

「わかりました、お父さま。それじゃ、ルリちゃん、よろしくね……」

 ルリは身体に力が入らなかった。その身体をコウイチロウにひきずられる形で、ユリカの病室を出た。

 廊下に備え付けてある長椅子に倒れるように腰をかけ、呆然としてうなだれる。

 コウイチロウはやがてポツリと言った。

「月で助かってから、ずっとあの調子らしい……ユリカは……ユリカは……」

 その先を言いかけ、そしてそれがかなわず、コウイチロウは肩を落とし嗚咽をもらしはじめた。

 

 次の日から、ルリはユリカのそばについていた。新造戦艦の実験と軍への編入試験の準備のためにいられる時間は少なかったが、それでも時間があればここにいた。

 シャトルの事故は、たしかに”事件”ではあったらしい。報道管制が解かれてからというもの、マスコミの騒乱ぶりはすさまじく、それらはルリの耳にも届いてはいる。

 だが、そんなことは、ルリにはどうでもよかった。

 アキトを、失ったこと。

 アキトを失ったユリカが、ここにいること。、

 そして、新造戦艦の艦長という重責を担うことになること。

 それだけが、彼女にとっての事実であった。

 

 それから間もなくして、別の訃報が届いた。イネス=フレサンジュ博士の事故死である。

 実験中にコンピュータの回路が過電圧をおこし、爆発。それに巻き込まれたというのだ。

 博士の葬儀には、あの時……天河アキトの葬儀に集った人間が、ほぼそのまま参列していた。わずかの間に仲間を二人も失うというのがこたえているのか、参列者には会話がほとんどなかった。

 ルリはまた”証”のない”お別れ”をした。

 

 ある日、アカツキナガレが見舞いに来るという連絡が入った。前(さき)の大戦での戦争責任を問われ、公の場からは姿を消しているはずなのだが、それでもユリカの見舞いに来てくれるという。

 ルリは、その気持ちがうれしかった。

 かちゃっとドアの開く音がする。そして、アカツキが花束を持って入ってきた。女性の部屋なのにノックをしない、この不遜さがアカツキらしかった。

 その音に、窓の外をじっと見ていたユリカがアカツキの方を向いた。

「アカツキさん!」

 ユリカは弾んだ声をあげた。アカツキは髪をかきあげ言った。

「ひさしぶり、艦長。元気そうだねぇ」

 そしてルリに向き直り、笑顔を見せた。

「君も元気そうで何よりだよ、ルリくん」

「いいえ。アカツキさんこそ」

 ルリは、やや堅い表情で応えた。

「アカツキさん、今日も平和でいいですね」

 すると、んっとアカツキはたじろいた。だが、すぐさまもとの平静を取り戻したようだ。

「そうだねえ、ここのところ、敵襲もないし、結構結構」

「そうですね、あははは」

 ユリカは満面の笑顔を見せた

「それで……アカツキさん、お願いがあるんです」

「ん? なんだい?」

「アキトのこと、しっかり守ってください。お願いしますね」

 今後はさすがに動揺を隠しきれなかったらしく、アカツキは慌てて言った。

「あ、ああ。もちろんだとも。きっと守ってみせるさ、なあ、ルリくん」

「え……そうですね」

「じゃ、じゃあ、僕はエステの補修があるから、これで」

 逃げるように、アカツキはドアの方へ向かった。

「わっかりましたぁ。がんばってお仕事しましょう。ぶい!」

 ユリカがブイサインでアカツキを見送った。

 その後に続いて、ルリがアカツキを追う。

 廊下に出ると、アカツキは手で顔を拭っていた。

「……アカツキさん……」

「艦長に言っておいてくれ。テンカワくんは、僕がまもる、と」

 そう言って、アカツキは二度とその表情を見せずに、廊下の向こうに消えていった。

  ☆

 事故から一ヶ月がたち、ルリは15歳の誕生日を迎えた。

 夕方からホウメイの店「日々平穏」で祝福された後、ルリはユリカの病室に向かった。

 だが、そこにはユリカの姿はなかった。窓が開いていたので、そこから下を見てみたが、なにもない。安堵のため息をつくが、だが、不意に胸騒ぎがして、今度は屋上に向かった。

 屋上では、鉄柵に手をかけて星空を仰いでいるユリカの姿があった。

 ルリはその背後に歩み寄った。

「なにを、しているんです?」

「……天の川、綺麗だね……」

 天の川に視線を泳がせ、ユリカは無邪気に感嘆した。

「あの向こうに行けば、アキトに会えるかな」

「会えませんよ」

 ルリは冷淡に言い放った。

「そっか……」

 ユリカは悠然と夜空を眺めていた。そして、ルリが言葉をかけようとした時、ユリカがぽつりと言った。

「……アキト、帰ってこないね」

「そうですね」

 すると、ユリカはルリに向き直り、かけていたペンダントを外すと、それをルリに手渡した。

「それ、アキトからもらったんだ」

 ルリはCCのついたペンダントを見つめた。

「アキトはね、火星から地球に来た時、それをつけていて、それで私のことを思い出して、飛んできたんだよ。でも、それを私が持っているってことは、アキトは、帰って来れないね……」

 また空を仰ぎ、ユリカは遠い目で天の川を眺めた。

「私、アキトと一緒に行きたかったよ……」

 さみしそうにユリカはつぶやく。ルリは何も言えなかった。

 そして、ユリカは、ぽつんと言った。

「……シャトルが爆発して、けむりがはれたら、なんかよくわからない人が出てきて、アキトと私の名前を呼んで、それで襲ってきたんだよ」

 ルリは耳を疑い、えっ、を思わず声まであげてしまった。

 事故、ではない……?

 だが、ユリカは、ルリのその様子を気にとめず、続けた。

「アキトが、その人をくい止めてね。わたしを逃がしてくれたんだ……」

「そんな……」

「でもね……アキトのこと、何も感じないんだ。夢にも出てこない。……どうなるかわからないけど、私もアキトと一緒に行って、アキトをずっと感じていたかったよ……」

 ユリカは視線をルリに移した。その表情は、はかなげで、さみしげで、自嘲的なものだった。

 ルリは肩を震わせ、なぜか襲ってくる衝動をこらえた。

「私が悪いんだよ。あのとき、落ち着いて、アキトと一緒にどこかにジャンプすればよかったのに。それなのに……私は、あわてて、泣いて、アキトを捨てて、ひとり助かって……」

「……やめてください」

「それ、もらわなければ良かった。アキトはきっと助かったよ。アキトが助かった方が良かった。私なんかよりも……」

「ユリカさん!」

 ルリは怒りに顔を歪ませて、ユリカの頬を張った。そして、返す手で反対の頬も張った。そしてパジャマの胸ぐらをつかんで、ユリカの背中を鉄柵に打ち付けた。

「どうしてアキトさんをおとしめることを言うんですか! アキトさん、ユリカさんのために命を懸けたんですよ。アキトさんの行為を汚すようなことを言わないでください!」

 呼吸を荒らげ、きっとユリカをにらむ。

 ユリカが突然のことにとまどい、そしてうなだれた。

 呼吸を落ち着かせて続けた。

「私だって、アキトさんがいなくなって悲しいです。どうしてアキトさんなんだろうって、思ったこともあります。でも、アキトさんは、命と引き替えにユリカさんを守りました。そんなアキトさんが私は好きです。だから、命がけで守ったユリカさんへのアキトさんの想いは、すごく純粋で、綺麗で、何物にも代え難いものだと思います。それなのに……それなのに、どうしてそういうことを言うんですか」

「ルリちゃん……」

 ユリカの頬を涙が伝わった。

 ルリは微笑んだ。

「私、ユリカさんが生きていて、嬉しいです。二人ともいなくなっていたら、私は……」

 ルリはユリカの胸に顔を埋めた。やがて、嗚咽を漏らす。

 ユリカは、そのルリの頭を抱きしめた。

  ☆

 その日以降、ユリカの精神は順調に回復し、その後3週間で退院の運びとなった。

 ユリカはアキトと住んでいたアパートに戻ると主張したが、それはかなわなかった。老朽化のため、すでに取り壊しが決定していたからだ。

 荷物はすべてミスマル家に運ばれていた……はずだった。だが、ユリカにとって大事なものがひとつ足りなかった。

 火星にいたときに撮った、幼年時代のアキトとユリカの写真が入った銀のフォトフレーム。

 ユリカとルリは、取り壊し予定のアパートに忍び込んですみずみまで探したが、ついに発見することができなかった。その時のユリカの失望の表情と、それを隠そうとする態度が痛々しかった。

 アパートの取り壊しの当日、ユリカはその工事に立ち会った。ルリも一緒にその隣で見ていた。3人で暮らした部屋が崩れる瞬間、ルリの手をユリカがぎゅっと握った。ルリもそれを握り返した。

 

 ルリは大尉として連合宇宙軍に入った。新造戦艦の工程がイネス博士の死去によって滞り、本来ならば翌年の4月に就役だったはずが、翌々年の9月にまでその予定が延びてしまった。そのため、本来は試験のために製造されていた船に戦闘能力を持たせた「戦艦」を、翌年の9月に導入することが決定した。それが、ND−001b・通称ナデシコbであった。

 また、ユリカも軍に復職することにした。総司令に就任したコウイチロウの取り計らいでただちに予備役編入となり、また、それを機に、コウイチロウの家から軍の宿舎に引っ越すことにした。

 

「おはよう、ルリちゃん」

 ルリが振り返ると、そこにはバイザーをつけたユリカが立っていた。

「どう? 驚いた?」

「ユリカさん……どうしたんですか?」

 ルリはさすがに驚きを隠せなかった。

 ユリカはすこし照れながら応えた。

「……ちょっと、変わろうと思ってね」

「変わる?」

「うん……。あ、そうそう、名前もね、テンカワユリカって名乗ることにしたから」

「総司令に反対されませんでしたか?」

「されたよ……だから、家を出ようかと思って」

 

 そして翌年の4月、9月に退役が決まっているナデシコ……既にナデシコaという名の戦艦の艦長として就任した。だが、ナデシコaはネルガルのドックに係留されているため、実質的なユリカの仕事はなかった。しかしそれでも、ナデシコの艦長であることに誇りを感じているようだった。

 それと前後して、ルリは少佐に昇進し、ナデシコbの艦長に内定した。クルーの人選がはじまり、副官として、元木連出身の高杉サブロウタ中尉と、自分と同じネルガルのラボ出身のマキビハリ少尉が選ばれた。後にハーリーと呼ばれる少年はよしとして、自分よりも年上の人間を部下に持つことにいささかの不安もあったが、私生活はともかく、任務を果たす上では、忠実に命令に従った。後になって、前の大戦でナデシコと戦闘経験があることを知った。

 

 9月。ルリは正式にナデシコbの艦長に就任し、ユリカはナデシコaの退役を機に准将に昇進して統合参謀本部のスタッフに名を連ねた。

 そこで、ユリカは戦術・戦略面で本来持っていた有能さを示す一方、以前見せていたボケを極端に見せなくなった。それは、それまでのユリカを知るものからは驚きをもって迎えられたが、一部の……とくに秋山ゲンパチロウ少将は、自分の見込んだ通りと剛胆な笑顔で納得していた。

 ルリは思う。

 ユリカは変わったように見える。だが、本質的には変わっていないと。

 私らしく、そのユリカのポリシーは変わっていないのだから。


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