第二章


 

 

 翌日、昨日の疲労が残っているという理由で朝寝を楽しんでいたユリカのもとに、連合宇宙軍統合参謀本部からの緊急の召集が入った。

 やや緊張の面もちでユリカは軍司令部ビルに入り、そしてそのまま会議室に向かった。

 ドアの前で髪やケープや階級章の位置を整え、ドアを開ける。

「テンカワ准将、入ります」

 そこには、総司令である父コウイチロウとムネタケ参謀長、秋山少将、そして……鮮やかな彩りのスイカが待っていた。

「おお、ユリ……いや、テンカワ准将、よく来たね。ささ、座ってスイカをおあがり」

 その父の言葉に、ユリカは精神的に3歩よろめいた。

「昨日、実にうまいスイカが手に入ってね、これはみんなで食べないともったいないと思って、持ってきたんだよ」

 ユリカは笑顔を少しひきつらせて言った。

「……緊急の用件って、スイカのことなんですか?」

「いや、テンカワ准将。たかがスイカ、されどスイカ。さすがに地球の果物はうまいが、これほどまでに美味いスイカを、私は食べたことがない」

 秋山が豪快に言う。

「うむ、ほどよく水気と甘みがあって、そのバランスがとれたいいスイカだよ、准将」

 ムネタケ参謀長が眼鏡をなおしながら、食通ぶりを見せる。

「あとでルリ君とアオイ君もくるし、そうしたら用件に入るとして、まあ、とにかく、座っておあがりなさい」

 あきれながらも父の言葉にしたがって座りながら、ユリカは思い出した。

 これまでに主要な用件が先に果たされたことがないことを。

「……そういえば、昨日の夜はどこへ行っていたんだい」

 スイカを手に取ろうとしたとき、コウイチロウが尋ねた。

「昨日は……は、ははは……」

 イズミのステージが引けた後、3人で再会を祝して乾杯をした。そこまでは良かったのだが、リョーコが泥酔してしまい、それをイズミが悪酔いしそうなギャグでさらに悪化させ、飲めないユリカがリョーコを介抱して宿舎に送ったのはいいが、その先でリョーコに絡まれて大変な思いをしたのだった。

「……何回も電話をいれても出ないから、心配したんだぞ。若い娘がそんなに夜遅くまで出歩くなんて、父さん、感心しないな」

「コミュニケで連絡をしていただければよかったのに」

「いや、私はこれでも厳格な人間だからね。公私混同は避けたいと思っている……ん、どうしたね、秋山くん」

 むせってせき込んでいる秋山を、コウイチロウは平然と気遣った。

 そこへ、ルリとアオイジュンが入ってきた。

 言われるまま席に着く。

「遅くなって申し訳ありません」

「気にしなくていいよ、中佐。では、みんな集まったところで、本題に入りましょうか、総司令」

 ムネタケの言葉に、顔を引き締めたコウイチロウが大きくうなずいた。

「昨日、統合軍第5艦隊が、火星の後継者を名乗る賊に撃破された」

 え、とジュンは声を上げて驚いた。

「火星への遠征軍を、すでに出していたのですか?」

「いや、それは違う。ごく大ざっぱに言うと、地球と火星の中間の位置に、統合軍……元とつけるべきかな、統合軍第3艦隊の一部がいて、それを攻撃したのだよ」

 ムネタケが補足する。

 するとユリカは首を傾げた。

「火星の後継者は、火星の極冠遺跡を占拠したんですよね。だとしたら、どうやって、第5艦隊を撃破できるんです?」

 コウイチロウは厳しい顔をした。

「それが、だ。直前の交信記録によれば、一個艦隊がボソンアウトしてきたと言うのだ」

「一個艦隊の、ボソンジャンプ……」

 さすがにユリカは驚きのあまり絶句してしまった。

「火星の後継者は、すべてのA級ジャンパーを実験に供したわけではないですからな。自らの意志、説得、脅迫……まあ、なんでもいい、とにかく、賊に協力するA級ジャンパーも多かったということです……あ、いや、その、准将」

 いつの間にか沈鬱な面もちでスイカを見つめているユリカを見て、秋山があわてた。大丈夫ですよ、とユリカは笑顔で断った。

「つまり……」

 ルリがハンカチで口をぬぐって言う。

「つまり、ナデシコcを急いだ方がいいということですね」

 ムネタケがうなずいた。

「既にネルガルの方には話をつけてある。ナデシコcは既に全工程の90%を終了し、あとは外装や内装などの戦闘に関係のないところを残すまで仕上がっている。問題は……」

「思兼ですか」

「そう。動作実験ぐらいは最低でもしなくてはならないだろうし。そこで、そのチェックのため、マキビハリ少尉に、明日、月のネルガルの研究所に向かってもらうことにした」

「私ではないのですか?」

 不審な顔をしたルリに、コウイチロウが答えた。

「うむ、それも考えたのだが、動作確認のためにルリ君を派遣するまでもないと思ってね」

「なるほど……わかりました。マキビハリ少尉に行ってもらいます。ですが、月まではどのようにして行くのですか?」

「なに、A級ジャンパーのナビゲートによる、長距離のボソンジャンプとか聞いている」

 すると、発言者のムネタケをのぞく一同の視線が、スイカを口に運ぼうとしていたユリカに集まった。

「えっ、えっ……私ですか?そんな話、聞いてませんよ」

「いや、私もそんな話は聞いてないよ」

 すました顔でムネタケが答える。

「そうですか……A級ジャンパー、地球にまだいるんですね……」

 ユリカは安堵の笑みを浮かべた。

 こほん、とコウイチロウは軽い咳払いをした。

「うむ、では明朝9時にヒラツカシティーにあるネルガルの研究所に向かうよう、ルリ君から伝達を頼むよ」

 わかりました、とルリは応えた。

「それから、ナデシコcのクルー集めはどこまですすんでいるのかね」

 ムネタケがアオイジュンに尋ねる。ジュンは今回の作戦で裏方に回り、主に作戦の進行状況を把握するという役目を担っている。

「はい。戦闘要員はすべて参加するということになりました。彼女たちには、これからネルガルの施設で訓練を受けてもらうことになっています。整備要員については、現在のところほぼ半数の参加が確定しておりますが、さらに参加を募るため、ホシノ少佐たちがこれから向かうことになっています。また、元整備班班長のウリバタケセイヤさんの返事がまだ来ていないため、これはテンカワ准将に」

 ユリカはうなずき、そして付け加える。

「それから、操舵士として遥ミナトさんの参加をお願いするつもりです」

「よろしい……では、引き続き……」

 と、コウイチロウが言いかけたとき、突然コミュニケの画面が開いた。

「アオイ中佐、外線です」

「へ?」

「はぁい、アオイちゃん、元気ぃ?」

 白鳥ユキナがコミュニケの画面に現れた。

 おおっ、と感嘆する男性陣。きょとんとする女性陣。

 ジュンは一人あわてふためいた。

「な、なんでこっちに回すんだ」

「ごく親しい方からの、緊急の用とのことでしたので」

 オペレータはそれだけ言うとコミュニケを切った。

「ごく親しい方……」

 ルリがつぶやく。

「ねぇねぇアオイちゃん。ミナトさん、そっちに行ってない?」

「し、知らないよ!」

 ジュンの白々しい返答ぶりにユキナがむくれる。

「うそうそうそ。図星ね、ず・ぼ・しっ」

 その二人のやりとりに、ユリカはその場を離れようという合図を指で他の一同に送った。

 おのおのスイカを片手に窓際に移動する。

「そ、そんな、軍の機密だよ!」

「あ、やっぱり知ってるんだ。おねがぁい、おしえてぇん〜」

 その猫なで声にジュンはユキナに背中を向けた。

「教えてくれたら、デートでもなんでもしてあげるし、わがままも言いません。あなたのユキナになりますからぁ」

「ば、ばかなことを言うな!」

 ジュンが赤い顔で言い返す。

「……アオイ君もできるヤツなんだが、いいヤツ過ぎてね」

「わかる!」

「女子高生に手玉に取られては、いけませんな」

「バカ……」

「でも、おともだちとしては最高ですよ」

 まるで他人事のように一同は言ってのけた。

 そして、これからミナトに会う予定であるユリカは、平然とスイカをかじりながらその様子を眺めていた。

 カワサキシティー、午後3時。

 ユリカは、とある中華料理屋の前に立って、その看板を見上げていた。

「『日々平穏』……ここだな。やっと見つけたよ。こんにちわ〜」

”準備中”という札のかかった店の引き戸を開ける。

「いらっしゃい……待ってたよ、艦長」

 ホウメイが、昔と変わらぬ力強い笑顔で迎えてくれた。

「どうもどうも。いやぁ、道に迷っちゃって、あはは……」

 ユリカは照れ笑いをし、そして店内を見回す。

 店内は他に誰もいなかった。

「……あれ、ルリちゃんたちは……」

「男の子を探しに行っちゃったよ」

 男の子……ハーリーくんのことか。

「そうですか……一足おそかったですね」

「そうだね……まあ、そんなところに立ってないで、おかけよ」

「すいません」

 そう言ってユリカは店のカウンターに腰掛けた。

……ホウメイが、中華鍋を振って料理を作っている。

 ユリカはそれをじっと見つめていた。

「……あの子も、大変そうだね」

 ホウメイが、調味料を一さじ鍋にくわえながら言った。

「顔にはでてないけど、かなり無理してるんじゃないかい」

「そうですね……」

「あんたの艦長のときは、そんなに大変そうには見えなかったけどねぇ」

 そう言って、ホウメイは豪快に笑う。

 ユリカもつられて笑った。

「ルリちゃん、艦長としては、私よりよくできてますから」

「そうかい?」

 ホウメイが中華鍋を大きく左右に振り、中に火を伝わらせる。一瞬、ぶわっと火柱が鍋の中から上がった。

「あんたもよくがんばったと思うよ」

「……でも、私のときは、がんばろうっていう気にさせてくれる人がいましたから」

 遠い目でテーブルを見つめ、ユリカはつぶやくように言った。

「でも、ルリちゃんには、そういう人がいません。それがつらいと思います」

「……まあ、あんたがいるおかげで、助かっている部分もあると思うよ」

 ユリカは無言でそれに応えた。また、ぶわっという火柱の立つ音がした。

「そう言えば、火星にいくんだってね」

「はい」

「必ず、帰って来るんだよ。あの子のつらい顔、もう見たくないからね」

「もちろんです。必ず帰ってきます」

 ユリカは顔を上げた。

「7月7日、貸し切りにしておいてください」

 ホウメイはにっと笑った。

「わかってるって。毎年、うちはその日は空けとくんだよ……店主の都合によりってやつでね」

 ユリカは凛とした笑顔を見せた。

「ありがとうございます、ホウメイさん」

 すると、店のドアが開いた。

「こんにちは……あ、艦長」

 ユリカが振り向く。そこには、遥ミナトが立っていた。

「お久しぶりです、ミナトさん」

 笑顔でユリカが挨拶する。

「ひさしぶり。……そうそう、ルリルリたち、帰っちゃったよ」

「むっ……」

 ユリカが絶句する。ミナトとホウメイが笑い出した。

「あ、それでそれで、ルリちゃんたち、どうでした?」

「うん、それがね……」

 そう言いながらミナトはユリカの隣に座った。

「ハーリーくん、だよね、あの男の子。ハーリーくん、やきもち焼いててね」

「やきもち?」

 ぽかんという顔をユリカは見せた。

「うん、昔の仲間、昔のナデシコってやつに。……でも、ルリルリが迎えに来てくれて、一緒に帰っていったよ」

「色々とすいませんでした」

「あ、ううん、私は何もやってないよ。それでね、私もナデシコに乗ることにしたから」

「ありがとうございます、ミナトさん!」

 ミナトはちょっと照れくさそうに言った。

「うん、最初は顔だけ見て帰ろうかと思ってたんだけどね……あのルリルリみたら、やっぱり行く気になった」

 そう言って、ミナトは遠い目をした。

「……ハーリーくん、いい子だね」

「そうですね、本当に……」

 ユリカもそれに倣うかのように、ミナトと視線の先をあわせた。

 電車のドアにもたれかかり、ユリカはじっと外の夜景をとりとめなく眺めていた。

 バイザーをかけ、表情を消している。

 ドアのガラスに、自分の姿がうつる。

 ユリカはそっと手を自分の腹にあてた。

 

 昼下がり、旧市街地の整備工場にユリカは来ていた。

「お出かけなんですか……」

「ええ……ちょっと、町内会の寄り合いで……」

 玄関先で、困ったような後ろめたいような表情をして、ウリバタケの妻は言った。

「あの、何のご用でしょうか」

「あ、いえ、何でもありません。ちょっと近くまで来たものですから」

 明るい笑顔でそう答え、そして続けた。

「赤ちゃん、楽しみですね……」

 

「赤ちゃん、楽しみですね……か」

 右手で自分の子宮の上あたりをさぐる。限りなく平坦に近いそこを。

 うなだれる格好で、彼女は額をドアの窓につけた。

 すると、ぼんっというと衝撃とともに、目の前に反対方向の電車が過ぎていく。

 何気なく顔を起こす。

 その先……

 黒いマントに身を包み、自分と同じようにバイザーをつけた姿が目に入った。

 唇の端に笑みが見える。

 そして電車は一瞬のうちに過ぎ去った。

 ユリカはバイザーを直し、無言でその場に立っていた。

 いつものようにタクシーを宿舎の前につけ、ユリカは敷地内に入った。

 ゆっくりと玄関に向かう。

 だが、何歩目か踏みだした時、何かがぶつかったような軽い痛みが左のふくらはぎに走った。

「んっ……」

 思わずその場にしゃがみ込む。

 すると、次の瞬間、銃声が轟き、弾丸がユリカの頭上をわずかにかすめた。

 はっとして、ユリカは地面に伏せる。

 足音、そして争う声が聞こえてくる……。

”貴様……ネルガルの……”

”ミスマルユリカにこだわりすぎたのが、命取りとなったようだな”

”ふ……笑止”

”おとなしく投降しろ、北辰”

”……さらばだ”

”まて!”

 足音が去っていく。

 そして、ユリカの耳に、聞き覚えのある低い声が届いた。

「大丈夫か、ミスマルユリカ」

「大丈夫です。それに……」

 ユリカは起きあがって服についたほこりを払い、声の主を見た。

「ミスマルではなく、テンカワです。ゴートさん」

 ゴートホーリー……前にあったときよりもひときわ精悍さを増した彼は、すまなそうに言った。

「すまなかった。奴らが地球に来ているという情報を入手したのが1時間前だったから、警告の出しようがなかった」

「いいえ、助かりました。ありがとうございます」

 そして落としたバイザーをかけ直す。

「久しぶりです。ゴートさん、ネルガルにもどってたんですね」

「もともと私はネルガルの社員だ」

「そうですね……あの人たち、なぜ、私を襲ってきたんでしょう」

「奴らの目的はA級ジャンパーの独占。だからだろう」

 するとユリカはバイザーから笑みをのぞかせた。

「それはわかってます。でも……いまさら私を襲っても、無意味ですよ」

 ゴートは微妙に眉の先を動かした。それに気づきながら、ユリカは続けた。

「”火星の後継者”に勝ち目はありません。ナデシコのクルーはほぼ揃いました。あとはルリちゃんと思兼がひとつになれば、ナデシコcは無敵です。それに、私以外にもA級ジャンパーが地球にいるんですから……ゴートさんもご存じなんでしょう。私を守りにきたのではなくて、A級ジャンパーを守りに来たのですから」

 ゴートは厳しい視線をユリカに送っていた。ユリカも臆さずに視線を合わせる。

「あの人たちの狙いは、私なんですか?」

「そうだ」

「本当に?」

 ゴートがいぶかしげな顔を見せる。

「どういう意味だ」

「……北辰っていうんですか、あの人たち、ボソンジャンプして地球にきたんですよね。でも、私を襲うためだけに、わざわざそんなことするんですか?」

 ゴートは無言だった。

「ゴートさん」

「……言っている意味がわからない」

「……そうですか……」

 その時、門の外から、木連の白い軍服を来た長髪の男が現れた。

「ゴート、すまん。取り逃がした」

 ゴートは彼を振り向く。

「いや、行く先はわかっている。気にするな」

「……月臣、元一朗……」

 木連のクーデター後行方不明だった元木連少佐・月臣元一朗。そして、親友である白鳥九十九を暗殺した男。

 ユリカはわずかにバイザーを直し、月臣を見据えた。

 月臣もユリカをじっと見る。

”……ハーリーくん、いい子だね”

「助けていただいてありがとうございます。でも……私、まだ、あなたを許せそうにありません」

 そう言い残すと、ユリカは二人に背を向けて、建物に入っていった。


前を読む次を読む