第三章


 

 

 午後5時を過ぎても、ネルガルの研究所ではハーリーと思兼との接続実験が続けられていた。

 ユリカがオペレーションルームに足を踏み入れる。すると、ガラス越しに実験を見守っていたエリナが気づき、振り向いた。

「あら、おかえりなさい」

「ハーリーくん、どうですか?」

 ユリカはエリナの隣に立った。

 ガラスの向こうには、バイザーをつけ、シートに身を預けているハーリーの姿が見えた。

「さすがにホシノルリと同じラボを出ただけあって、順調よ。問題ないわ。それにしても……」

 エリナはユリカの顔をのぞく。

「まさか……あなたがここにくるとはね、ミスマルユリカ」

「テンカワです」

 ユリカはハーリーへの視線をそのままに、表情を変えないで平然と答えた。

 エリナは一瞬動揺を見せたが、すぐさま意味ありげな笑みを取り戻し、続けた。

「あなた、ここに何をしに来たの? 他のジャンパーを使うっていうのを、無理に変えてもらったそうじゃない」

 その言葉に、しばらくユリカは無言だった。

 エリナが、返答を促すように目許をややきつくする。

 ふぅとため息をつき、ユリカはおもむろに手を首の後ろにのばした。

 何事かとエリナがたじろぐ。

 それにかまわず、ユリカは手を襟の中につっこみ、そして何かを引き上げてエリナの目の前につきだした。

 それは、貴石がとれてしまったペンダントだった。

「これ……ア」

「あはは、実はですねぇ、ついてたCC、なくしちゃいまして。それで、一個いただけないかなぁなんて。あ、あはは」

 エリナの言葉を強引に遮るかたちで、ユリカは照れ笑いをしながらそう言った。

 それを聞いて、エリナはあきれ顔をし、一つため息をついた。

「いいわよ。1個でも2個でも、好きなだけあげるわよ。ほら、お貸しなさい」

 ユリカは満面の笑みを浮かべて、エリナにペンダントを渡した。エリナはそれを服のポケットに入れ、そして再びガラスの向こうにいるハーリーを見やった。

 そこに、研究員の声が入ってくる。

”部長、本日の実験行程、すべて完了しました”

 その声にエリナが応える。

「いいでしょう。実験終了。明日はナデシコcで実際に動作実験をするって言っておいて」

 それを合図に、ガラスの向こうの部屋がぱっと明るくなる。

 ハーリーがバイザーをはずして数回首をふり、ガラスの向こうのエリナとユリカに手を振る。

 ユリカと、そして隣でエリナが、笑顔で手を振り返した。

「……いいわ、あの子」

「ハーリー君、ですか?」

 意外な言葉にユリカが問い返す。

「そう、本当にいい子ね……」

 エリナは優しい視線でハーリーを見ながら言う。

 ユリカはぽつりと言った。

「私……昨日、ハーリー君と一緒に、お風呂に入っちゃいました」

……エリナは過敏な反応を見せた。

「あ、あ、あなたねえ、ちょ、ちょっ、ちょっと、どうしてそういうことするのよ」

 さすがに今度こそ動揺を隠しきれない様子で言う。

 すると、ユリカは満面の笑顔をエリナに見せた。

「かわいいじゃないですか、ハーリー君」

「……そうね。可愛いわよね」

 エリナは、開き直りともとれるような、妙に納得した顔をした。

 ユリカは何度もうなずく。

「そうですよね、そうですよね。エリナさんもチャレンジ♪」

「チャレンジ♪ って、ミスマルユリカっ」

「テンカワです」

”エリナさーん、提督ぅ、お疲れさまでしたぁ”

 その時、ハーリーの声が入った。

「えっ、あ、おつかれさま。上がってゆっくりしてね」

「あのねえ、ハーリー君。エリナさんが……」

 ユリカがそれに続けようとする。

 エリナは慌ててそれをごまかそうとした。

「ちょ、やめなさいよ。なんでもないわ、ハーリー君。あがってあがって」

 はーい、という無邪気な声が返ってくる。

 ふうっとエリナはため息をついた。

「……あなた、ぜんっぜん、変わってないわね」

「そうですか?……じゃあ、ハーリー君とは、ユリカがお風呂にはいろっと」

 微妙に論点をずらした言葉を言い残し、ユリカはオペレーションルームを出た。

  ☆

 その夜、ユリカはベッドに横になり、ぼおっと天井を見上げていた。

 午後9時、眠るにはまだ早い。地球にいるルリにコンタクトをとろうと試みたが、あいにくルリは留守だった。不審には思ったが、それ以上考えなかった。

 ルリはイネス博士のお墓参りに行ったはずだ。今日は博士の命日だから。本来なら、ユリカも一緒にお墓参りに行くはずだった。今年はあの場所に行けそうだった。

 だが、ユリカは月にいる。ペンダントの補修、ハーリーの付き添い、シャトル護衛の確認、ナデシコとの再会、そして……。

 コンコンとドアをノックする音が聞こえた。

「どなたですか?」

”あの……”

 ドアの向こうの少年は、そのまま口ごもった。

 ユリカはくすっと笑って立ち上がり、ドアを開けた。

「こんばんわ、ハーリーくん」

 すると、うわっと叫んでハーリーは驚き、顔を真っ赤にしたまま、手で目を隠した。

 きょとんとするユリカ。

「ん? どうしたの、ハーリー君?」

「て、提督、服をちゃんと着てください!」

 その言葉に自分の姿を見てみる。

 白いブラウスを上に着た、ラフではあるがいつもどおりの格好。

「着てるよ」

「そうじゃなくて、その……スカートとか」

 なるほど、いつもどおり、下は白い太ももをあらわにしていた。

「あ、ごめんごめん。じゃ、ちょっと待っててね」

……ややあって、ハーリーはユリカの部屋に入った。

「コーヒーだと子供は眠れなくなっちゃうから、ダメだよ」

 と、ユリカはのんきに言い、ハーリーにいちご牛乳を勧めた。

 そして尋ねる。

「思兼、元気だった?」

 やや緊張の面もちだったハーリーが顔を上げる。

「はい……最初はなかなか話を聞いてくれなかったんですが、艦長の話をして、ようやく友だちとして認めてくれました」

「そっか……コンピュータとお友だちかぁ……なんかすごいね」

 ハーリーは照れくさそうに頭をかいた。

「明日はナデシコcで、実際にナデシコを動かす実験をするんだよね」

 はい、と明瞭にハーリーが答える。

「ナデシコaはね、これくらいの大きな鍵を差し込まないと動かなかったんだよ。しかも、この鍵をさせるのは、艦長かネルガルの会長さんしかいないの……でも、私は明日呼ばれてないから、そんな鍵、もうないんだろうな……」

 ユリカは両手で”鍵”の大きさを作って見せ、そして少しだけ寂しそうな笑顔を見せた。

 しばらく会話が途切れる。

 ややあって、ハーリーが切り出した。

「……あの、提督は」

「ユリカさん」

「あっ、すいません。ユリカさんは実験中、何をしてたんですか?」

「うーんと……ルリちゃんの護衛をする人にあいさつをしに行って来たんだよ」

 その時、あの時のアララギ中佐たちの姿が脳裏に浮かんで、思わず思い出し笑いをする。

「……どうか、したんですか?」

 ハーリーが不審な顔を向ける。ユリカは首を横に振って、続けた。

「ううん、何でもない。信頼できる人だと思うよ」

「そうですか……よかった」

 安心した顔を見せる。ユリカも顔をほころばせ、何気ない口調で言った。

「ルリちゃんと、早く会いたいんだね」

 その言葉に、ハーリーはその顔を急激に真っ赤に染め上げた。

「ユリカさん!」

「あはは、ごめんごめん……私だって、はやくルリちゃんに会いたいよ。明後日、みんなと一緒に来るそうだから、そうしたら、一気に火星に飛んで、ぱっぱと片づけちゃいましょう」

 そして、再び会話が途切れた。

 ハーリーにどこかぎこちなさを感じながら、ユリカは問いかけた。

「それで、ハーリー君……何か、私にご用じゃなかったの?」

 すると、ハーリーは、急に表情に迷いを見せて、視線を落とした。

「どうしたの? 部屋にお化けでも出たの?」

 ユリカはつとめてのんきに言った。

 だが、ハーリーは視線を落としたままだった。

 ハーリーの顔をのぞき込む。

「もしかして、一人じゃ眠れないとか?」

「ちがいます。実は……」

 ハーリーが顔を上げた。その顔には悩みがありありと浮かんでいた。

「どうしたの?」

 心配そうにユリカが言う。

「実は……提督に見ていただきたいものがあるんです」

 そう言って、ハーリーはコミュニケを操作した。

 コミュニケの画面が浮かぶ。

 途端に、ユリカは目を見開いて驚いた。

 そこには、あの黒い正体不明機の設計図が映っていた。

「僕、ネルガルのメインコンピュータ、ハッキングしてたみたいなんです……」


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