第三章


「実は……提督に見ていただきたいものがあるんです」

 そう言って、ハーリーはコミュニケを操作した。

 そこにコミュニケの画面が浮かぶ。

 そして、そこには、黒い正体不明機の設計図らしきものが映っていた。

 途端にユリカの表情に緊張が走る。

「僕、ネルガルのメインコンピュータ、ハッキングしてたみたいなんです……」

 

 

「ハッキングって……えっ、これって、もしかして、ネルガルのコンピュータに入ってたデータなの、ハーリー君?」

 ユリカがハーリーに迫る。

 ハーリーが、再びうつむく。

 そこに映っているデータ……それは『アマテラス』を襲撃した黒いマシンに相違なかった。

「……実験でつかっていた思兼は、実は一部、メインコンピュータのエミュレータで動作していました。それで、思兼と話をしていたら……そのデータが出てきて……」

 その声には、迷い、そして若干の恐怖が含まれているように聞こえた。

 ユリカは理解した。ハーリーは、これをユリカに伝えるために、この部屋にきたのだと。

「……僕、どうしていいか、わからなくて……」

 ユリカは表情を和らげ、ハーリーの肩に手を載せた。

「いいよ、ハーリー君……それより、ばれてないよね」

 小声でハーリーにささやく。

 ハーリーがそっとうなずく。

「そっか……じゃ、これで、私たち、共犯だね」

 くすっとユリカが笑う。

 はっとしてハーリーが顔を上げる。

 ユリカはそれを敢えて無視する形で、視線を画面上の設計図に移した。

「……ふうん、これ、”ブラックサレナ”っていうんだ……」

 設計図左上の識別名称に目を移す。

「今度、ナデシコの識別コードにいれておいてね」

 そして軽口を叩く。

 その様子が若干の安堵を与えたようで、ハーリーはユリカの隣に座った。

「技術的にはどうなの? ハーリー君、わかる?」

「はい……高杉さんのエステバリスよりも、機体そのものは大きいと思います。火力も推進力もあります。ですが……」

「ですが?」

 ユリカは尊敬のまなざしでハーリーを見やる。

 ハーリーはやや硬い表情を引きずったまま答えた。

「肝心の動力部がそれに比べると……もしかしたら、フレームかもしれません」

「フレームって……エステに装着して、それで色んな機能をつけるやつでしょ?」

「はい……ですから、中身は普通のエステバリスタイプのマシンかもしれません」

 ユリカは小首を傾げる。

「え、待って、ハーリー君。そうすると、このマシン……わざわざエステバリスを利用して作ったことになるの?」

「そうだと思います」

「そんなのおかしいよ。一から開発した方が相性問題もないし、うまくいくって、聞いたことあるよ」

 ユリカは、ナデシコの整備班班長・ウリバタケの言葉を思い出した。もっとも、彼の作ったマシンは、現在の参謀長の息子を道連れにこの世から姿を消したが……。

 だが、その言葉に、ハーリーは再び視線を落とす。

 それを見て、ユリカはあわてて愛想笑いをした。

「ごめんごめん。ハーリー君に言ってもわかんないよね。続けて」

「はい……気になるのは、ここの……ほら、このユニットなんですが……現行型のフィールドジェネレータよりも遙かに巨大なものを搭載してます」

 ハーリーは図面の先を指さして説明した。

「となると?」

「もしパイロットがA級ジャンパーなら、ボソンジャンプ可能です」

「そうだね……実際にボソンジャンプしているわけだし……」

 ユリカは数回うなずき、そして思案顔をした。

 ややあって、不審そうに、ハーリーが声をかけてくる。

「……あの、どうか、しました?」

「あ、ううん、これなら私でも乗れるかな、なんて思って、あはは」

 その返答に、ハーリーは一瞬あきれ顔になりながら、手をコミュニケにのばした。

 コミュニケの画面に切り替わる。

 そこに映ったのは戦艦……これも、ブラックサレナと共に現れた戦艦だった。

「これは”ユーチャリス”……ナデシコbとほぼ同じサイズです」

 ユリカは再びコミニュケの画面を凝視する。

……そして、真剣な眼差しでハーリーの瞳を射抜いた。

「ハーリー君……」

「なんでしょうか?」

「これって、原本(オリジナル)の図面なの?」

 ハーリーはこくりとうなずいた。

「そっか……つまり、ネルガルが関係してるんだね……」

 ユリカはそうつぶやくと、遠い目を見せた。

 その目には、どこか迷いを見せていたのかもしれない。

 不意に、ハーリーが尋ねてきた。

「……提督の旦那さん、アキトさんっていうんですか」

 はっとしてユリカはハーリーを見た。

「どうして知ってるの?」

「あ、あの……思兼には前の記憶がすこし残っていて、提督の名前を教えたら、教えてくれました」

 たじろぎながらハーリーが答える。

「なんて?」

「アキトは私の王子さま」

 かっとユリカは目を見開く。

「……っていつも言ってたって、言ってました、思兼」

「そっか……思兼が……」

 ユリカは切ない笑顔を見せた。

 頭を垂れる……。

 拳をぎゅっと握り、肩を震わせる。

「そうだよ、王子さまだった……いつも……最後まで、ずっと……」

 そして、ユリカはきっと顔を上げた。

「ハーリーくんにお願いがあるの」

  ☆

 翌日、ユリカはひとり遅い朝を迎えた。

 あくびをかみ殺しながら、ナデシコcの係留されているドックのオペレーティングルームに足を運ぶ。

「……おはようございます」

 すると、中にいた研究員たちが、一瞬だけざわめいた。

 きょとんとするユリカ。

「……おはよう、ねぼすけさん」

 エリナが腕組みをしたまま振り替えり、口許にやや呆れた色を浮かべてあいさつした。

 そして、ユリカの様子を無視して続けた。

「あ、そうそう、できたわよ、これ」

 エリナはポケットに手を突っ込むと、昨日わたしておいたペンダントを取り出した。

 CCが妖しく群青の光を放っている。

「ありがとうございます、エリナさん」

 歩み寄ってそれを受け取り、そしてすぐさま首にかける。

 その様子を見届けて、エリナは言った。

「ちょっと、歩かない?」

 

 二人はオペレーティングルームを出て、ナデシコcに通じる廊下を歩いていた。

「……さっき、あの人たちが騒いだ理由、知りたい?」

「なんです?」

「あなたがハリ君を月にナビゲートしたとき、その精度のデータを採っていたの……その結果が出たのよ」

 エリナがユリカに顔を向ける。

「遺跡へのイメージ伝達率98%ですって……あなた、人間じゃないわ」

 ユリカは眉を寄せる。

「どういう意味ですか?」

「つまりね……目標地点に対する到達地点の誤差が2%……1メートルの物体をジャンプさせたら、2センチしか違わないってことよ。あなたたちが到着して、こっちは大騒ぎだったわよ。そんなに正確にジャンプしてくるとは思ってもみなかったから」

「なるほど……」

 ユリカは到着時、エリナの後ろであわてている研究員の姿を思い出した。

 すると、エリナは意味ありげな笑みを浮かべた。

「やつら……”火星の後継者”があなたを欲しがる理由、よくわかるわ。私だって欲しいもの」

「そんな、いまさら私を手に入れても……」

「そんなことないわよ。むしろ、ナデシコCが完成する今だからこそ欲しいわ……あなた、自分の価値、わかってないわね」

「そうでしょうか? 私がいなくても、ルリちゃんが思兼と一つになれば、ナデシコcは無敵です」

 ユリカは言い切った。

 だが、エリナはふうとため息をついて、ややさげすむように言った。

「それはまあ、理屈よね。でも……もし、あなたを人質にとって、あなたの喉許にナイフでも突きつけて交渉すればれば、ァ……ホシノルリ、あの子は何でも言うことを聞くわよ」

 きっとユリカはエリナをにらんだ。

「そんなこと、ありません!」

「そうかしら……言い切れる?」

 その言葉に、ユリカは視線を背けた。

「……それに、あなたのお父さん、連合宇宙軍の総司令でしょ。ついでに、連合宇宙軍も麾下におくことができるわね……政治的な点であなたを有効に活用できるわ」

「そんなことするなら、私は自ら命を絶ちます」

「じゃ、眠らせておけばいいかもね」

 ゆらり、とエリナの瞳に妖しげな光が浮かんだ。

「ついでに……そのナビゲート能力も活用できるし」

「眠ったら、遺跡にイメージ伝達できませんよ」

「遺跡にイメージを送る”媒介”としての能力が欲しいだけなのよ……たとえば、遺跡に融合するとかね。しかるのちに、1mクラスの爆弾をたくさんつくって地球の主要な都市に送り、防衛網をがたがたにする。その上で、ナデシコcをつかって地球を制圧すればいいわ。ま、統合軍と宇宙軍との内戦もオマケにつけてもいいかもね」

「……むごいですね。エリナさん……」

 ユリカは静かに言った。

 エリナは自虐的ともとれる笑みを浮かべていた。

「そうね……地球を制圧するんですもの、それくらいのことはして当たり前よ。火星になんてこもっていないで、素直にあなたを手中に収めれば、それだけですべて終わる。それを……玩具をもらった子どもみたいに、一個艦隊をボソンジャンプさせて喜んでる。そんなことして、なにか状況が変わるとでもいうのかしら。所詮、熱血しかしらない、力即暴力、人を物体としかとらえられない、奴らの欠点よ」

 エリナは吐き捨てるように言う。

 だが、その迫力に抗さず、ユリカは言い放った。

「でも、元木連の人からすれば、人質を使うことは卑怯な手段にあたると思うんじゃないですか?」

「……人体実験やっておいて、いまさらそんなこと考えても遅いわよ!」

 エリナが急に気色ばんだ。

 二人の間に、微妙な空白が生じる。

 そして、ふうと息を吐き、エリナは肩の力を抜いた。

「……ごめんなさい、ちょっと興奮しちゃったわ。ま、その話はまた今度にしましょう」

「そうですね……」

 ユリカは気のない返事をした。

  ☆

 夜。

 ルリへのメールを書き終え、その送付が終了したのを確認すると、ユリカは立ち上がって姿見の前に立った。

 バイザーを取り出し、装着する。

 そして、そこに映る自分の姿、それに一度うなずく。

 ドアに向かい、そしてもう一度振り返って部屋を眺めやると、部屋を出て、ハーリーの部屋へ向かった。

……12分後、ユリカはとある部屋の前に立っていた。

 研究所の案内図どおりなら、ここは敷地の上の空中に位置する場所のはず……つまり、非公開ブロック。

 ドアには古風にも4桁入力による鍵がついていた。

 簡単すぎる……だが、そのことが逆に、その部屋に人間が生活していることを意味していた。

 ハーリーから教わったばかりのパスワードを入力する。

 ドアが開く。それと同時に、自動的に中の照明が点灯する。

 ユリカは間髪入れずに中に入った。

 そこは、ユリカにあてがわれていたのと同じ、殺風景な部屋だった。

 ベッドと机、そしてタンス類。

 それらに生活感は感じられた。だが、それらは整頓されていることから判断すると、部屋の主はここしばらく不在のようであった。

 緊張のあまりユリカは息を吐く。

 不意にユリカは机に視線を移した。

 そして、吸い寄せられるようにその机に歩み寄り、机に載っていた物を取り上げた。

 それは、銀のフォトフレームだった。

 あの時に失くした、ユリカと彼との幼少時代の写真。

「……帰ってたの?」

 突然、ドアの方から女の声がした。


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