第4章


 

 

 心象風景……いつかどこかで見た記憶。

 どこまでも続く花畑。

 花冠をかぶり、ご満悦の自分。

 風がそよぐ草原。

 白い帽子をかぶり、自転車の後ろに乗ってはしゃぐ自分。

 そして、今ひとり花園の真ん中で寝転がる自分。

 腕枕をして、空を見上げる。

……そよ風が、花園を抜けていった。

”自分の選んだ道だから、後悔なんかしていないけど……もう、あの楽しかった時には戻れないんだなって思うと……”

 ユリカは艦長帽で顔を覆った。

  ☆

 ルリたちの乗ったシャトルを収容後、ユリカは、ルリを除くクルーたちを直ちにブリーフィングルームに集めた。本来ならばクルーに休養を与えるべきなのだろうが、先ほどの戦闘においてナデシコcの艦影が敵に捕捉されてしまった以上、あまりのんびりとはできなかった。

 作戦案の概要を説明するのに際し、当初、ユリカはルリに次のような提案をしていた。

「ねえルリちゃん。久しぶりに、『なぜなにナデシコ』ってのはどうかな?」

……それが実にあっさりとルリに拒絶されたため、ユリカは一人でホワイトボードの前に立っている。すでに作戦案の全容を把握しているルリは、その間、艦橋で思兼の最終調整をすることになっていた。

「……したがいまして、ナデシコcが火星に到着した直後に勝敗は決します。その後は敵の動きを注視しながら火星で待機、およそ8時間後に到着予定の第二艦隊を待ちます。なお、本作戦にあたっては、私はボソンジャンプのナビゲータをつとめるため、ホシノルリ少佐に一時的にナデシコcの艦の運用を委任します。また、エステバリス部隊については、アオイジュン中佐の指揮に従ってください。以上、何かご質問などございましたらどうぞ」

 言い終わって、部屋を見回す。

 すると、ゴートホーリーが挙手をして立ち上がった。

「作戦案そのものは見事であると評価したい。だが、率直に言って、艦長は敵を過小評価しているように、私には思える。敵の数だが、”火星の後継者”は統合軍の一部もその勢力に加え、実質的に5艦隊ほどの力を有していると聞いている。それらすべてを、エステバリス4機で抑え込むことは不可能だと考えるが、この点について、艦長の意見を聞きたい」

 一瞬、室内が凍ったように見えた。

 だが、ユリカはひるむことなく、凛とした笑顔を見せ、うなずいてみせた。

「たしかに、敵の全勢力が火星に存在するのならば、ゴートさんのおっしゃることは正しいと思います。ですが……現在はその状況にありません」

「それは……?」

 意図をつかめず、困惑するゴート。

「現在、敵勢力は分散しています……火星と、地球と月に」

 ユリカは微笑んだ。

「先ほど入った情報ですが、地球ではボソンジャンプによって現れたマシンが、政府機関を占拠しつつ地球連合議会へ向かっています。また、月も敵艦隊と交戦中とのことです。ボソンジャンプによって各部隊を有機的に結合させるという優れた作戦だとは思いますが……ナデシコcはそこをつきます」

 口許を微かに歪める。

「遺跡へのイメージ伝達を抑え込めば、地球と月への敵の部隊は連携を欠き、部隊は各個撃破の好餌となります。ですから、ナデシコcは安心して火星に残存する勢力を抑え込むことができますし、実質的にはそれで充分だということです」

 そして、胸を張って部屋を見回し、出来るだけお気楽な笑顔でユリカは言った。

「思兼とルリちゃんがひとつになれば、ナデシコcは無敵です! みなさんは安心して各自の作業をこなしてください」

「全長300メートルのナデシコcに乗る……大船に乗る、ク、ククククク」

 ウクレレの音と共に、陽気とは言えない笑い声が伝わった。

  ☆

「……ずいぶんと大見得を切りましたね」

 艦橋に戻るなり、ルリは言った。

 苦笑いしながら、ユリカは応えた。

「うん……私だって絶対にっていう自信はないよ」

 そして、ルリにウィンクしてみせる。

「艦長だから。クルーに安心してもらうのも、艦長の大事な役目だよ」

「……そうですね」

 ユリカはルリの隣に立った。

「思兼のご機嫌はどう?」

「はい、順調です。思兼、ハーリーくんのこと、気に入ったみたいです」

 その言葉の端に浮かぶ、ややさみしげな口調をユリカが聞き逃さなかった。

「……やきもち?」

「ちがいます」

 ルリは言下に否定した。

 だが、数秒後、笑みがこぼれる。

「……正確に言えば、それは嘘です。ハーリーくん、よくやってくれたと思います」

「そうだね……」

 ユリカも微笑み返し、そしてシャトルを出迎える時のハーリーを思い出していた。

……格納庫へ向かう道すがら、ハーリーは尋ねてきた。

「……あの、ひとつお聞きして、いいでしょうか」

「何かな」

「どうして、ナデシコcをあの時だしたんですか?」

 ユリカはふふっと笑った。

「じゃあね、ハーリーくんに問題」

「へっ?」

「あの時、どうすればシャトルは一番安全だったでしょうか?」

「それは……」

 そう言ったきり、ハーリーは言葉につまった。

「それはね、アララギ分艦隊の中心にいることだよ。敵艦隊を中央突破するアララギさんたちの中にいれば、流れ弾にでも当たらない限りシャトルは安全だよ」

 なるほどぉ、と、ハーリーが敬服したように言った。

「でも、どうしてその方法を艦長はとらなかったんでしょう」

「それはね、ハーリーくん。その方法だと、たしかにシャトルは安全だけど、アララギ艦隊にはかなりの損害が出るからだよ。敵艦隊も、アララギさんも、元木連のひとでしょ……任務に忠実過ぎて、きっと全滅するまで戦うと思うよ。ルリちゃんは、それを避けようと思ったんだと思う。優しいから、どうしてもアララギさんを巻き込みたくなかったんだよ。でも、さらに敵がボソンジャンプしてくるとは思ってなかったみたいだけど」

 そこまで言って、ユリカは、ハーリーがさらに難しい顔をしているのに気づいた。

「あ、まあ、ルリちゃんが無事で何よりだよね……さて、ルリちゃんの待つシャトルに到着!」

 格納庫に入り、シャトルの前で足を止めて、じっと待つ。

 やがて、隔壁が開き、私服姿のルリが姿を現した。

「……ありがとうございます、艦長」

 ユリカの前に歩み寄り、ルリは柔らかに言った。

 その言葉に、ユリカは居心地が悪そうにして応える。

「んー、なんかね、ルリちゃんに艦長って言われると、恥ずかしい気がするな」

「そうですか……あ、ハーリーくん」

 ルリの呼びかけに、ユリカの隣に立っていたハーリーが、はいっと応えて直立不動になる。

「ご苦労さま。ありがとう」

「あ……い、いえ……そんな……」

 ハーリーは顔を赤くし、照れくさそうに頭を掻いた。

……そのハーリーは、艦橋前部にある操舵席で遙ミナトと白鳥ユキナに、ナデシコcにおけるマニュアル操舵のレクチャーをしていた。ミナトはともかく、来てしまった以上、ユキナを追い返すわけにはいかない……。

「……じゃあ、ユキナちゃんはミナトさんのサポート。計器類を見て、ナデシコcの現状をミナトさんに伝えてください。とても大事な役目です」

「了解しました!」

 びしっとユキナが敬礼する。それを見て、ミナトはあきらめともつかないため息をついていた……。

「……さて、と、ルリちゃん」

 ユリカが視線を隣のルリに戻す。

 その目にはいたずらっぽい光が浮かんでいた。

「ナデシコcの識別コードを、ND-001cから、ND-001に変更できる?」

「……ナデシコのコードに、ですか?」

 いぶかしげに、ルリは確かめた。

「そう……それから、艦長の名前、テンカワユリカからミスマルユリカに変更」

 すると、さすがに困惑した表情で、ルリが問い返してきた。

「それは可能ですが……でも、どうしてです?」

 ふふっと、ユリカは思わせぶりに笑った。

「火星の後継者には元木連のひとが多いだよね。だから、ナデシコ艦長・ミスマルユリカの名前……」

 あ、とルリは声をあげた。

「勝負は一瞬……1秒でも時間が惜しいなら、この際、使えるものはぜんぶ使っちゃいましょう」

  ☆

 そして、ユリカはここにいる。

 戦闘準備完了後、作戦開始までの1時間を休息に充てるようクルーに指示し、ユリカはひとりナデシコcの展望室に入った。

 思兼の作り出す仮想現実の世界で、いつものように、うたた寝をしようとした。

 だが、それはどうしても叶わなかった。

 精緻な造形、精巧な風景……これは憧憬そのもののようだ。

 何となく心を見透かされたようで、ユリカは不快感を抱いていた。

 腕を頭の後ろで組んで腕枕をし、艦長帽で顔を覆っている。

 すると、急に近くに人の気配がした。

 腕枕を解いて帽子をとり、半身を起こしてその方を見やる。

 そこにはルリが立っていた。


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