第4章
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先の大戦後に作られた新しい枠組み、すなわち新地球連合政府と統合軍は、その創設の当初から内部分裂の芽を内包していた。それは、本質的な意味における地球と木連の融和が不徹底であったことに起因する。戦争の火種となった火星極冠遺跡は、互いに相手の独占を許さないという意味において「共有」とされ、その曖昧さを、戦争終結の祝賀ムードというオブラートでくるんだまま存置した。そして、そこに出来上がったのは、行動に整合性を欠く、単に巨大化した政府と単に肥大化した軍隊だった。
したがって、旧時代のしがらみが破壊され、それにかわる新しい秩序が求められるのも、また必然的な状況だったのかもしれない。
その点において、”火星の後継者”首領・草壁ハルキの資質は、それにかなうほど充分に優れたものだったと言えるであろう……ただし、状況が求めた以上に優秀過ぎるものではあったが。
鋭い戦略眼、実行力、カリスマ性。何より、自分こそ正義であるという揺るぎない信念。
それらは、この反乱に際して、いかんなく発揮されてきた。
新地球連合政府の意思統一の分断による威信低下。
統合軍の取り込みによる軍事力の強化、および政府側軍隊の弱体化。
クリムゾン財閥による財政力の確保、および技術力の保持。
ボソンジャンプの独占。
打てる手をすべて打った上での、地球侵攻。
ボソンジャンプによる奇襲作戦は、順調に進んでいた。残り一つ、地球連合総会議場の占拠までは。
新たなる秩序、それが完成した時こそ、草壁ハルキ個人の正義が、世界全体の正義となりうる瞬間であったかもしれない。
……しかしながら、表面上の成功が、逆にその目を曇らせる結果となっていた。
確かに、統合軍と対置される宇宙軍は精彩を欠く。ネルガルは戦争責任を追及されて斜陽の一途である。北辰らによってA級ジャンパーをほぼ独占し、ヤマサキ博士らによる研究者によってボソンジャンプの能力も飛躍的に上がった。
だが、それらが一体どうしたというのだろうか。宇宙軍には人材がそろっている。ネルガルには戦艦ナデシコをつくる技術がある。そして、A級ジャンパー・テンカワユリカの存在……草壁が前の大戦で苦しめられたのは、まさにこの三者ではなかったのか。
午後3時0分7秒、火星極冠遺跡上空、午睡を破る運命の使者、現る。
☆
「上空にボーソ粒子反応!」
ひとりのオペレータの声が指令室に響きわたる。
それは、戦勝ムードに浸っているその場の愚鈍な雰囲気を、強引に現実に引き戻した。
視線がメインスクリーンに集まる。
船影が一つ、大きさは三百メートル強。統合軍の戦艦よりも一回り大きいそれは……。
「ナデシコ級戦艦!」
「識別だせ!」
オペレータのうわずった声に、焦りの怒号がかぶさる。
コンピュータが間髪入れずに照合を開始した。
指令室にいたものすべてがスクリーンを見守った。その結果は、意外なほど早く出力され、そして、そこに映し出された照合結果に、一同が愕然とした。
「……まさか……」
疑いようもなく、誰もが3年前によく見知った識別がそこに浮かんでいた。
ND-001ナデシコ、艦長・御統ユリカの文字が。
……「ナデシコ、来襲」の報が、別室の草壁ハルキら”火星の後継者”幹部に伝わったのは、それから遅れること8秒後だった。
「ナデシコがここにいるわけはない。偽装だ!」
それがシンジョウアリトモ中佐の発した第一声だった。続けて、やや怯えてうろたえる部下に対し、叱咤するように言う。
「たかだか戦艦一隻でうろたえるな。何を怖れている!」
「で、ですが、艦長はあの……」
コミュニケの向こうの人物は萎縮して言葉に詰まった。その態度が、シンジョウの怒気をさらに煽った。
「それがどうした。いくら相手が”魔女”だとは言え、戦艦1隻。怖るるに足らず。早く迎撃を出せ!」
はいっ、とその部下が勢いに飲まれた形で敬礼をして、そこでコミュニケが切れた。
ふう、とシンジョウが苛立ち混じりのため息をつく。
すると、後ろでつぶやき声が聞こえた。
「……ミスマル、ユリカ……」
声の方に振り返ると、草壁ハルキが思案顔で腕組みをしていた。
「ナデシコ艦長・ミスマルユリカ……兵士たちも恐怖するだろう」
「閣下!」
シンジョウが礼に背く口調で言う。
草壁は、表情を変えずにシンジョウを見た。
「君がもし戦艦1隻の艦長だとして、敵に完全な包囲網を2度にわたって形成されながらも、それを苦もなく脱出したり、月の制空権を奪回したりすることは、できるか?」
「そんな……」
シンジョウは絶句する。返答に詰まったからではない。言葉の真意を悟ったからだ。
草壁は大きく息を吐いた。
「それをあっさりやってのけたんだよ、あの艦長は……」
その時、シンジョウの前にコミュニケが開き、混乱の極みの指令部を背景にして、困惑したオペレータが、絶望的な口調で報告した。
「だめです! 迎撃できません。敵のコンピュータによる強制ハッキングを受けてます」
「何だと!」
次の瞬間、司令室をはじめとする”火星の後継者”の基地中に、極彩色のコミュニケの窓が開いた。銅鐸のマーク、少女の顔のデフォルメ、そしてブイサインをしている手のマークが、その中に踊っていた。
☆
「……メインコンピュータ、ハッキング完了。現時点で火星全域に展開する、すべての敵のシステムを掌握しました」
艦長席のルリが事務的な口調で報告した。
ナデシコc艦橋のメインスクリーンをほぼ一望できる位置に立っていたユリカは、艦長席へと振り向いた。ルリはウィンドウボールの中にいる。敵のコンピュータを掌握した後は、作戦の第二段階である、敵コンピュータの最下層に実装されているモジュールの書き換え……すなわち”思兼化”へと移行することになっていた。
ユリカは次にハーリーを見上げた。
「ハーリーくん、敵のナビゲータによるイメージ伝達は封じたの?」
既にウィンドウボールを消失させていたハーリーは。ブースで笑顔を見せた。
「ばっちりです」
「うん、ご苦労さま。あとは地球と月の人たちにがんばってもらいましょう」
”火星の後継者”に属するA級ジャンパーによる、遺跡へのイメージ伝達を封じたということは、地球および月に展開した反乱軍部隊を孤立させたことを意味する。したがって、あとは個別に撃破していけばいい。連携を欠き、補給を断たれた部隊を敗るのはたやすい……退路を断たれた”窮鼠”を刺激しないようにするぐらいの才覚は期待して当然だろう。
ユリカはバイザーを外し、操舵席にいる白鳥ユキナに向かって笑顔でブイサインを送った。
ユキナはウィンクを返し、艦内放送のマイクに向かう。
「艦内警戒態勢、Bパターンに移行してください」
その放送を実際に耳で確認すると、ユリカは艦橋前方のナビゲーターズシートに戻り、疲労気味の細身をシートに委ねた。
「……かんちょぉ、こんなに楽でホントにいいのぉ?」
ユキナの隣に座る遙ミナトが、コンソールに突っ伏し、顔だけ起こして言う。
「これじゃ、月へのシャトルの方が、ぜぇんぜん戦争やってるって感じよぉ」
ユリカは凛とした笑顔を操舵席へ向けた。
「3年たってますから、技術も進歩してるんですよ。それに、楽に勝てた方がいいんじゃないですか」
はぁ、と気の抜けたため息が返ってくる。
「3年ねぇ……とりあえず、こっちは順調よ」
「わかりました。それじゃあ、敵に対して威嚇発砲をします。グラビティーブラスト、チャージ」
「了解……相転移エンジンに異常はありません」
ユキナがやや緊張気味に応える。
グラビティーブラストのエネルギー臨界を示すゲージが、臨界点を突破する。
それを確認して、ユリカが目標を指示しようとしたその時、ナデシコcから一条の光が放たれた。
はっとして、思わず立ち上がる。
敵指令部の脇から黒煙が沸き上がっている。資料によれば、敵の兵器庫のある位置。
その攻撃は、威嚇発砲の程度を越える、直接的なそれだった。
信じられないという顔をしてユキナを見やる。
「ち、違います! 私じゃありません!」
首と手を振って、ユキナが全身で無実を訴える。
その時、意外な声が上がった。
「……ナデシコcは本作戦に合わせて急造されたために、艦砲の照準の精度に問題があった、と」
どうして、と、戸惑いを隠しきれない表情で、ユリカはその声のした艦長席を振り返った。
ウィンドウボールを消したルリが、ユリカを見下ろしていた。
「艦長、相転移砲、撃てますよ」
強い意志のこもったルリの言葉。
「遺跡は破壊できないかもしれませんが、敵を一掃することは可能です」
ユリカは絶句して、息をのんだ。それはまるで自分を促すかのように聞こえた。
「ルリちゃん……」
「……撃ちましょう、艦長。それで……すべてを終わらせましょう」
ルリは澄み切ったまなざしをユリカに向ける。
ユリカは肩を振るわせ、ぎゅっと拳を握った。
だが、急にふふっと笑って、ルリへ向かって首を横に振った。
「……やめようよ。やっぱり、同じことの繰り返しになるだけだよ。予定どおり、降伏勧告を行います」
「……わかりました」
ルリの姿はふたたびウィンドウボールの向こうに消えた。
ユリカは自分の席に戻った。そして、ユキナにグラビティーブラストの再チャージを指示し、その間に、自分は服装や髪の乱れを整えた。
それが済むと、ユリカはやや堅い声で指示した。
「……敵への通信回線を開いてください」
了解という声が返ってくる。
やがて、目の前にコミュニケが開いた。
混乱という名の活況を見せている敵指令部。
その中央に座している男は、この艦橋にいる者にとって、消せない記憶の中にいる男。
こちらのコミュニケに気づくと、向こうの視線がすべてユリカに集まった。
ユリカは一呼吸をおき、そして厳然たる表情で言った。
「私は連合宇宙軍准将、テンカワユリカです。元木連中将・草壁ハルキ、ただちにすべての敵対行動を中止し、降伏しなさい」
一瞬の静寂の後、草壁の周りにいる幕僚たちが口々にユリカをののしる声をあげはじめた。
だが、そのような雑音はユリカにとってどうでもよかった。目の前の草壁ハルキ、その口が動くのをじっと待つ。
やがて、それは動いた。
「……部下たちには、正当な裁判を受ける権利を保障してもらいたい」
表情を崩さず、ユリカは首を縦に振った。
草壁の幕僚が、敗北感に打ちのめされたようにうなだれる。
ただ、草壁だけは、そのまましばらくユリカをじっと見据えていた。
「貴様を先に手中に収めておくべきだったな……」
「結果は変わりませんよ」
「……私は自分の信念が間違っているとは思わない」
力強く、不遜な笑みを浮かべて草壁は言った。
ユリカは無言だった。
「私利私欲のために戦ったのではない。この世には新たなる秩序が必要なのだ。ボソンジャンプは危険な存在だ。これを旧制度に寄生する堕落しきった者たちや、利己的で不定型な衆愚の玩具にするわけにはいかないのだ。人類の未来のために、真に有効に活用できる新たなる秩序が絶対に必要なのだ」
ユリカを見据えるその目が鋭くなる。
「新たなる秩序は、全人類の希望であり、そして幸福なのだ。たしかに、私のやったことは悪であるかもしれない。しかし、新たなる秩序に産みの苦しみは必然! たとえ反逆者という一時の汚名をかぶろうとも、私には成し遂げなければならない使命があるのだ」
草壁がわずかに口を歪める。
「……ミスマルユリカ、私は貴様の軍事力に敗れたのだ。私の主張が負けたのではない! 私の信念が負けたのではない! 私の正義が負けたのではない! そのような崇高な義務も使命もなく、なぜ貴様は私を妨げるのだ。貴様のやっていることは、自分のことしか考えられない腐った連中を利するだけなのだ。そのことをわかっていて、貴様はここにいるのか!」
……艦橋の空気が凍ったように張りつめた。
ユリカは背中に視線が集まるのを感じていた。草壁の苛烈な舌鋒、それはナデシコcに乗る者の存在意義を少なからず揺さぶったものであったかもしれない。または、その言葉は、ユリカの意志を試すものであったのかもしれない。
だから……自分の言葉をすがるように固唾を飲んで待つ人々、その思いにユリカはこたえたかった。
やがて、ユリカは静かに話しはじめた。
「幸せって、なんでしょうね……私は草壁さんのように立派なことは言えませんし、立派な人ではありません。みんなの幸せが何なのかわからないし、そのために行動することももちろんできません。私は、私らしく生きるしかできないし、私だけの幸せのことしか考えられない、小さな人間です。ですが……」
微笑みを向ける。
「幸せって、そういうものだと思います。ひとりひとりが感じる幸せ……たとえその一つ一つが小さなものであったとしても、その幸せの数が集まって、一つの大きな幸せになる……そうやって、幸せは出来上がるものだと思います……小さくてもいいんです。幸せと感じられるものがあれば、それで……それだけで充分なものなんです」
微笑みが切なさのそれに変わる。
「さようなら、草壁さん。もうお会いすることはないでしょう……」
コミュニケが切れた。
ふうと、ユリカは息をはいて、シートに再び身体を委ねた。
バイザーを装着し、さらに目を閉じて、時が過ぎるのを待つ。
ミナトはコンソールに両肘をついて手を組み、顔を手に押し当てて表情を消していた。
ユキナは普段は見せない粛然とした表情でコンソールに向かっている。
だが、その空気を吹き飛ばすかのように、思兼の哨戒システムが警報を発した。
「後方にボソンジャンプ反応、7機です」
職務に戻ったユキナが、コンソールを注視する。
ユリカの目の前に、アオイジュンからのコミュニケが開いた。
「艦長、エステバリス、出撃させる」
「お願いします」
手短に答えると、コミュニケは即座に閉じた。
ユリカは立ち上がり、メインスクリーン全体を視界におさめられる位置に立った。
エステバリスの指揮はすべてアオイジュンに任せてある。ミナトにはナデシコcの操舵、ユキナはエステバリス発進の状況確認、ルリは敵コンピュータの”思兼化”。したがって、後はユリカは戦局を眺めているだけでよかった。
だが……ユリカはなぜか自分の胸が高ぶるのを感じていた。
そして、それはすぐにむくわれることとなった。
「……ナデシコc艦首直上、ボソンジャンプ反応!」
突然、ハーリーがウィンドウボールを消滅させ、興奮気味に叫ぶ。本来の役割を奪われ、えっ、という表情のユキナを横目に、ユリカは冷静に指示を出す。
「識別、出して」
ハーリーは、ぐっと息を飲み込み、叫んだ。
「……ネルガル重工製、所属不明機、ブラックサレナです!」
その時、微妙な温度差をもった二つの緊張が、艦橋に走った。