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第4章


 

 

 濃緑色の光が一閃する。

 燃え立つ陽炎のように揺らめき、残像のような陰を映す。

 やがて、漆黒の装甲に包まれたその姿が現れる……黒百合の名を負うその機体が。

 ユリカはバイザーを外し、ナデシコcのメインスクリーンに映るその姿を凝視していた。思兼のアクティブセンサーが自動的にスクリーンを光学式のそれに切り替えていた。

「……総員、対ショック準備」

 スクリーンから視線を動かさないで指示を出す。

「えっ、艦長、回避しないの?」

 操舵席からミナトのとまどった声が返る。

「ええ、間に合いません」

 そして、ユリカは天を仰いでつぶやいた。

「真上かぁ……」

 その声は、重低音の金属音にかき消された。

 ナデシコcの船体が揺れる。

 黒い機体……ブラックサレナが、艦橋の目の前に着艦していた。

 光学式スクリーンが漆黒の色彩に埋め尽くされる。

 艦橋をしばしの静寂が包んだ。

「……データ、送りましょうか?」

 不意に艦長席からルリが尋ねてきた。振り向くと、ルリのウィンドウボールは消えていた。

「ううん、たぶん受け付けないと思う」

 ユリカは軽く首を横に振った。

 そうですか、とルリは応えた。

……再び、ぐらりとナデシコcが傾く。

 ブラックサレナが、ナデシコcの後方から迫る7機の敵に向かって飛び立った。

 直ちに格納庫のアオイジュンからのコミュニケが開いた。

「艦長、あのマシンは敵なのか?」

 それに応えようと思った瞬間、今度はパイロットスーツのスバルリョーコのコミュニケがその横に開いた。

「ばっかやろぉ、あれは敵じゃねえよ! 出るぞ!」

 そのままコミュニケが消える。

 とまどった顔を見せる元副長に対し、ユリカはいつもの凛とした笑顔を見せた。

「敵ではありませんよ」

「では、あれは一体……」

 ユリカは一呼吸おき、表情を固くして言った。

「敵ではありませんが、味方でもありません……敵の敵であると認識します。特に援護の必要を認めませんが、それは、現場の判断にお任せしましょう」

 了解という言葉と共に、コミュニケが切れる。

 ユリカは操舵席のミナトへ向き直った。

「ミナトさん、エステバリス4機が発進した後、ナデシコcを火星に着陸させてください。ここにいても、敵の的(まと)になるだけです」

「りょぉかいっ」

 ミナトは頼もしくも明るく応えた。

 ユリカは再びスクリーンに向き直った。

 漆黒の機体が、半円型の構えを見せている敵7機に向かっている。

 右手が、おのずと胸元のペンダントに伸びた。

 

  ☆

 

 黒百合の拍動が、自分の鼓動と一つに感じられた。

 空の稜線上に半円形に展開する夜天光と六連を前方に見据え、ハンドカノンを両翼の六連に向けて撃つ。脚部の省略によって機動力と推進力に優る六連は素早くそれを回避する。

 だが、これは陽動。

 まるで黒百合のためのように、夜天光への道が一気に開く。

 最大まで出力を上げていた過給圧をそのまま維持して突進。

 右腕のアンカークロウを赤色の機体に狙いをさだめ、黒百合を夜天光に激突させる。

 対衝撃限界を超えたすさまじい反作用が、黒百合内部にはねかえってくる。

 だが、右手には何も感じなかった。それは、つまり、外したということ。

 黒百合は夜天光を抱きかかえていた。

 打つ手無く、推進力に任せて夜天光を抱えたまま上昇する。

 だが、これは下策。

 鋭く夜天光は錫杖を両手で持ちかえ、黒百合の首許へとあてがってきた。

 ぐぐっという力が首許に働く。

 逃れるため腕を引き抜こうとする。だが、すでに腕は夜天光の脇に固められている。

 ヒザを繰り出したが、夜天光との間合いが狭すぎて思うように機体を動かせない。

 なすすべなく、黒百合は上から抑え込まれる。

 錫杖がゴリゴリと黒百合の頸部を圧迫してくる。

 とっさに黒百合はテールバインダーを振り上げた。

 それは意表をついた攻撃だったのか、夜天光の頭部に直撃を与えた。

 その隙を見逃さず、機体を離脱させ、間合いをとる。

 すぐに立ち直り、錫杖を振り下ろす夜天光。だが、黒百合はその杖を持つ左腕の付け根に向けてハンドカノンを猛然と撃ち込んだ。

 夜天光の左腕部が爆炎とともに黒煙に包まれる。後方に退避する黒百合。

 煙が晴れる。そこには錫杖ごと手首を喪失していた夜天光の左腕部があらわれた。

 夜天光がその宙域から離脱した。黒百合も追撃をはじめる。

 だが、その動きは側面からのミサイル砲火によって遮られた。

 刹那の間隙で全弾回避して向き直ると、6機の六連が夜天光への進路を閉ざす形で黒百合に迫っていた。

 ハンドカノンを六連に向ける。

 だが、その背後には白い戦艦があった。

 照準を外し、身構える。

 錫杖を構えた六連が近くなる。

 その時、一条の閃光が走った。

 回避するために、六連の陣容が崩れてちりぢりになる。

 一瞥すると、青い機体が大型のレールキャノンを構えていた。センサーによる識別、連合宇宙軍所属・ND-001ナデシコのエステバリス。

 その空白を見逃さず、黒百合は六連の包囲網を突破した。

 再び過給圧を最大にする。だが、通常時の7割ほどしか出力が得られない。さきほどの夜天光との肉弾戦の時にやられたのか……。

 後方からミサイル砲が降り注いてきた。

 センサーを確認する。エステバリス4機との戦闘にあぶれた2機の六連が、黒百合の背後をついていた。絶妙とも言える間合いをとり、ミサイル砲を寸断なく撃ち込んでくる。

 定石が半分、勘が半分の回避行動。

 だが、瞬間、その勘が鈍った。

 ぐんという前につんのめるような衝撃。

 センサーは左ウィングの破損を示していた。

 至近距離に迫っている六連2機。

 反転してハンドカノンを構る黒百合。

 だが、一機の六連が後背に回り込み、黒百合の腕を羽交い締めしてきた。

 逃れようとあがくも、既に遅い。

 前方から別の六連が迫り、錫杖を振りかぶるのが、静止画像の連続のように見えた。

 次の瞬間……羽交い締めが解けた黒百合は、六連の錫杖を見切って回避し、ハンドカノンをその六連の胸に押し当てた。

 躊躇なく、零距離射撃。どす黒い煙を噴き、六連の一機は地上へと落下していった。

 振り返ると、緋色のエステバリスが、黒百合を抑え込んでいた六連に対してガトリング砲を容赦なく撃ち込み続けていた。やがて、六連はその場で爆発した。

 夜天光は白い戦艦の方へ逃げていた。

 ハンドカノンを撃ってその動きを牽制しつつ、追いつめにかかる黒百合。

 やがて、夜天光は地表に降り立った。

 間合いを保ちながら、黒百合も地上に立つ。

 強い風が、火星の赤い砂を運んだ。

 その砂の向こうに、赤い機体がいる。

 黒百合は静かにその瞬間に臨んでいた。

 

  ☆

 

 ナデシコcの艦橋もまた静寂に包まれていた。

 ユリカは微動だにせず、スクリーンの向こうの動きを見守っている。

 エステバリス隊はほとんど無傷で敵のマシンと戦闘を続けている。残りはあと2機。これを4機であたっているのだから、こちらはパイロットの技量を考えれば安心していていいだろう。

「……援護させますか?」

 艦長席からルリが声をかける。ウィンドウボールは消えている。

「いいえ、要りません」

 ユリカは胸許をまさぐり、そして、付け加えた。

「信じてるから……」

「そうですか……」

 そのつぶやきと共に、ルリの周りには再びウィンドウボールが形成された。

 すると突然、ハーリーが振り向いて艦長席を見やった。

 そして、釈然としない顔を見せながら、自らもウィンドウボールの中に身を置いた。

 

”ハーリーくん”

”えっ……あれ、艦長……?”

”ウィンドウボールを形成してください”

”あ、はい。わかりました……”

”そんなに驚かないでください。これは思兼を通じての会話です。他の人には聞こえていません”

”わかりました……でも……”

”ハーリーくんにお願いがあります”

”何ですか?”

”もし、あのブラックサレナが倒されたら、相転移砲を敵の基地に打ち込みますから、ナデシコcのその後のこと、お任せします”

”ええっ! ど、どういうことですか、艦長”

”多分、私は命令違反で拘束されるでしょうから、そうなるとナデシコcが動かなくなってしまいます”

”そんな……ちょっと待って、落ち着いてください、艦長”

”私は落ち着いています。ですから、ハーリーくん、あなたにお願いしています”

”……え?”

”落ち着いてなかったら、もうとっくに撃ってますから”

”か、艦長! 悪い冗談ですよ。やめてください。いくら叛逆者だからって言っても、そんなことが許されるはずがありません”

”そのとおりです……ユリカさんの言うことの方が正しいことは、私にもわかっています。復讐は復讐しか産みません。もし相転移砲をうってしまえば、私たちは草壁たちと同類になってしまいます。ですが……さすがに2度は耐えられません”

”2度……?”

”あの人がいない世界で……今度は目の前でですから、もう希望も持てませんし……もういいんです。あの人のいない世界に生きているのも、あの人を失ったあの人を見るのも”

”僕には、艦長が何を言っているのかわかりません!”

”私のせいだからですよ。あの時……”

”あの時?”

”何でもありません。思兼と……ユリカさんのこと、よろしく”

”……教えてください”

”なんです?”

”ブラックサレナのパイロット……やっぱり、テンカワアキトさんなんですね”

”……そうです”

 

  ☆

 

 砂塵が一時(いっとき)晴れた。

 それを合図にして、黒百合がハンドカノンを機体から分離した。

 呼応するように、夜天光も、ミサイルポッドを切り離した。

 そのままぐっと腰を落とす。

 黒百合も構えに入る。

 そのまま数秒……まるで機械の拍動が伝わるかのように、微妙な律動が辺りを漂う。

 一言二言、言葉を交わしたぐらいの間合い……その時、夜天光の機体が動いた。

 黒百合はその場から動かない。

 夜天光の右の拳が振り上がる。全高の差から、それは頭部を狙ったもののように見える。

 黒百合はその動きに合わせ、左腕をかざす。

 しかし、早すぎた。

 腕を上げたことによってがら空きになった左脇から、1秒もない隙をついて、夜天光の右の拳は黒百合のコックピットへと伸びていった。

 そして、金属音が響いた。

 だが、それは摩擦音だった。

 夜天光の拳は黒百合の左胸の装甲をえぐっていた。無惨にも基盤を曝せ出してはいるが、それはただえぐっただけだった。

 次の瞬間、黒百合の懐から右拳が伸び、夜天光のコックピットを貫いた。

 すべての動きが、夜天光から消えた。

 ゆっくりと確かめるように黒百合は拳を引き抜き、そして、後方に離れた。

 夜天光は力無く地面に崩れ落ちる。機体は爆発をいくつもいくつも繰り返し、屍となったその身を焦がしていった。

 黒百合は天を仰いだ。

 

  ☆

 

 ナデシコcのメインスクリーンは、ブラックサレナの動作を捉えていた。

 ルリとハーリーのウィンドウボールも消えている。

 艦橋に、どこからともなく安堵のため息がもれる。

 だが次の瞬間、ハーリーはIFSから流れ込んでくるセンサーの情報を察知し、大声で叫んだ。

「ブラックサレナ、ボソンジャンプフィールドの形成を開始しました!」

 漆黒の機体の輪郭をなぞるように、微かに緑色の光が、淵で鈍く輝きはじめた。

 しかし、ユリカは視線をスクリーンに向けたままゆっくりとナビゲータシートに座り、そして、我関せずという口調で静かに告げた。

「エステバリス、帰還させてください。ナデシコcはこの場で待機します」