第1章
2
「連合宇宙軍准将、テンカワユリカです」
「同じく、連合宇宙軍少佐、ホシノルリです」
「そんなことはわかっている! 何をしに来たのだ!」
禿頭で小太りの士官は顔を真っ赤にして執務机に書類をたたきつけた。
コロニー「アマテラス」駐留軍司令官室、そこにユリカとルリはいた。部屋には数枚の肖像画、スーツを着た数人の男、そして、目の前にいる禿頭の男……司令官のアズマ准将である。
「出頭せよ、とのことでしたので」
ユリカは凛とした笑顔で答えた。
「そんなことを聞いているのではない!」
アズマは頭皮まで真っ赤にしてユリカとルリの前に勇み出る。
「私が聞きたいのは、ナデシコbが『アマテラス』に何をしに来たのか、ということだ!」
「補給と、クルーの休養を兼ねてです。そう上申書には書きましたが」
即答する。
気勢をそがれぐぐっという顔をアズマは見せたが、すぐにまた元の顔に戻った。
「ふざけたことを言うな! 補給などよそのコロニーでもできる!」
「一番近かったのがこのコロニーでしたので」
「他にコロニーがないわけではなかろう! 大体、開発公団の許可はとったのか!」
「入港許可がとれたからここにいるわけですし、それに……一度『アマテラス』ってどんなところか見てみたくなりまして」
格別の笑みを見せる。だが、それが逆にアズマの怒りを煽ったようだった。
「貴様……『アマテラス』の重要性を知らんとでもいうのか! ここはヒサゴプランの中枢だ。そこに連合宇宙軍ごときが入ってくるなど、身の程を知らんにもほどがある!」
「……理由が欲しいですか?」
ルリが、ぽつりと言った。
アズマの視線がルリに向けられる。
「確かに、私たちには、ここにいる理由が必要なのかもしれません」
「ど、どういう意味だ!」
アズマがルリをにらみつける。
ルリは冷めた貌で言った。
「先日の『シラヒメ』の事件において、ボーソ粒子の異常増大が確認されています」
その言葉に、一瞬、アズマは焦りの色を見せた。
ユリカはちらっとルリを見る。
毅然とした口調を崩さず、ルリは続けた。
「ボソンジャンプシステムの管理に問題がある場合、近辺の航路並びにコロニー群への重大な影響を及ぼします。したがって、この場合には安全を害する明白なおそれありと認められ、コロニー管理法付則第4条bの緊急査察条項の適用があります」
「ヒサゴプランに欠陥はない! 監査の必要などあるわけがない!」
「必要があるかないかは、こちらが決めることですから」
その時、ユリカが一つせき払いをした。
「……ですが、補給と休養に来た私たちが、どうしてそんな仕事をしなければならないんでしょう」
アズマの視線が再びユリカを向く。
ユリカは大きな瞳を向けた。
「私たちは休みに来たのであって、仕事をしにきたのではありません。何も考えずにお休みを楽しめるのなら、それに越したことはありません。ナデシコbが寄港したことについて、法的に何ら問題はありませんし、だったら、これはこれでいいってことにしませんか」
そこへ、それまで壁際で立っていたアズマの副官と見えるスーツ姿の男が前に歩み出て、敗北感から逆上しそうになっている上司に助け船を出した。
「まあまあ、アズマ准将。お嬢さん方の休暇を邪魔するのは不粋というものですし。おのぼりさんが団体で遊びに来たと思えばいいじゃありませんか」
勝手にしろ、という捨て台詞を残し、アズマはやり場のない憤然とした顔をして執務机に戻り、ぷいっとそっぽを向いた。
ルリは腕のコミュニケを開く。
「ハーリーくん、許可がおりました。みなさんに伝達をよろしくお願いします」
了解、という元気な言葉が返ってきてコミュニケが切れる。
ユリカはルリを見てウィンクする。
そして向き直り、凛とした笑顔で副官に礼を言った
「ありがとうございます」
「いえいえ、お礼には……」
すると、朗らかな笑顔をしていた副官が、急に何かに気づいたらしく、まじまじとユリカの顔を見始めた。
「……あの、なにか?」
少し困惑しながらも笑顔でユリカは尋ねる。
副官は言った。
「もしかして、ミスマルユリカさんでいらっしゃいますか?」
……ユリカは表情から笑みを消した。
「……ミスマルは旧姓です。いまは、テンカワです」
目の前の副官は、あっ、と声を発し、心底すまなそうな顔をした。
「いや、失礼しました。お気に障られたなら謝罪します。申し訳ありませんでした」
「いいえ……」
「木星との戦いで初代ナデシコを指揮なされた英雄とこんなところでお会いできるとは、まことに光栄です。申し遅れましたが、私はヤマサキと申します」
「それはどうも……」
どういう態度をとろうか決められぬまま、ユリカは応えた。
「……提督、お時間です。行きましょう」
ルリの声が割って入った。
「う、うん。そうだね。では、私たちはこれで……」
「はい、お気をつけてどうぞ」
手を振るヤマサキの見送りを背に、ユリカとルリは司令官室を辞した。
☆
「……気づかれていると思う?」
コロニー内の居住区へ向かうエレベータの中、壁にもたれかかって腕を組んでいたユリカが、不意にルリに話しかけた。
ユリカの隣に立っているルリは、わずかに顔を上げた。
「セクト主義以外、何物でもない感じがしました」
そっか、とつぶやいて、ユリカは思案顔になる。
「とすると、アズマさんは、何も知らないとみていいのかな」
そうですね、とルリは答えた。
ユリカはあごに手をやった。
「あとはハーリーくんか……」
「ハーリーくんなら大丈夫ですよ」
ルリは即座に答えた。その様子にユリカはやや驚いてルリを見る。
「自信あるんだね」
「クルーを全面的に信じるのが艦長としての心得だって、教えてくださったのユリカさんですよ」
「あっ……」
ルリはふふっと笑った。
……強化ガラスの向こうにコロニーのフレームが映り、それが高速度で上へ抜けていく。
映画のフィルムが流れていくようなそれを眺めながら、ユリカはぽつりと言った。
「……ヤマサキって人……笑っているんだけど、なんか嫌な感じがした」
ルリは首をわずかに傾けて答えた。
「私もあまりいい感じはしませんでした」
「……さっきはありがとう、ルリちゃん」
いいえ、とルリは微笑んで応えた。
「でも、ミスマルユリカって、呼ばれたの、久しぶりだよ……」
そうつぶやいたきり、ユリカは遠い目で視線を宙に泳がせた。
しばらくして、エレベータは民間人居住区のある階にとまった。
ルリがひとりエレベータから降りる。
振り返るルリに、ユリカは笑顔で手を振った。
「せっかくのお休みなんだから、楽しんできてね、ルリちゃん」
「はい、ユリカさんも。リョーコさんによろしく……」
ルリの微笑みは、エレベータのドアに隠された。
再びエレベータが動き出す。
ユリカはバイザーを装着し、再び強化ガラスの向こう、フレームの流れる単調な風景に視線を移した。