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第1章


 

 

 金属の残響音が、まるで霧となって目に見えるかのように、空間全体に拡散していく。

 コロニー最表層にある統合軍のドック、そこに整然と並ぶエステバリスの機体を、ユリカはまぶしい表情で見上げた。

 マシンはまだ調整中のものが多く見られ、整備員やパイロットが各機体のまわりをせわしなく動いている。

 その様子に気が引けなくもなかったが、ユリカは意を決して通りかかった青年に声をかけた。パイロットであることを示す赤い軍服を青年は、立ち止まっていぶかしげな視線をユリカに向けた。

「なんですか?」

「私は連合宇宙軍准将、テンカワユリカです。スバルリョーコ中尉に会いたいのですが……知り合いなんですよ、わたし」

 青年は、装甲を深紅に染めたエステバリスに向かって声をかけた。

「たいちょう! お客さんですよぉ!」

「……だーめだめ。こっちは忙しいんだよ!」

 コックピットの辺りから女の声が返ってくる。

 青年はユリカを振り向いた。

 ユリカは、小首を傾げ、口許に柔らかい笑みを浮かべてみせた。

 仕方ないといった感じで、青年はもう一度叫んだ。

「テンカワユリカさんっていう、隊長のお知り合いだそうで」

 すると、コックピットから小型のスパナが飛びだし、続いて髪の短い女が首を出した。

「テンカワ!……ユリカだってえぇ!」

「リョーコさん!」

 ユリカは手を振る。

 だが、向こうはこちらをいぶかしげに凝視するだけだった。

 ややあってそのことに気づき、ユリカはバイザーを外した。

 途端に、リョーコの顔が驚きと喜びに変わった。そして、文字通りコックピットを飛び出てエステバリスを降り、ユリカの前に走り寄った。

「ユリカ! あはは、久しぶりだなぁあ」

 リョーコはユリカを抱きしめ、背中をばんばん叩いた。

「いたた、リョーコさん、痛いですよぉ」

「あ、ごめんごめん」

 申し訳なさそうに謝り、リョーコはあらためてユリカと向き直った。

「お久しぶりです、リョーコさん」

「ああ、本当に……」

 万感の思いを込めてリョーコはユリカを見ていたが、ややあって、自分を呼んだ部下を怒鳴りつけた。

「ほら、ぼさっとしてねえで、お茶くらい用意しろよ!」

 あわててその場を走り去っていく青年。その様子を見て、ユリカはくすっと笑った。

「リョーコさんもお変わりなく」

「ま、まあな」

 リョーコは苦笑いでそれに答えた。

 

  ☆

 

「まだ着いてから1週間しかたってねぇからよ、エステの整備でてんてこ舞いだ」

 リョーコはずずずっと音を立てながら、直径15センチはあろうかという大型のマグカップから、コーヒーをあおった。

 統合軍陸戦部隊《ライオンズシックル》のドックにある巨大なコンテナの上に、ユリカとリョーコは腰掛けていた。ここからはドックをほぼ一望できる。

「ずいぶん急な異動なんですね」

 ユリカはステンレス製のごく普通のマグカップを両手で包むように持っている。

「そうだな……ま、俺がここにいるのを知ってるってことは、大体の察しがついてるんだろ」

「何がです?」

 ユリカはただ微笑んでそれに応えた。

 リョーコはずずっとコーヒーをすすり、思わせぶりな笑みを浮かべた。

「とぼけんなよ……『シラヒメ』の事件、知ってんだろ」

「……さすがですね、リョーコさん」

 ユリカはカップに視線を移し、それに口をつけてコーヒーを少しだけ飲んだ。

 へっ、とリョーコは笑う。

「べっつに……ただの爆発で、なんで陸戦部隊が実戦配備されるんだよ。ちょっと頭使えば子どもでもすぐわからぁ」

 リョーコは視線を宙に泳がせた。

「しっかし……敵の正体が何だかわからんってのも、戦う上では困るんだよな」

「リョーコさんは、どう考えてますか?」

 すると、リョーコは真剣な表情でユリカに向き直った。

「……それよりも、ユリカの考えの方を聞きたい」

「私は、信じますよ」

 丸い瞳に意志を込めてユリカが言う。

 リョーコはため息を一つついた。

「だよなあ……お偉いさんは認めてねぇけど、認めざるをえないよな……あの時に見てるんじゃさ」

 ふたたび遠い目になる。

「ボソンジャンプ……か」

 そして、がぶっという音がするくらいに豪快にコーヒーを飲む。

「ま、それはそれとして、アオイも災難だったな」

 その言葉に、ユリカはきょとんとする。

 リョーコは呆れた顔をした。

「なんだ、知らねぇのか。あいつ、査問にかけられるらしいぞ」

「査問、ですか……?」

「ああ。嘘の報告をしたとかなんとか。ま、宇宙軍所属ってのもあるんだろうけど……あいつもあの時見てるからな」

 そうですね、とユリカは応えた。

「まあ、何にせよ、俺の仕事は、そいつをヤることだ。信じる信じないは別だ」

「がんばってくださいね」

 その言いように、リョーコはまた呆れた顔をした。

「おいおい、まるっきり他人事だな。ナデシコはここに何しにきてるんだよ」

「補給と休養です」

「おいおい……だから、本当のところを教えろよ」

「それ以外ありませんよ」

 ユリカはしらっぱりとした顔でコーヒーを飲んだ。

「じゃあ、ルリは何をやってるんだよ」

「ルリちゃんは、いまショッピングをしています」

「……なるほど、ショッピングね。で、ホントのところは?」

「ノーコメントです」

「教えろよ」

「ノーコメントは、ノーコメントです」

「……ま、そういうことにしとくよ」

 ようやく諦めてリョーコはまた天井を見上げた。

「アオイが艦長、ルリも艦長、ユリカが提督……」

 しみじみとリョーコが言う。

「時間って、確実に流れるもんなんだな」

 ええ、とユリカは応えた。

「変わりたくないって思っても、やっぱり変わるもんなんだよな……どこか、俺、変わったか?」

「髪の毛が短くなりました」

 えっと意表とつかれたようにリョーコが言う。

「あれ、この前に会ったのは、確か……」

「結婚式の時ですよ」

 ユリカがカップに手をかけた。

「ああ、そうだ。あれ以来か……あはは」

 リョーコはコーヒーカップをあおった。

「だよな、どおりでテンカワって言われてユリカが出てこないわけだ」

 ユリカはカップを口許へと運ぶ手をとめた。

「そうですか……」

「……テンカワユリカなんだな」

「……私は、結婚してますから」

 そう言うと、ぐっとユリカはコーヒーを一気に飲み干した。

 リョーコも、同じようにコーヒーを飲み干した。

 その時、突然、ドック内に警報が響きわたった。

 はっとしてリョーコが顔を上げる。

「敵襲……?」

 艦内放送が続く。

「所属不明の戦艦が警戒宙域に侵入! 各員、第一種戦闘体勢に入れ! 繰り返す……」

 ユリカはつぶやく。

「……来ましたね」

 ああ、と応じてリョーコはユリカにウィンクした。

「ほれみてみ、戦艦が接近しただけでこの騒ぎだ」

 すくっと立ち上がる。そしてユリカに手を貸す。それにつかまり、ユリカも立ち上がった。

「じゃ、また後でな」

「はい。ご武運を」

「よせやい、ガラじゃねえよ。こっちこそ、ルリの艦長ぶり、見せてもらうことにするからな」

「ですから、補給と休養ですってば」

「じゃあ、その補給と休養ぶり、とくと拝見させてもらうか」

 リョーコが手を差し出す。

「ルリにもよろしく言っておいてくれ」

 ユリカは笑顔でそれを握り返した。