第1章
5
物陰から現れた人影……それは、藁で編んだ笠をかぶり、枯れた色の外套をまとうという、見慣れない異様な姿をしていた。
緩やかな弧を描くように散開し、ユリカの進路を遮る。
ユリカは足を止めた。そして、賊にそれと悟られないよう呼吸を整えながら、わずかに首を曲げて後ろを確認する。そこには、既に同じような形(なり)をした影が2つ見えた。
包囲されてしまった、と即座にユリカは理解した。
賊との間合いはかなり広い。しかし、かえってそれが不気味で不可解なものに感じられた。
しばしの対峙の後、前の中央にいた首領らしき男が一歩踏みだし、笠でその表情を隠したまま、低く重苦しい声を発した。
「……ミスマルユリカか」
「ちがうよ……テンカワユリカだよ」
ユリカは、ゆっくりとバイザーに手を伸ばしてそれを直し、悠然と言った。
「テンカワ……ふふ、なるほど……”実験体”の名を曳くとは、哀れな」
首領は嘲笑し、侮蔑する。
ユリカの表情が固く締まった。
「実験体?」
「我々と一緒に来てもらおう」
ユリカの問いかけを無視し、首領は笠を上げた。
痩せこけた頬、つり上がった眼……そこには、人として踏み入れてはならない領域を越えてしまったような、底知れぬ不気味さが宿っていた。
ユリカはバイザーを外した。
臆することなく、視線を直に合わせた。
首領はその唇をさらに卑屈に歪めた。
「……そう、その目。その目で、我らを……」
くくく、と笑いを押し殺す。
ユリカは、はっとして、目を見開いた。
「まさか……あなたたちが、あの時の……!」
瞳に動揺の色が映る。首領は冷笑をもってそれに応えた。
ユリカの肩が小刻みに震えだした。だが、それをこらえるように、拳をぎゅっと握りしめながら、ユリカは首領に向き直った。
「あなたたちは?」
「我々は陽に対する陰……人にして、人の道を外れたる、外道」
「わたしをどうするの?」
「我らが結社の、光栄ある研究の礎となるがいい」
「……わたしが?」
ユリカは眉間を寄せたが、やがて、吐き捨てるように言った。
「ボソンジャンプ、か……」
賊に視線を合わせたまま、ふうと息を吐く。
港湾部をつつむ隔壁から、爆音がかすかに伝わった。すでにコロニーの外では戦闘がはじまっているようだった。
「……重ねて言う。一緒に来い」
口調の端に余裕を含ませながら、首領がうながす。
ユリカは鋭い視線を向けた。
「……アキトがあなたたちのところにいるなら、行くよ」
「ますます欲しくなったぞ、ミスマルユリカ」
首領は、狂おしいほどに卑しい笑みを浮かべ、舌なめずりをした。
その時、突然、隔壁から爆音が轟いた。至近距離で爆発が生じたらしく、振動がその場を襲う。視線を首領に保ちながら、ユリカはよろめいて床に片膝をついた。
首領は天井をあおいだ。
「……未熟なり……」
その瞬間、ユリカは胸許に手を当て、瞳を閉じた。
首領はあわてて叫ぶ。
「獲!」
「……ジャンプ」
……ユリカの身体に緑色の幾何学模様が浮かぶ。そして、それとほぼ同時に、ユリカの姿が消えた。
☆
「ブリッジ内にボーソ粒子反応!」
そのクルーの叫び声で、ナデシコbの艦橋に緊張が走った。
ブースで寝ころんでいた高杉があわてて身体を起こし、コンソールに目をやった。
首をひねる。
「……いや、待てよ。攻撃性反応はでてねえな。1.7mクラスの生体……」
「に、人間ですかぁ?」
ハーリーが自分のブースから、わけがわからないといった顔で聞き返す。
「ボーソ粒子増大、通常空間に顕在化まで、3、2、1……」
……きゃああああああああ、という悲鳴と共に、次の瞬間、何かがハーリーのブースに落ちた。
「ハーリー!」
高杉が素早く反応してハーリーのブースに走り寄る。だがその時、さらに天井から何か黒いものが落ちてきた。反射的につかむ。それはユリカのバイザーだった。
「ってことは……」
「いてててぇ……ここはどこぉ?」
おそるおそるブースをのぞき込むと、ユリカはあられもない姿でそこにいた。
「提督……」
高杉は絶句する。
「……あ、高杉さん」
ややあってユリカは高杉に気づいた。そして、きょろきょろと辺りを見回し、ほぉっとため息をついた。
「よかったぁ、どこに飛んじゃうのか、ひやひやモノだったよ……」
そこでようやく自分の格好に気づき、さっと身なりを整えた。手でポケットをまさぐってバイザーを探していると、高杉が持っていたバイザーを手渡してきた。
「ありがとう、高杉さん。それで、ハーリーくんは?」
バイザーをポケットにしまいながら尋ねる。高杉は視線をユリカに合わせたまま、そのブースの中を指さした。
下を向く。そして、ようやくそのことにユリカは気づいた。
「は、ハーリーくん!」
あわてて自分の身体を起こして反転する。
ハーリーは完全にのびていた。
「だ、だいじょうぶぅ? ねぇねぇ」
下敷きにされていたハーリーの身体を揺さぶる。
「どうしよう、最近ごはんが美味しくて、ついつい食べ過ぎちゃったから、重かったかも……」
高杉は苦笑いをしながら言った。
「提督、ここは童話にならって、目覚めの口づけってのはどうですか?」
ユリカは困惑した顔で高杉を向く。
「ええぇっ。それは困ります」
「子ども相手になに意識してるんですか。それに非常時ですし」
「そっか……非常時だもんね……」
ユリカは覚悟を決めた。ハーリーの背筋を伸ばさせ、その顔に自らの顔を近づけ……。
「……お待たせです」
その時、ホシノルリが艦橋に戻ってきた。
ユリカは肩をびくっとさせる。
ルリはいぶかしげにハーリーのブースに目を移した。
「ハーリーくん?」
「な、なんでしょう、艦長……あはは」
とっさにユリカはハーリーの体を反転させ、操り人形よろしく、その両腕を持って動かし、ハーリーの口調をまねて答えた。
「提督……」
声にはならなかったが、そのルリの口許が「バカ」と動いた。