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第1章


 

 

 物陰から現れた人影……それは、藁で編んだ笠をかぶり、枯れた色の外套をまとうという、見慣れない異様な姿をしていた。

 緩やかな弧を描くように散開し、ユリカの進路を遮る。

 ユリカは足を止めた。そして、賊にそれと悟られないよう呼吸を整えながら、わずかに首を曲げて後ろを確認する。そこには、既に同じような形(なり)をした影が2つ見えた。

 包囲されてしまった、と即座にユリカは理解した。

 賊との間合いはかなり広い。しかし、かえってそれが不気味で不可解なものに感じられた。

 しばしの対峙の後、前の中央にいた首領らしき男が一歩踏みだし、笠でその表情を隠したまま、低く重苦しい声を発した。

「……ミスマルユリカか」

「ちがうよ……テンカワユリカだよ」

 ユリカは、ゆっくりとバイザーに手を伸ばしてそれを直し、悠然と言った。

「テンカワ……ふふ、なるほど……”実験体”の名を曳くとは、哀れな」

 首領は嘲笑し、侮蔑する。

 ユリカの表情が固く締まった。

「実験体?」

「我々と一緒に来てもらおう」

 ユリカの問いかけを無視し、首領は笠を上げた。

 痩せこけた頬、つり上がった眼……そこには、人として踏み入れてはならない領域を越えてしまったような、底知れぬ不気味さが宿っていた。

 ユリカはバイザーを外した。

 臆することなく、視線を直に合わせた。

 首領はその唇をさらに卑屈に歪めた。

「……そう、その目。その目で、我らを……」

 くくく、と笑いを押し殺す。

 ユリカは、はっとして、目を見開いた。

「まさか……あなたたちが、あの時の……!」

 瞳に動揺の色が映る。首領は冷笑をもってそれに応えた。

 ユリカの肩が小刻みに震えだした。だが、それをこらえるように、拳をぎゅっと握りしめながら、ユリカは首領に向き直った。

「あなたたちは?」

「我々は陽に対する陰……人にして、人の道を外れたる、外道」

「わたしをどうするの?」

「我らが結社の、光栄ある研究の礎となるがいい」

「……わたしが?」

 ユリカは眉間を寄せたが、やがて、吐き捨てるように言った。

「ボソンジャンプ、か……」

 賊に視線を合わせたまま、ふうと息を吐く。

 港湾部をつつむ隔壁から、爆音がかすかに伝わった。すでにコロニーの外では戦闘がはじまっているようだった。

「……重ねて言う。一緒に来い」

 口調の端に余裕を含ませながら、首領がうながす。

 ユリカは鋭い視線を向けた。

「……アキトがあなたたちのところにいるなら、行くよ」

「ますます欲しくなったぞ、ミスマルユリカ」

 首領は、狂おしいほどに卑しい笑みを浮かべ、舌なめずりをした。

 その時、突然、隔壁から爆音が轟いた。至近距離で爆発が生じたらしく、振動がその場を襲う。視線を首領に保ちながら、ユリカはよろめいて床に片膝をついた。

 首領は天井をあおいだ。

「……未熟なり……」

 その瞬間、ユリカは胸許に手を当て、瞳を閉じた。

 首領はあわてて叫ぶ。

「獲!」

「……ジャンプ」

……ユリカの身体に緑色の幾何学模様が浮かぶ。そして、それとほぼ同時に、ユリカの姿が消えた。

 

  ☆

 

「ブリッジ内にボーソ粒子反応!」

 そのクルーの叫び声で、ナデシコbの艦橋に緊張が走った。

 ブースで寝ころんでいた高杉があわてて身体を起こし、コンソールに目をやった。

 首をひねる。

「……いや、待てよ。攻撃性反応はでてねえな。1.7mクラスの生体……」

「に、人間ですかぁ?」

 ハーリーが自分のブースから、わけがわからないといった顔で聞き返す。

「ボーソ粒子増大、通常空間に顕在化まで、3、2、1……」

……きゃああああああああ、という悲鳴と共に、次の瞬間、何かがハーリーのブースに落ちた。

「ハーリー!」

 高杉が素早く反応してハーリーのブースに走り寄る。だがその時、さらに天井から何か黒いものが落ちてきた。反射的につかむ。それはユリカのバイザーだった。

「ってことは……」

「いてててぇ……ここはどこぉ?」

 おそるおそるブースをのぞき込むと、ユリカはあられもない姿でそこにいた。

「提督……」

 高杉は絶句する。

「……あ、高杉さん」

 ややあってユリカは高杉に気づいた。そして、きょろきょろと辺りを見回し、ほぉっとため息をついた。

「よかったぁ、どこに飛んじゃうのか、ひやひやモノだったよ……」

 そこでようやく自分の格好に気づき、さっと身なりを整えた。手でポケットをまさぐってバイザーを探していると、高杉が持っていたバイザーを手渡してきた。

「ありがとう、高杉さん。それで、ハーリーくんは?」

 バイザーをポケットにしまいながら尋ねる。高杉は視線をユリカに合わせたまま、そのブースの中を指さした。

 下を向く。そして、ようやくそのことにユリカは気づいた。

「は、ハーリーくん!」

 あわてて自分の身体を起こして反転する。

 ハーリーは完全にのびていた。

「だ、だいじょうぶぅ? ねぇねぇ」

 下敷きにされていたハーリーの身体を揺さぶる。

「どうしよう、最近ごはんが美味しくて、ついつい食べ過ぎちゃったから、重かったかも……」

 高杉は苦笑いをしながら言った。

「提督、ここは童話にならって、目覚めの口づけってのはどうですか?」

 ユリカは困惑した顔で高杉を向く。

「ええぇっ。それは困ります」

「子ども相手になに意識してるんですか。それに非常時ですし」

「そっか……非常時だもんね……」

 ユリカは覚悟を決めた。ハーリーの背筋を伸ばさせ、その顔に自らの顔を近づけ……。

「……お待たせです」

 その時、ホシノルリが艦橋に戻ってきた。

 ユリカは肩をびくっとさせる。

 ルリはいぶかしげにハーリーのブースに目を移した。

「ハーリーくん?」

「な、なんでしょう、艦長……あはは」

 とっさにユリカはハーリーの体を反転させ、操り人形よろしく、その両腕を持って動かし、ハーリーの口調をまねて答えた。

「提督……」

 声にはならなかったが、そのルリの口許が「バカ」と動いた。