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第1章


 

 

 黒い影が、鈍く光るアマテラスの外壁に漂っている。

 それは、まるで水が流れ込むかのように、開いている隔壁の中へと侵入した。

 画面が切り替わる。

 一切の装飾が施されていないコロニー内部、その金属のフレームをぬうようにして影が動く。

 やがて、もっとも深い位置の突き当たりに到達する。

 すると、待っていたかのように、隔壁が開いた。

 その中へと、黒い影が侵入する。

「……よし」

 ナデシコbの艦橋のメインスクリーンに投影されていたその光景を見て、ユリカはうなずいた。

「敵、13番ゲートに侵入しました」

 興奮ぎみにハーリーが報告する。

「ハーリーくん、ゲート内に画面を切り替えて」

 ユリカは視線をスクリーンから動かさずに指示を出した、そこには、既に敵の姿はなく、口を開けたままの13番ゲートがなおも写っている。

「だめです」

 だが、ハーリーは無碍に言い切った。

 ユリカはすこしむっとした面もちでハーリーを見やった。

「どうして? ハッキング不能?」

「いいえ」

「じゃあ、どうして……」

「カメラがないんですよ」

「へ?」

 ユリカは思わず隣のルリを見る。

「非公式のゲートなので、監視カメラをつけていないようですね」

 IFS端子を撫でてコンソールに向かいながら、ルリは答えた。

 ユリカは思わずため息をつく。

 その時、メインスクリーンに緋色のマシンが飛び込んできた。スバルリョーコのエステバリスだった。そのまま13番ゲート内へと潜入する。

 よし、とユリカは指を鳴らした。

 ルリのそばに顔を寄せる。

「艦長、リョーコさんとコンタクト、とれる?」

「はい、ちょっと待っててください……」

 ルリがIFS端子を撫でる。白い手の甲に虹色の文様が浮かび上がる。

 ややあって、ルリの前に新しいコミュニケの画面が浮かび、そこには赤いバトルスーツを着たリョーコの姿が映った。

「……おひさしぶりです、リョーコさん」

「おおっと、ルリか! 2年ぶり。元気そうだな!」

 突然の通信に軽い驚きを見せながら、リョーコがは応えた。

 それを見て、ユリカがコミュニケに割ってはいる。

「リョーコさん」

「ユリカ!」

「相変わらず、さすがですね」

「ま、追いかけっこは得意だからな。それより、さっきのグラビティブラスト、おめぇらのだろう」

「……あくまで補給と休養ですから、お間違いなく」

 ふふっと笑ってユリカはそれに応えた

 リョーコが破顔一笑する。

「美人提督に美少女艦長のツーショットか。統合軍(うち)の連中が見たら、涙ながして喜ぶぜ。ちょっと待ってな。あいつ捕まえてからゆっくり話をしようぜ」

「案内します。この先にはトラップがないようですね」

 ルリは新たなコミュニケの画面を開いてリョーコのエステバリスに転送した。それは13番ゲートの構造図だった。

 途端にリョーコが不審な表情になる。

「なんだ、ここ……こんな区画、知らねえぞ」

「はい、非公式のエリアですから」

 ルリは平然と答えた。

「……ったく。他人の秘密、どこまで調べたんだか。”電子の妖精”とは、よく言ったもんだ」

 皮肉混じりでリョーコは笑った。そして前に向き直る。

「で、あいつ、どこに向かってやがんだ……」

 遙か前方に揺らめく、朱色の光点。黒い影の炎。

「この先は行き止まりじゃねえのか」

「このコロニーの場合、行き止まりというものは、あってないに等しいものですから」

「ちがいねぇ」

 ルリの言葉にリョーコが表情を強ばらせ、乾いた唇を舐めて敵の動向を注視する。

 すると、ユリカが再びコミュニケの画面に入ってきて、気軽な口調で言った。

「ここは、てっとり早く、ご本人に聞いてみるというのはどうでしょう」

「ユリカ……おまえ変わってねえな、やっぱり」

 リョーコが呆れた表情をする。

「そうですか?」

 ユリカは口許に笑みを浮かべた。

「案外、有効な方法かもしれませんよ」

 

  ☆

 

 黒い影の動きがとまる。13番ゲートの最深部の隔壁がその前にはだかっていた。

 リョーコのエステバリスが一気に距離を詰める。

 すると、黒いマシンは振り向きざま、リョーコに向けてハンドカノンを2発発射した。

 だが、その照準はあまかった。

 リョーコは砲弾の間隙を難なくすり抜け、そのままエステバリスの機体を相手の懐に潜り込ませた。

 すぐさまケーブルをコックピットと思われる付近へと射出する。

「……ふう、危ねぇ危ねぇ。こっちには攻撃の意志はないんだ。そのまま、そのまま」

 やがて、ひどくノイズ混じりの音声がリョーコのコックピットと、それを中継しているナデシコbの艦橋に届いた。それは、黒い機体のコックピットのそれだった。

 リョーコは安堵の息をつく。

「OK、ルリ、いいぞ」

 それを合図に、ルリがIFS端子に触れた。

「こんにちは。わたしは連合宇宙軍少佐、ナデシコb艦長のホシノルリです」

 少し間をおいて、相手の出方を待つ。

 一方で、ユリカはその間にハーリーのブースにつき、小声で敵データ解析を指示した。

「むりやり通信を開いてすいません。あなたが通信回線の接続を受け容れてくれなかったので、こうするしかありませんでした。あの……いきなりですいません。教えてください……あなたは、誰ですか?」

 しばらくの静寂が艦橋をつつむ。

 ちらりとユリカがルリを見やる。

 表情こそ変わらないものの、ルリの目許に落胆の色がかすかに浮かんでいた。

 その時、黒いマシンの手許から数本のマニュピュレータが射出され、ゲートのコンソール上に張り付くのがリョーコのエステバリスを経由して映し出された。

 ユリカはハーリーのブースから立ち上がり、ルリのコミュニケに割り込んだ。

「どうもどうも。私は連合宇宙軍准将、テンカワユリカです。まあ、名前とか所属とか言えないなら仕方ないんですが、とりあえず、あなたが何を狙っているのかぐらいは教えていただけると、こちらとしても助かるんですが。まさかコロニーを潰すのが趣味だとか、そういうわけでもなさそうですし。私たち、ここで初めてあなたにお会いしたわけですが、きっとですね、私たち、いいお友だちになれそうな気が……」

 脳天気で内容のない言葉を続けながら、悟られぬようさりげなく手を後ろへ回し、指を高杉へ向けてぐるぐるまわす。高杉はすっくと立ち上がってブースを飛び越え、そのまま艦橋を退いて格納庫へと走っていった。

「……それじゃ、また後でお話ししましょうね」

 そう言って、ユリカはコミュニケの画面から離れた。

 ルリの方を見やる。

「結局、音無しだったか……失敗かなあ」

「いいえ、少しですがデータとれましたし……」

 ルリの言葉はスクリーンの動きで遮られた。

 黒いマシンの前の隔壁、開くはずのない壁が、ゆっくりと開きはじめた。

「開いた……」

 黒い機体が、リョーコのエステバリスを振り払い、進撃を再開する。

「このヤロ、待てっ!」

 リョーコのエステバリスが続いた。

 

  ☆

 

 ゲートの向こうは細い通路であった。先ほどまでの隔壁に覆われた無機質な空間とはどこか異なり、まるで草木が鬱蒼と生い茂っているかのごとく錯覚させるように、どことなく不気味ななま暖かさを感じさせた。

 通路の奥が、金色に光っている。そこが敵の目的地であることが容易に想像できた。

 緊張の面もちでそこを見つめる瞳。

 リョーコのエステバリスがそこに接近するにつれ、金色の光の量が増大していく。

 やがて、金色の光の中に黒い影が包み込まれた。

 それを追うリョーコのエステバリスのモニター全面が金色の光に溢れかえる。

 そして……そこには半球形の巨大な空間が広がっていた。

「ここは、一体……」

 呆然としてリョーコがつぶやく。

 眼下を見下ろす。

 空間の下部に、金色に輝く立方体の物体が数個並べられて、幾何学的な文様が幾重にも描かれていた。

「なんだよ、これは……」

「……遺跡、ですね」

「遺跡! 遺跡って、お前らがぶっとばした、あの遺跡のことか!」

 リョーコがそれに気づいて大声を出す。

「そうです、リョーコさん。あの時の遺跡です」

「そんなもんが、なんでこんなところに……!」

「……それは、これがヒサゴプランの正体だからですよ」

 ユリカの横で、ルリが静かに言った。

「ボソンジャンプをするには遺跡が必要です。ですが、ヒサゴプランの中では遺跡の存在には少しも触れられていませんでした。どういった形で利用されていたのか、気になっていましたが……アマテラスが厳重に管理されていたのも当然です」

 なるほど、とユリカとリョーコがもらす。

「あの……遺跡とヒサゴプランと、どういう関係があるんですか……?」

 すると、おずおずとためらいがちに、ハーリーは会話の間に入ってきた。

 ルリは優しい眼差しをハーリーに向けた。

「ボソンジャンプは、単に念じれば瞬間移動できるという性質のものではありません。ジャンパーと呼ばれる人が、遺跡に対して移動先のイメージを送り、それを遺跡が演算処理して、ボソンジャンプができるんです。チューリップは、単なるワームホールに過ぎません」

 ハーリーは納得した顔を見せた。

「なるほど、だから実験……」

「ハーリーくん!」

 ぴしゃりとルリがハーリーの言葉を抑える。

 だが、ユリカはハーリーのその言葉を聞き逃さなかった。

「実験って……ハーリーくん?」

 ハーリーを見る。しかし、ハーリーはうつむいて表情を閉ざした。

「……艦長?」

 ルリを見つめる。

 しばらく視線をユリカから逸らしていたルリだったが、やがて、抗しきれずにぽつりと言った。

「……ヒサゴプランがはじまったのと前後して、多くのA級ジャンパーが行方不明になっていたんです」

 その言葉にユリカは眉を寄せた。

「それって……そんなの、聞いたことないよ」

「私もそうでした。ですが、過去2年間に起きた事故、失踪、誘拐……生死が不明な事件の被害者のほとんどがA級ジャンパーだったんです。ジャンパーであるというデータは、政府と軍の極秘情報ですから、気づかなかっただけです」

「でも、行方不明と、どういう関係があるの?」

「行方不明と言われていたジャンパー達は実は生きていて、ここに集められていたんです」

 ごくっとユリカは息をのんだ。

「それで……集められたA級ジャンパーは?」

 ユリカの問いかけに、ルリは苦しげに顔をしかめた。

「……実験を、していたんですよ」

「実験?」

「そうです。遺跡に対するイメージをより正確に伝達するための……A級ジャンパーに対する……非公式の人体実験……」

 痛々しい表情をし、ためらいがちにルリはそう言い終わると、耐えきれずに視線をユリカからずらした。

 ユリカは思い詰めた表情でつぶやく。

「人体実験……」

”実験体”

 不意に、先ほど自分を襲ってきた賊のセリフが頭を駆けめぐる。

 ユリカは肩を震わせた。

「……でも、わざわざそんな手の込んだことをしてまで、政府が非公式な実験をする理由がわからないよ。だいたい、そんな実験データは公にできないし、それじゃ、ヒサゴプランと関係がなくなっちゃう」

「ヒサゴプランと実験が関係ないものだとしたら?」

「それだと、ジャンパー情報をもっている政府が、非公式の実験に協力していることになっちゃう。そんな話、聞いたことないし、おかしいよ。つながらない……」

 その時、ハーリーのウィンドウボールが消失した。

「くっ、ジャミング……!」

 艦橋のメインスクリーンにノイズが走り、画像が砂嵐になる。

 だが、次の瞬間、スクリーンには、まだ記憶に新しい人物が映った。

「……”火星の後継者”である。占拠早々申し訳ないが、我々はこのコロニーを爆破、破棄する。敵味方……」

 それは、アズマ准将との会見の場にいた副官、ヤマサキであった。

 その画像は一瞬にして消え、またふたたび遺跡のある空間を映し出す。

「……つながりましたね」

 ルリの言葉に、呆然としてユリカがうなずく。

「……つまり、ヒサゴプランっていうのは、”火星の後継者”の隠れ蓑で、政府はそのお膳立てをしていたっていうことなんだね……」

 ユリカは肩を震わせ、拳をぎゅっと握り締めた。

 ややあって、顔をきっと上げる。

「艦長、ナデシコbはこの宙域を離脱します」

「了解です。……リョーコさん、聞こえますか? アマテラスは爆発します。撤収してください」

 そのルリの物言いに、リョーコはさすがに問い返した。

「おいおい、アイツはどうするんだよ」

 リョーコの指さす黒い機体は、すでに遺跡の中央部へと迫っていた。

「通信回線はつながっていますから、聞こえているはずです。さあ、早く」

 ルリのうながす声に、リョーコは機体を反転しようとした。

 だが、次の瞬間、リョーコのエステバリスのセンサーがボーソ粒子を感知した。

 黒い機体の前方。

 注視すると、そこに赤色の機体がボソンアウトして出現した。

 ん、とリョーコは声にならない驚きの声をあげ、目を見はる。

 すると、緋色の機体の脇を固めるように、さらに6台の機体が出現した。

 遺跡を護るかのように、黒い機体とリョーコのエステバリスと対峙する。

「ハーリーくん、データ解析」

 ルリの冷静な指示を受け、ハーリーが再びウィンドウボールを形成した。

 ユリカは緊張気味にスクリーンを凝視する。

 そして、聞こえてきた低く重苦しい声に、はっとして目を見開いた。

”……死ぬか? 不憫な女の見ている前で”

 それは、確かにユリカを襲った”賊”の声だった。

 いきなり、敵の七機が飛び上がり、リョーコ機の視界から姿を消した。

「……リョーコさん、逃げてください!」

 唖然として事態の推移を眺めていたリョーコは、ルリの声に機体を反転させた。

 リョーコのモニターの視界に3機の敵機が入る。それを迎撃しようとラピッドライフルの照準を合わせようとするが、反応の鈍さを見透かす形で瞬時に散開し、半包囲体勢を整える。

「くっ……」

 リョーコは思わず声を漏らす。

 そして、それを回避しようと後方へ退こうとしたその瞬間、黒い正体不明機からパイロットの声が入った。

”リョーコちゃん、右!”

……カランという音が、ナデシコbの艦橋に響いた。