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第2章


 

 

 午後、ユリカは連合宇宙軍総司令官室で、父であり総司令であるミスマル=コウイチロウと対面していた。

「……どうしても火星へ行くというのだね」

 コウイチロウは苦渋に満ちた顔でそう言った。

「はい、お父さま」

 ユリカは澄んだ瞳に凛とした光を輝かせ、華やかな笑みをたたえて応えた。

 それは、これで3度目だった。

 ユリカが作戦案を上申した午後、コウイチロウはユリカを呼び出した。当然、作戦案に対する質問を受けるものと思い、理論武装をして総司令官室にのぞんだのだが、その総司令が発した第一声。

「父さん、ユリカが火星に行くのは、絶対に反対だよ」

 その後、覚えているかぎりで3度目の慰留を受け、さすがにユリカも辟易しはじめていた。

「……しかしだね、ユリカ。たしかにA級ジャンパーがいなければボソンジャンプはできない。だが、A級ジャンパーなら他にもいる。ユリカもそろそろ後方でどっしりと戦局を……」

「……お父さま」

 4度目の慰留を制するように、ユリカは切り出した。

「お父さまのお気持ちはよくわかります。でも、私、ナデシコに乗ってわかりました。私の居場所はここではありません。やっぱり、ナデシコが私のいるべき場所なんです」

 ユリカは確信に満ちた表情で言った。

「それに、ルリちゃ……いえ、ホシノ少佐の艦の提督に任じられた以上、その責を果たすべきだというのが、お父さまの教えではないのですか」

 勝った、と内心でユリカは思った。

 その時、コウイチロウが厳しいまなざしでユリカを見た。

「……まだ、ナデシコcの提督に任じたわけではないよ、ユリカ」

 ユリカはぎゅと拳を握ってうつむいた。コウイチロウの意味するところを理解し、唇を噛みしめ、そして寂しそうに言った。

「命令なら……それに従います。でも、ずるいです、こんなの……」

 だが、その反応があまりに予想外であったのか、コウイチロウが思わず椅子から立ち上がった。

「まて、ユリカ! 誤解だ、誤解! そんな、命令だなんて、父さんは言ってないぞぉ」

 へっ、とユリカは唖然とする。コウイチロウは咳払いを一つした。

「……まあ、実は嘆願書が連名で来ていてな……」

 コウイチロウは机の引き出しを開けて一通の封書を取り出し、ユリカへ差し出した。歩み寄ってそれを受け取り、封を開けて中をとりだして開くと、そこには、ルリと高杉とハーリーが、それぞれ嘆願文を自筆で書いていた。

 それは、ユリカを正式なナデシコbの提督に任命して欲しいというものだった。

 ルリは「ナデシコにとって、そして私にとって何より必要な人です」と、高杉は「美人でそれに頭が切れる。この人がいれば自分は生き残れるという自信をくれる。ただ、惜しむらくは人妻であること」と、そして……。

「……マキビハリ少尉は『提督として完壁な人』とまで誉めている……『璧』と『壁』を書き間違えてはいるがな」

 ユリカはその箇所を見つけてくすっと笑った。目頭が熱くなるのを感じて、そっと瞼に手を当てた。

 コウイチロウが、慈愛に満ちた目をユリカに向ける。

「そこまで言われてダメとはいえんだろう」

「……ありがとうございます」

 ユリカは深々と頭を下げた。コウイチロウが一度うなずいた。

「さてと、もう一件の方にいこうか。例のデータの公開の件なんだが、政府のお偉方がうるさく言ってきておる。政府の恥部だとか言ってな」

 ナデシコbの帰還に際し、ユリカとルリは連名で、アマテラスから入手した火星の後継者のデータを提出していた。そこには、これをすべて公表すべきであるという意見を添えてあったのだが、そのまま総司令預かりとなり公開されぬままになっていた。

 もちろん、ヒサゴプランが、実は単に”火星の後継者”に対するお膳立てを整えていただけであったという「正体」を公表しては、国民にたいする政府の重大な背信行為であることが暴露されてしまうことになる。

 だが、コウイチロウが政府の心証を気にしているとユリカは思っていない。コウイチロウの気にしているのは、その中に含まれている、A級ジャンパーに対する非公式の人体実験のデータのことであった。

 ユリカは地球への帰路でそれを確認した。もちろんそのすべてを確認するわけにはいかず、適当にサンプリングをされたデータを3,4件ちらっと見ただけだが……それを見た日、ユリカは終日部屋から出なかった。そのデータを「め」の列から取り上げたのは、思兼とルリの配慮であったかもしれない。

「……できれば、公表は人道的な部分に限りたいのだが」

「それではだめです」

 ユリカは言下に否定した。

「なぜだい?」

「……人を人として扱わない組織に、正義などありません!」

 ユリカは肩を震わせ、拳をぐっと握り締めて叫んだ。

「現在のところ、”火星の後継者”に対する賛同の声もあります。それは、正義と新しい秩序の名の下に行動していると思われているからです。しかし、このデータを公表することで、”火星の後継者”はその大義名分を失います」

 コウイチロウは頷いた。

「わかった。公表しよう」

 ありがとうございます、とユリカは一礼した。

 顔を上げると、なおもコウイチロウの視線はユリカをとらえていた。

「……お父さま?」

「ユリカ」

「はい」

「お前がここにいてくれて、本当によかったよ」

「お父さま……」

 ユリカはそのまま何も言えなかった。

 

  ☆

 

 廊下に出るなり、ユリカはきょろきょろと左右に目配せした。そして、あたりにだれもいないのを確認すると、手にしていた書状を胸の前に広げた。

 じっと熱い視線で見つめる。

「……艦長、かぁ」

 その語尾はいつもよりも調が高く、その表情もうれしさを隠しきれないでいた。

 ユリカが総司令官室を退室しようとした時、コウイチロウはユリカを引き留め、書状を一枚手渡した。

 それは、ユリカをナデシコcの艦長に任ずるという辞令であった。

 ナデシコcは事実上のホシノルリ専用艦であることは周知の事実であったので、ルリが艦長ではないのかとユリカは問いただした。

 コウイチロウは言った。

「存在していない戦艦の艦長にルリくんを任命するには、一時的にだが、ナデシコbの艦長職をとかなければならない。しかし、この作戦を極秘裏に行う以上、表だってそのような人事を行うわけにはいかないのだよ。ルリくんは、とかく目立つ存在だからね」

 ユリカは書状をもったまま手を胸の前であわせた。何かに思いを馳せているかのように目をつぶり、天井を見上げた。すっかり自分の世界に浸っていた。

「……テンカワ准将?」

 すると突然、背後から男の声がした。びくっと肩をすぼめて振り向くと、そこには秋山ゲンパチロウ少将の姿があった。

「あ、秋山少将」

 秋山は別段かわったところもなく、いつもと同じくどっしりと構えた笑顔を向けた。

「どうかされましたか?」

「あ、いえ、なんでもありません……あはは」

 ユリカはその場を取り繕おうと笑い出し、手を後ろに回して書状をさりげなく隠した。

「そうそう、テンカワ准将。ナデシコcの艦長就任、おめでとうございます」

 図星……という二文字がユリカの頭を過ぎった。

「あ、あの、なんでそれを……」

「いや、ムネタケ参謀長の、いつものアレです」

 まるで自分のことのように秋山は嬉しそうに言う。

 はぁ、とユリカはため息をついた。普段はムネタケのリーク癖に助けられているのを、一時的にユリカは記憶の彼方へしまいこんだ。

 ナデシコaの退役に合わせてユリカは無任所准将となり、とりとめのない徒然なる日々を送ってきた。それは、一人娘を戦場に送りたくないという、コウイチロウの意向の反映と言われていた。

 しかし一方で、前線で指揮を執ってこそユリカの真価が発揮できると主張する勢力も存在した。ユリカの戦術構想と、それを高いレベルで実現しうる堅実な艦の運営をするアオイジュンとの組み合わせ。または、ユリカの戦略的判断と、それを冷静かつ客観的に把握できるホシノルリとの組み合わせ。これこそがユリカの能力を真に生かすことができる理想的な形であるという主張である。

 その中心人物こそが、秋山ゲンパチロウであった。

 秋山は前の大戦でナデシコと戦闘し、ユリカの知略によって乗艦”かんなづき”を沈没寸前にまで追い込まれた経験がある。その敵方の指揮官を、秋山は勇猛な男だと思いこんでいたのだが……大戦終了後、その指揮官がミスマルユリカであったということを知り、愕然とすると同時に強烈な信奉者となった。

 今年の新年会の席で、酔った勢いもあっただろうが、秋山は言った。

「ホシノ少佐は”電子の妖精”と呼ばれていらっしゃる。ならば、准将は、言うなれば”星空の女神”でしょうな」

 そう言って剛胆に笑う秋山に対し、さすがのユリカもただただ愛想笑いを返すしかなく、またその言葉もセンスのなさでさほどの広がりを見せないでいた。

「……そうそう、ところでテンカワ准将」

 思い出したように秋山は言った。

「なんでしょう?」

「今晩のご予定は、なにかありますかな?」

「えっと……とくにありませんが」

 ユリカは小首を傾げながら答えた。

「では、よろしければ我が家で一緒に夕食などいかがですかな? 妻が、准将が地球に帰ってきたら必ずお誘いするように、と毎日のように言うものですから」

 ユリカは笑顔を返した。

「喜んでおうかがいします。秋山さんの奥さんのお料理、本当においしいですから」

「いや、それは光栄です。ぜひ妻にも言ってやってください」

「もちろんです……でも、ご迷惑ではないのですか? わたし、いつもごちそうになるばかりで……」

「いえいえ、准将と夕食を囲めるだけで充分です」

 秋山は豪快に笑った。つられてユリカも笑う。

「では、失礼します」

 ユリカは一礼して、自分の執務室へと歩き出した。