第2章
3
「……できれば7月7日までに地球に帰ってきて、ぱあっとお祝いしたいよね」
ユリカはいつもの笑顔でそう言った。
総司令官室を退出してから1時間後、ユリカは、ホシノルリ・高杉サブロウタ・マキビハリの3人を自分の執務室に召集し、火星奪還作戦の概要を説明した。そして、さらに、その期限として7月7日と言い切ったのだった。
「し、7月7日ですか? それってあと2週間とちょっとじゃないですか。そんなに簡単な話なんですか?」
ハーリーが微炭酸のレモンスカッシュの缶を両手で持ち、ユリカに向かって叫んだ。
「んーと、それくらいで片づくとおもうし、片づけないとだめだよ。ね、少佐」
「ありがとうございます」
ルリはオレンジジュースの缶を両手で包みながら微笑んだ。ユリカは頷く。ハーリーはわけが分からないと言ったふうな顔をして、ルリとユリカと交互にその顔を見た。
「その日にちに、何か意味があるんですか?」
「秘密裏に行動するのであれば、正規の軍人さんは使わないほうがいいですね」
ハーリーの言葉を無視するように、ルリはユリカに尋ねた。
「うん。だから、あまり時間もないし、ナデシコの昔の仲間に手伝ってもらおうかなって考えてる」
「それなりの能力を持つクルーを集めるとなると、それが最良の方法とは思いますが……」
「ねえねぇ、艦長……うわっ」
「まあ、それはいいとして、でも提督、探すにしても、なんの手がかりもないんじゃ……」
なおも食い下がるハーリーの頭を片手でむんずとつかみ、高杉はジンジャーエールを片手に話に入ってくる。
ユリカは高杉に自信に満ちた笑顔を向けた。
「それなら大丈夫です。まもなくですから」
「まもなく?」
そう高杉が問い返した時、インターフォンから男の声がした。
”ユリカさん、私です”
「あ、どうぞどうぞ」
すると、すーっとドアが開き、その向こうに立っていた男が部屋に入ってきた。
めがねとちょび髭を生やした品のよい紳士風の男。かつてナデシコで会計主査を担当していたプロスペクターその人であった。
「お久しぶりです」
「お久しぶりですね、プロスさん。さあ、どうぞ」
ユリカは立ち上がって握手を交わし、プロスに席を勧めた。ユリカはそのまま小型の冷蔵庫の前へ行き、しゃがみ込んだ。
「プロスさん、お飲物、何にしますか?」
「砂糖の入っていないものなら何でもかまいませんよ……もう健康にも気を使わないといけない歳になりましてねえ。まったく、困ったものです」
そう独語して、プロスペクターはルリの方を向いた。
「ルリさんもお変わりなく、何よりです」
ルリが軽く会釈する。
そこで、それまで唖然として事態の推移を見守っていたハーリーが口を開いた。
「艦長、あの……この人、だれですか?」
次の瞬間、ハーリーの目の前に一枚の名刺が出現した。驚いて名刺の先をたどると、いつの間に出したのかわからないくらいの素早さで、プロスペクターは名刺を差し出していた。ハーリーの横から高杉ものぞき込む。
「ネルガル重工会長秘書室室長……プロスペクター……さん」
ハーリーは声を出して名刺を読み、顔を上げた。
「本名ですか?」
プロスペクターは首を横に振った。
「いやいや、それはまあ、ペンネームみたいなものでして。本名は別にちゃんとあります……あ、どうもすいません」
ユリカが戻ってきて、プロスペクターの前に無糖の缶コーヒを置いた。
「すいません、面倒なことを頼んじゃって」
ユリカがソファに座りながら言う。
「いえいえ。連合宇宙軍に全面的に協力するというのが会社と会長の意志でして。クルーを集めるお手伝いくらい、どおってことはありません」
そして、プロスペクターは眼鏡をなおした。
「では、さっそくお話をすすめましょうか」
☆
ナデシコcはオペレータ単独の集中的オペレーションが可能なため、基本的に操舵・通信系統の人員は必要とされない。しかしながら、何らかの事情でマニュアル操舵が必要になったときのために、クルーを予備的に確保しておくべきである。この点で、ナデシコで正操舵士であったハルカミナトがその候補に挙がった。
「エリナ女史は、月で一番えらくなっちゃいましてねぇ」
とのプロスの言で、元副操舵士への勧誘はなくなった。
反面、戦闘担当については高杉だけでは絶対的に人員が不足していることから、かつてのエステバリスのパイロット5人のうちの3人……スバルリョーコ・アマノヒカル・マキイズミの獲得は最優先とされた。
また、整備担当もできるだけ集めることとなった。もちろん月で製造されたエステバリスは整備済みだが、パイロットの特性に合わせた最終調整の出来不出来は、整備士とパイロットとの「呼吸」によって非常に大きく左右される。その意味で、昔の整備班を集める実際上の理由があった。
「……では、明日からさっそく手分けして集めることにしましょう」
一通り話がまとまって、次にどのように人集めを行うかという点に移ったが、ここでひとつ問題が起こった。
☆
「……ひとりだなんて、危険すぎます!」
どのような班分けを行うかについて、ユリカは、ルリ・高杉・ハーリーの3人と、自分一人という提案をしたのだった。それに対して、当然ルリは反対した。
「大丈夫だよ、少佐」
ユリカは呑気とも言うべき笑顔で答えた。しかし、ルリは食い下がった。
「アマテラスでも敵に襲われたと聞きました。もう襲われないという保証はありません」
「でもね……もしまた敵に襲われたとしたら、きっとひとりでいても4人でいても、かわらないと思うよ」
ユリカは静かに言った。ルリは言葉を失った。
「敵が狙うとすれば、その目標は少佐よりも私。もし私がいなくても、ナデシコcは少佐ひとりで動かすことができるし、作戦も遂行できる。だけど、4人ともいなくなったら、この作戦はそこで終わっちゃう……それに、私ひとりなら逃げられるかもしれないけど、4人だとそれは難しいよね。誰かが犠牲になるかもしれない。そんなの嫌だよ」
「ですが……」
そう言いかけて、やはりルリの口には次の言葉が出なかった。
ユリカは微笑んだ。
「もし襲われたら、またジャンプして逃げるよ。だから、大丈夫だって」
「……提督を信じましょう、艦長」
まだ決心のつかないルリを促すかのように、高杉が話に割ってきた。
「高杉さん……」
ルリが高杉を見上げる。高杉は大きく頷き、ユリカを見た。
「それで、ジャンプするんでしたら、今度はぜひ俺の上に落ちてきてください。全身で優しく抱き留めてさしあげますよ」
高杉さん!、と後ろからハーリーが咎める。
それにユリカが笑顔で応えた。